第8話 最初の一歩
僕たちは、宿屋『黄金の槍』亭に帰ってきた。
僕たちの部屋に戻るには、一度ロビーを通る必要があり、そこは酒場になっている。既に出来上がっている酔っぱらいたちの間を通り部屋へ戻った。
「何か食べたいな」
既に眠る時間だけれど、小腹が空いてきた。
下の酒場で、串焼きを旨そうに頬張るお客を見て食欲を刺激されたのだ。
「次は、この鍋を使おってみるか」
魔道具の鍋を取り出した。
こちらの方は、テーブル掛けに比べて出てくる料理は単品だけだ。
しかし、一日に三回使えるので便利である。
「ミラとサラは何を食べたい?」
「おーどぶるなのですか」
「えびちり食べたいですー」
「鍋を使うから、そんなに色々出て来ないかな」
オードブルにあった料理で、二人が好きそうなのを考えよう。
無難に唐揚げかな。エビチリのみは、流石に食べたいとは思えない。
「唐揚げで良いかい?」
「はいです」
「良いですよー」
「では……」
鍋がカタカタ動き。蒸気穴から湯気が漏れる。
五分とかからず唐揚げが出来上がった。凄いチートアイテムだ。
量は三人で食べきるには多い。十人前くらいだろうか。
「朝昼晩、三食とも唐揚げはなあ」
余った分は、エレナと女将さんに別けてみよう。
どんな反応するか楽しみだ。
スーツケースから小皿を取り出す。昼間の残りを取って置いたのだ。
レモン汁、それからタルタルソースに、有名店の特性ソースだ。
あと、塩コショウも追加しよう。
出来たての唐揚げを美味しそうに頬張るミラとサラ。
意外とお腹が空いていたのか、三人で半分ほど平らげた。
「さて、寝よう」
お腹も膨れたし、これでグッスリと眠れそうだ。
翌朝。ミラとサラが僕を起こしにきた。
時計を見ると、朝の七時だ。
思わず跳ね起きて、着替えようとしたが、
「ああ。出勤しなくて良いんだった」
ホッと胸をなで下ろす。未だ転生前の記憶が抜け切れていないようだ。
「えーっと、朝飯は……」
昨晩の残りの唐揚げが、皿の上にデンと乗っかっている。
「朝から脂っこいのはなあ」
朝食は、白米一択だ。味噌汁と納豆があれば十分イケる。
「どんなお料理が出てくるのですか」
「楽しみですー」
ミラとサラは、朝食を楽しみにしているようだが、朝からテーブル掛けを使うと、昼食が単品料理になってしまう。
朝食はそれほどガッツリと食べたくない。
(鍋を使うかなあ)
すると、味噌汁すらない白米だけの朝食になってしまう。
唐揚げがあるから、おかずの心配は無いのだが……。
「うーん、サンドイッチにするか」
サンドイッチと言えば、お供はコーヒーだろう。
確かコーヒーが残っていたはずだ。
鍋に蓋をして、暫し待つ。
(しかし、凄いよな)
実際目の前で鍋からサンドイッチが生えてくるのを見ると、奇妙と言うかなんというか……。
考えたら負けだと、独りごちた。
サンドイッチを物欲しそうに見詰める二人。
「はい、お食べ」僕は鍋からサンドイッチを取り出して大皿の上にのせた。
卵サンドしか出来なかったけれど、テーブル掛けと同じく、名店の味付けを再現しているはずだ。
「えっと飲み物は……。昨日の残りで良いかい?」僕はオレンジジュースを取り出した。
「はいです」コクコクと頷く二人。
「いただきますです」「ですー」
ミラとサラがサンドイッチを頬張る。
「むむ」二人は顔を見合わせてニパッと笑う。どうやら気に入ったようだ。
エレナも朝食に誘おうか。
「エレナは起きてるかい?」
「もう少し、身支度がかかるって言ってましたよ」
「へえ」女の子は、気にするよなあ。僕は顔を洗っただけだ。
下の調理場に向かう。
唐揚げを温め直して、ついでにコーヒーを温め直したいからだ。
魔道具のスーツケースは、確かに便利だ。
その時の温度までそのままで保管していたからだ。
ただ、コーヒーは少し温くなっていた。僕は熱いコーヒーの方が好きなのだ。
★
「おはよう、女将さん」
宿屋の主は、起きて新聞に目を通していた。
奥の調理場から、コンロが覗いて見えた。
良かった。マキ炊きではなかった。
「コンロ借りて良いですか? 持参した料理を温め直したいので」
「ああ、構わないよ。容器はそこら辺のを使っておくれ」
早速やかんに入れ直してコンロに火を付けようとするのだが……。
「あれ? つかないぞ」
まさか、ガスコンロではなくて、IHIなのか? 僕が苦戦していると、
