第16話 グレートベア
村人たちも使うであろう山道は、それなりに整備されている。今のところ、魔物どころか獣にさえ出会わない。
「おかしいね。少し先を見てくるよ」とイルダの提案。あまりにも何も無いことに、彼女は不思議がっているのだろう。
「そうかい。あまり無茶しないでね」僕はイルダを見送る。
こんなに長閑なのだ、アーロンの思い過ごしだと思いたいのだけれど……。
油断大敵という言葉がある。魔王軍なんて物騒な連中を見た、それは村人たちにとっては死活問題だ。念には念を入れるのは当然だろう。
「少し別の場所を調べようか」
僕たちは少し離れた別の道を通ってマーティたちとの合流を目指すことにした。
旧道なので、こちらの山道は更に足場が悪い。周りを警戒しながら山道を進む。
――すると、獣のわめき声と人間の怒声が聞こえてきた。
結構近いぞ。僕は咄嗟に身構えて、新品の剣を抜く。
「様子を見てくる。みんなはここで待っていて」
僕は戦いのする方へ駆けていく。
魔物とマーティたちが戦っている。相手は大きな熊である。ガッと背伸びして威嚇する姿は、優に5メートルはある。ヒグマよりも大きい!
「これは」
強敵だ。確かヒグマの頭蓋骨は軍用のライフル銃しか通用しいハズだ。
味方の飛び道具はクロスボウがあるみたいだが、正直心許ない。
既に幾本も熊に突き刺さっているが、ソイツはどこ吹く風で戦っている。丸太の様に太い腕と鋭い爪は、立木を簡単にへし折る。
一撃でも食らえば人間なんてひとたまりも無いだろう。
マーティは戦い慣れている。巧みに熊の攻撃を避け、でて反撃を試みるが、分厚い体毛が弾く。
これは加勢しなくては……。
「エレナは、ミラとサラと一緒に村まで戻って」
「は、はい」コクコクと頷くエレナ。
「おお、主様がやる気なのです」「そうなのですー」嬉しそうな二人。
「それなら、リアとサラはお留守番しておくのです(ヒソヒソ)」とミラ。
小声でサラに耳打ち。
「せっかくヤル気を出されたのだから、邪魔しないのですー(ヒソヒソ)」とサラ。
小声でミラに耳打ちする。
「やる気というか、やらないといけないと言うか……」
二人の無邪気な反応に拍子抜けしてしまう。
「熊肉をお願いするのですー」ニパッと笑うサラ。
「唐揚げなのです」と顔をほころばせるミラ。
ミラとサラは、期待に満ちた瞳で僕を見やる。
……僕が勝つことを信じているみたいだ。
「はは、あまり期待しないでおくれよ」
「大丈夫です。主様ならば余裕なのですよ」
「もう。リョウタさん、無茶しないでくださいね」エレナは二人の手を引く。
「ああ、そんなことはしないよ」
あんな化け物とは戦いたく無い。だが僕の護衛をしてくれた冒険者たちが戦っているのだ。彼らを見捨てて逃げるわけにはいかない。
兎に角イルダと合流だ。囮ぐらいは出来るだろう。
冒険者が四名が熊と戦っている。ホビットも加わっているようだ。
「イルダはどこだ?」
二人うずくまっている冒険者。もしかしてイルダか、そう思い駆け寄る。
イルダとは違う。似たような革鎧を着ているが、短髪の女性だ。マーティの仲間だろう。
「う」
荒い吐息が苦しそうだ。胸元を押さえる右手は、血でベッタリと濡れている。
「待っていろよ」僕は腰の鞄から医薬品を探す、確かポーションを三瓶買っていたはずだ。
と、「しっかりして」と女性のハスキーボイス。
振り向くとイルダが駆け寄ってきた。
どうやらイルダの知人みたいだ。険しい顔つきで、彼女の傷口を観察する。
「……どうやら致命傷では無いみたいだね、これなら助かる」
イルダの表情が少し和らいだ。
「アタシがあの化け物熊を引きつける。リョウタ殿は村までこの子をつれていって」
「あ、待ってくれ。僕も戦うよ」
「それは……。駄目だよ」彼女はユックリと首を振る。
「素人が戦える相手では無いよ?」イルダはそう言うと、熊に向かって突進していった。
「だけど、イルダ」
僕が呼び止めるのを無視して、イルダは熊との戦いに参加する。
「……うう」
苦しそうな短髪の女性。慌ててポーションを傷口にかけてみる。
「頼む、効いてくれよ」
大枚払って買った品だ。ぼったくりでないことを祈る。
女性の傷口を「淡い光」が包む。
「う」女性の苦しそうな表情が少し和らいだ。ホッと安堵のため息を吐く。
出血も止まったようだし、このポーションは凄い効果があるようだ。
「イルダたちは……」
従業員に任せて逃げるのはどうだろう。僕はイルダにとって足手まといなのかも知れないが、女の子を戦わせて逃げるのはいただけない。
(だが、早くこの子を村へ連れて行かないと……)
短髪の女性の命に関わる事態だ。僕のプライドなんて意味は無いのだろう。
「よし」
僕は女性の肩を抱き寄せて運ぶことにした。最後にイルダやマーティの安否を確認しようと振り向く。
激戦を繰り広げる冒険者たち。この激しい戦いに加わるのは、ド素人には無理なのだろう。
「あれ」
黒い影。新手か? 茂みが大きく揺れる。狼の顔をした亜人。確かコボルトとかいう名前だ。ソイツは剣を抜き、イルダの背後を狙っているようだ。
熊と挟み撃ちにするつもりだ!
