第9話 アリスは、歌の先生

女将さんのツテで、肉や野菜の仕入れ先は目処がついている。

 酒類や食材に関しては問題無い。宿屋の改装も始まり、大工の親方が采配を振るっている。

 リニューアルオープンするのは来月だ。それまでに色々な準備を済ませておかなくてはならない。

「でもミナガワ様、あたしの歌唱力では、歌姫なんて無理ですよ」

「そうかな? エレナは似合うと思うけどな」

「でも、自己流で歌っていただけです。歌姫なんてとてもとても」

 自己評価が低いな。きっと素晴らしい歌い手になると思うんだよ。

「じゃあ、先生がいれば良いんだろう」

「はい」コクりと頷く。

「丁度良い。教会に行く予定だったんだよ」

「お祈りですか?」

「いや、スカウトしにさ」

 エレナとアリスの二枚看板、絶対に映えると思うんだ。


 その前に、

「……エレナ。シスターって止められるのかい?」

「シスターになってからは、余程の事情が無ければ、お止めになるとは思えません。

 ただ、シスター見習いならば、止めるのは難しくないと思います」

「そうか、良かった」

 アリスはまだ、正式なシスターでは無いようだ。

 まだ辞めても問題はないみたいで、僕はホッと胸をなで下ろした。

「あと、元シスターが歌姫を目指すのはどうなんだろう?」

「どうでしょう? 普通の人たちでも歌姫を目指すことは出来ると思いますよ。

 ただ、貴族の方や、教会のシスターたちよりも難しいと思いますが……」

「そうか。可能なのか」

ならば、アリスが一般人で歌姫を目指すのは、別に悪く無いのか。

ヨシヨシと独りごちる。

「じゃあ、エレナの歌の先生になってもらおう」


「ええ? 良い考えだとは思いますけれど、そんな簡単に引き受けてくれるのでしょうか」

 と、エレナは心配そうな顔をする。

「フフ。とても良いアイデアがあるんだよ」

 僕は不敵な笑みを浮かべて見せた。

「君の歌の先生になってもらうんだよ」

「ええ、それは良いアイデアだと思います」エレナは大きく頷く。

「アタシの歌の先生になってもらえたら、それは心強いです。

 ですが、引き受けてもらえるのでしょうか……」

「その可能性は有ると思うよ」

 アリスは歌が好きだ。あの夜の歌声を聞いた時に、そう直感した。

 歌うことを強制された歌ではなかった。今の自分の心境を吐露したくて溢れた歌声だったのだろう。

 歌に関することに、何らかの形でも良いから関わっていたいはずだ。

(好きなこと、夢中になれるものであれば、苦労を苦労と感じないからな)

 心配事があれば、何か他のことに打ち込めることが有ればいい。

 それが歌に関連することならば、きっとアリスは引き受けてくれるだろう。


「そして、ゆくゆくはエレナとアリスの二人でユニットを組んでもらう。そして君たちは歌姫になるんだよ」

「ええ。そ、そんな……。お話が飛躍し過ぎではないですか」

 首をブンブンと振って否定する。

「それに、ミナガワ様。シスターエレナにどうやって、居酒屋で働いてもらうのですか?

 まだシスターを辞めていないんですよ?」

 シスターは禁欲的なもの。もし、働くとしても夜のイメージが強い酒場では、シスターのイメージにそぐわないと思っているようだ。

「そうかな? アリスは、歌姫に興味を持っているんだ。

 だから、エレナがステージで歌っている姿を見れば、きっと僕の居酒屋に来てくれると思うよ」

「すてーじですか? え? ミナガワ様が経営するのは、居酒屋なんですよね?」

「フフッ。居酒屋経営は、世を忍ぶ仮の姿なのさ」僕はニヤリと不敵に笑ってみせる。

「クククッ。 僕は天下を取る」

 そう、トップアイドルを育てるのさ!

 僕は拳を高く掲げる。

「取るのです」と、真似るミラ。

「そうなのですー」と、続くサラ。

「はあ。がんばりますよ?」戸惑うエレナ、彼女も律儀にみんなを真似た。


                        ★

 僕たち一行は、教会に到着した。

 ドアの前の石畳を、掃き掃除をしている若いシスター見習い。

 アリスだ。

 昨晩見た時と同じような愁いを帯びた眼差しの美少女シスター。

 僕は咳払いを一つして、彼女に声をかけた。

「シスター。少し時間はあるのかな」

「は、はい」

 アリスは彼女は顔をこちらに向けると、照れくさそうに微笑みかけてきた。

 ああ、そうだった。この子は結構な人見知りだったっけ。

 昨晩ドタバタして、喋ったおかげ?で、話しかけても逃げられないのだろう。


「いつもこの時間は掃除をしているの?」

「そ、そうですね。お祈りを終えた後は、教会の掃除ですね」

「えっと、今は君一人だけなの」

「はい」悲しげに頷く。

「そうか」

 この教会に来る前に、女将さんから聞いてきた。

 アリスの恩人である神父は先月他界している。

 他のシスターやシスター長も、同じ宗派の教会へ配属されたという。


(確か小さな町の教会だったよな)

 ここからかなり東の町にあるという。

この教会は改築されて、新しい神父様やシスターが来るそうだ。

「君は、北の教会へ行くのかい」

「……はい」どこか煮え切らない。

 まあ、馬の合わないシスター長がいるという北の教会。

 宗派が違うと考え方も違って来るのだろう。


(あれ? 何故この街に居残るのだろう)