「やれやれ、コンロの使い方も知らないのかい?」
女将さんがコンロの脇のスイッチに、そっと指を添える。指先が薄らと光る。
「おお」
「魔力調整で、火力は代わるよ」
「ガスではなくて、魔力を使うのか」
僕はコーヒーを沸かし直すと、次に唐揚げも温め直した。
コンロを借りたお礼に、唐揚げを一つ、女将さんにあげる。
「朝から唐揚げかい。まあ有り難くいただくよ」
「タルタルソースとかも置いておきますよ」
「異国のソースか。ま、気が向いたらかけてみるよ」
「好き好きはあるけれど、旨いですよ」
僕はいそいそと階段を上がる。
「おはようござい」と元気なエレナの声。
「おはよう。朝食を一緒にとらないか?」
「はい。いただきます」
僕は椅子に座るように促した。
「サンドイッチですね」
エレナがサンドイッチを頬張る。
一口食べると、目を大きくする。
「美味しいです」卵サンドの旨さに驚いているようだ。
「そうなのですよ」ドヤ顔のミラとサラ。
卵サンドは好評みたいだ。僕も一つ食べる。
「うん、旨いな」
お気に入りの味付けだ。ふんわりした卵と少し焦げ目のあるしっかりしたパン。
僕は卵サンドを食べながら思案する。
これからどうしようか、と。
今、僕の手元にある物たち。数々の魔道具のおかげで、食べることに不自由はない。
衣服も何着か着替えがある。
それとお金もある。大判金貨が十枚だ。
(金額の目安は……)
例えばこの宿屋の一日の宿泊代は、銀貨一枚である。
部屋のランクはそれなりで、飯はそこそこだ。
日本で一泊一万では、ここよりもっと良い宿に泊まれるだろう。
だが、この世界は魔物が跋扈する危険な世界だ。
流通網も馬車がメインみたいである。
インフレ気味に思えるが、流通網が脆弱なのでこんなものだろう。
小銅貨十枚で銅貨一枚。銅貨十枚で銀貨一枚。銀貨十枚で金貨一枚。
金貨十枚で大判金貨一枚。
銀貨一枚で一万円、と考えればいいだろう。
(それで、軍資金が大判金貨が十枚、一千万か……)
ザックリだが日本円で一千万円、大金である。
とは言え、収入源が無いのだから、減る一方でしかない。
どうにか収入源を確保する必要がある。
(それから、これからの拠点となる大きな館が欲しい。
ゆくゆくはそこを本社にして、アイドル事業を興したいよな)
考え無しに買い物をすれば、直ぐに底をつくのは目に見えている。
どんな事業を始めようか。
幾ら元の世界の知識があったとしても、それだけでは大したものは作れない。
スマホの操作を知っていても、スマホ本体を作れる訳では無いからだ。
物作りをするための基礎知識と技術が無いので、大したものは作れないのだ。
ただのアラサーには、現代技術を再現するのはほぼ無理だ。
それに、この世界にも当然ながら職人がいる。彼らと張り合っても技術で負けてしまう。
ならば、飲食店を開こうか。
(こんなチート器具があるんだ、店を開けるよな)
味は申し分ない。だが店で出すには量が少な過ぎる。
大勢のお客をさばくには、この程度では全く足りない。
僕が料理を作ればいいのだが……。
酒のつまみぐらいはどうにか出来るが、売り物とするには平凡な味付けだし……。
僕がウンウン唸って思案していると、
「このタルタルソース美味しいですー」と暢気なサラの声がする。
サラはタルタルソースが気に入ったようで、サンドイッチにタップリとかけていて、パクッと頬張る。
サンドイッチにタルタルソースとは……。斬新な発想だなあ。
「あれ? 味付け、料理にはソースをかける、と……」
ソースだけでも美味しいのか……。
「そうか」
タレやソースなどの調味料なら鍋で作れる。焼き肉のタレだけでもご飯がすすむ。
旨いタレがあるのだ。
後は肉のやけ加減に気を配れば、どうにかなるだろう。
次は、何処で店を出すかだ。
これは女将さんに訊いてみよう。手頃な物件を知っているかもしれない。
酒場を経営しているのだ、何かしらの情報は入っているはずだ。
条件の良い物件が無ければ、屋台から始めてみるのもいいだろうし。
(ならば、この街での売れ筋を調べておけば……)
競合店はどれほどの味なのか、どの程度の値段が付けられているのか、下調べしておけば対策が取れるだろう。
「エレナ、これからの事なんだけれど」
「は、はい」身構えるエレナ。かなり緊張しているみたいだ。