「おい、イルダ後ろだ!」
コボルトは、思い切りロングソードを振り下ろす。鋭い一撃だ。
「くっ」
イルダは間一髪で剣を避ける。大きく体勢を崩すイルダ。
そこを熊の鋭い爪が、彼女を狙う。
「危ないっ」
僕は咄嗟に剣を熊目がけて投げつける。
剣は狙い違わず熊の右目に命中。
間合いを読めなくなった熊の一撃は、イルダの頭部から逸れた。
だが、完全には避けられなかった。
爪の一本が、イルダの胸部を穿つ。
彼女の真っ赤な鮮血が飛び散る。
「この野郎」
マーティは手前のコボルトを一刀両断。
すかさずイルダの元へ向かおうとするが、他にも二頭コボルトが現れ、行く手を邪魔する。
熊の攻撃により、負傷したイルダ。
片目を潰されて怒り狂う熊。滅多矢鱈と腕を振り回す。
その爪の切っ先は、倒れて動けないイルダに定められた。
熊は、大きく振りかぶる。
怖いとかどうとか、迷っている暇は無い!
僕は咄嗟に落ちていた剣を拾うと身構え、突貫する。
狙うは熊の心臓だ。
「うおお」
渾身の一撃を、熊の胸元に突き刺した。拍子抜けするほど軽い手応え。
「え?」思わず顔を上げて、熊の顔を見やる。
「ぐおお」苦しそうなうめき声をあげる熊。
先ほどまでの勢いはない。蹌踉めき、後ずさりをする。
暫しうめき声を上げていたが、次第に大人しくなっていく。
「やったのか」
熊は巨体を仰向けに仰け反り、地面に倒れた。
奇襲を仕掛けたコボルトたちは、マーティたちが仕留めたようだ。
僕は、もう敵はいないのを確認して、直ぐさまイルダの元に駆け寄る。
「うう」
イルダの傷は、そうとう深いようだ。白い骨が少し覗いている。
残りのポーションを傷口に振りかけるが、先ほどほどみたいな劇的な効果は見られない。
それでも止血効果はあるみたいで、多少なり傷口も塞がっている。
なにより僅かだが、イルダの顔色が良くなった。
死ぬことはないと、思いたい。
「あの、グレートベアの爪には……。毒が仕込まれているんだ、よ」
意識を取り戻したイルダが、話しかけてきた。
「毒か……。どうやって取り除けるんだ」
「はあ、はあ。……そうだねえ、長老なら何か識っているかも……」
「分かった。もう喋らないで」
「あのグレートベアが一撃で……」
マーティは信じられないという顔で、熊の死骸を見詰めている。
「おい、マーティ」
「あ、ああ」呆けているマーティを叱咤する。
「分かった」
我に返ったマーティは、手慣れた手つきで担架をつくる。
そしてイルダを担架に乗せて、イルダの傷口を確認する。
「心臓は無事だ、後は毒か」
険しい顔のマーティ。
「コーム村長なら、きっと治せるさ」
「そうだな。精霊の加護もある。俺たちは出来ることをやろう」
僕も手伝い、一緒にイルダを村まで運ぶことになった。
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