「君は、東の町の教会へ行かなかったのかい?」

 同じ宗派の教会でお務めするのが正しいと思うのだけれど……。

「この街に居ることに、意味があるのですから……」

 アリスはそう断言すると、寂しげな微笑みを浮かべた。

 この街に何か思い入れがあるのだろうか。それが彼女の秘密なのだろうか。


(無理には聞き出せないよな)

 人の想いに、土足で踏み込むのは駄目だ。

 ――それに、

 見方を変えるならば、アリスは暫くこの街に居続けるということだ。

(そうなると、アリスが僕の居酒屋を手伝ってくれるかもしれない)

 上手くいけば、ステージに上がってくれるかもしれないのだが……。

 人前で喋るのが苦手なアリスが、いきなりステージに上がってくれるのは難しいだろう。

二兎追うものは一兎をも得ずの格言がある。

 今は欲張らずに、エレナの先生を引き受けてもらいたい。

 

「実は、この子に歌を教えてもらいたいんだ」

「お願いします」緊張した面持ちのエレナ。

「あわわ。ど、どういう事なのでしょうか?」

「僕は、エレナを歌姫になれるようにサポートしているんだ」

「歌姫に、ですか?」驚くアリス。

「一般人が歌姫になるのは難しいことは知っている。

 だけど、彼女にはその可能性があるんだ」

 

「お願いします」勢いよく頭を下げるエレナ。

「アタシも歌姫になれるなんて、そんな大それたことは思ってもいなかったんです。

 ですが、ミナガワ様がそう言ってくれるんです。アタシは信じてやってみたいと思うんです」

「とても難しいことなのですよ?」

「はい。それでも挑戦してみたいんです」

 エレナは、真剣な眼差しでアリスを見詰めて、大きく頭を下げる。

「うう」逡巡するアリス。


「一度だけでも良いからエレナの歌声を聴いて欲しい。

 そうすればアリスも信じられるから」

 僕もエレナと同じく頭を下げた。

「わ、分かりました。分かりましたから、二人とも頭を上げてください」

 と、大慌てなアリス。

「本当かい?」

「は、はい」

「今は手が空いていますから」ドアを開いて招き入れてくれる。

「悩める方のお手伝いをするのは、わたしたちのお仕事ですからね」



 教会の中、ここは礼拝堂だろう、長椅子が整然と並べられている。長椅子や調度品は年期を感じさせるが、丁寧に磨かれて趣を感じさせる。

 アリスは、奥にある古いオルガンに向かう。

「ピアノは無いのかな」

 ピアノがあるのならば、そう思って訊いてみる。

「ピアノは高価ですから」

「パイプオルガンとかあるのかい?」

 壁際に、シーツをかけられた物。恐らくあれがパイプオルガンだろう。長い管が幾つも伸びているのだ。

「済みません。あれは壊れているのです

 こちらのオルガンは動きますから」

 アリスは、オルガンの鍵盤をそっと叩く。

 懐かしい音がする。オルガンなんて、学生時代に聴いただけだ。


 アリスは簡単な曲を弾いてみせた。

「アリスはオルガンが弾けるんだ」これは凄いな。

「声の出し方ですね」とアリス。

 ドの音を鳴らす。音程に合わせて「あー」と発声して見せた。

 低音から高音まで、僕でも分かるほどだ。

「上手いね、声楽を習っていたんだっけ」

「は、はい」

「アリスは歌姫を目指さなかったのかい」

「い一度だけ選抜には選ばれましたが、それだけです……」

「へえ、でも凄いなあ」

 アリスでも歌姫に選ばれなかったのか。まあ、この子は本番に弱そうだからなあ。

 恐らくテンパって失敗したのだと、想像できた。


「一曲弾いてくれないか」

「え、ええ。……童謡で良いですか?」

「もちろん、君が好きな曲で構わないよ」

「では」

 アリスはオルガンの鍵盤に指を添える。

滑らかに、踊るように動く指先。

「あ、この歌知っています」とエレナ。

「ん。そう言えば……」

アリスが弾く曲は、以前エレナが歌った歌の曲だった。

 伴奏に合わせてアリスが歌う。

 やはり、彼女の歌声は素晴らしい。エレナとは違うタイプの歌声。

 演奏が終わるまで、僕たちは静かに聴いていた。


「ふう」と、アリスは大きく息を吐く。

 僕たちは拍手として、アリスを褒めた。

「フフッ」と顔を綻ばせるアリス。やっぱり彼女は歌が好きなんだな。

 それと、良いことを知った。

 アリスはオルガンが弾けることを。



「で、では発声練習から始めますよ――」

アリスの指導が始まった。アリスが指定する音と同じ音域の声を出す。

 地味だけど大切なトレーニングだ。


(アリスは譜面が読めるんだな)

 まあ、当たり前と言えば当たり前だ。そうでなければ楽曲を弾けないから。

(だが、これで僕が知っている歌を教えることが出来るかも知れないぞ)

 声楽を学んだアリスに僕が歌ってみせて、声の強弱とテンポを音符に変えることが出来るはずだ。

 僕は譜面が書けないが、音痴ではない。

 練習した曲は、カラオケで八十点以上は採点される。特に好きな曲は九十点取ったこともあるぞ。


 これなら、僕が知った曲を、この世界でも歌えるはずだ。

 これは大きな収穫だ。アイドル育成の夢と野望が広がっていくぞ。

 僕は二人の様子を見守るのだった。


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