この部屋からさっさと出て行け、と言われないか心配なのだろうか。
「この街で店を出したいんだ。それで手伝ってほしいんだけど、どうかな?」
「は、はい。もちろんです」緊張がほぐれ、顔を綻ばせるエレナ。
「どんなお店なのですか?」
「それは、まだ決めていないんだ
ただ、君のチカラが是非とも必要になるんだ」
「アタシのチカラが……。そんなにも……」照れるエレナ。
「「むう」」と頬を膨らませるミラとサラ。
「ああ、勿論ミラとサラにも手伝ってもらうよ」
「当然なのです」
「なのですー」
「良い返事だ。ありがとう」
僕は二人の頭をポンポンと撫でた。満足そうに胸を張るミラとサラ。
次は女将さんに、手頃な物件が無いか訊いてみよう。
「この街に店を出そうと思ってるんですよ」
「どんな店なんだい?」
「飲食店です。僕が調理するんですよ」
「お貴族様なのにかい? アンタ変わっているねえ」
「はは。僕は貴族ではないので働かないといけないんですよ」
「それで飲食店かい?」
「はい」
「確かに、さっき頂いた唐揚げは美味しかったよ。色々な味付けで楽しめたよ」
「おお、有り難うございます」
宿屋の女将さんのお墨付きを得た。これならイケるぞ。
「もう一度聞くけれど、アンタが料理したのかい?」
「はい」
「ふうん」女将さんは、暫し思案する。
「で、どんな物件が欲しいんだい?」
「そうですね。この酒場くらいの広さで、安い物件ですね。
改築するので、古民家でも構わないですよ」
「初めてなのに、結構広い店を出すんだね。屋台から始めたらどうかね?」
「いえ、それくらいの広さが必要なんですよ。
そこでアイドルをプロデュースするんですから」
「あいどる? プロデュース? 料理じゃなくて? 料理屋にするんじゃないのかい?」
「ええ。料理屋は、アイドルを見いだして育てる。そのための手段なんですよ、何しろお金は大事ですからね」
夢の為に従業員をただ働きさせるつもりは毛頭無い。
「ここの言葉で言えば、アイドルすなわち歌姫ですかね。
僕は歌姫をプロデュースしたいんですよ」
僕はエレナを見やる。
「う、歌姫? アタシがですか?」
「ああ。君には素質がある。僕が保証するよ」
と強く頷いてみせた。
エレナは、まだ名前が売れる前、路上デビューした直後のようなアイドルみたいな、不器用だけど見逃せない輝きを感じるのだ。
彼女も少し戸惑っているみたいだが、
「わ、分かりました。ミナガワ様がそう仰るのならば」と同意した。
「その店で、エレナを売り出すのかい。突拍子も無いことを思いつくもんだよ」
と、女将さんは呆れ顔となり、下を向いてしまった。
「ぷ、くくくっ」必死に笑うのを堪えているが……。
「く、ハハハ」ついに盛大に吹き出す。
「面白い。実に面白いことを考えるねえ。お前さん相当の変わり者だよ。
歌姫なんて、金持ちの道楽が半分なのにさ」
「いやいや、僕は好きなことをして生きていく。その信念を貫くだけなんですよ」
と胸を張る。
「いやはや、とんだ大馬鹿野郎だねえ」女将さんは、ニヤリと不敵に笑う。
「お前さんみたいな奴は好きだよ。
アタシもアンタの夢を手伝うとしようかねえ」
「本当ですか」
「ああ。そこで、良い条件の物件があるんだよ」
「何処ですか」
「ここ、この宿屋『黄金の槍亭』を貸してあげるよ。好きに使って構わないから」
この宿屋の敷地面積は、ザックリと四百坪、宿屋だけでも二百五十坪ぐらいだろうか。
宿屋と酒場とロビーの立て込んだ所を直せば、かなり広い店が出せるだろう。
「え、あの。改築しても、いいのですか?
ちょっと特殊な使い方になるかもしれないですよ?」
「そうだよ、アンタの好きな間取りに変えて構わないよ。
賃貸は……そうだね、金貨三枚でどうだい?
今なら部屋代もオマケしておくよ?」
女将さんは、茶目っ気を出してウインクしてきた。
(ヨシッ)僕は内心ガッツポーズをとる。
大体月に三十万。
街の中心からさほど離れて居ない好立地は、安いと思う。
「はい。是非とも」
「契約成立だね」右手を差し出す。交わす握手。
「でも、何故僕を手助けしてくれるんですか」と、少しだけ不安になる。
「今も言ったとおり、アンタが気に入ったからさ。
付け加えるならば、もうアタシが歳だからね。
どうも料理は苦手でねえ、お客相手の商売も、性に合っていないようだ」
「はは、そうみたいですね」僕は苦笑する。
宿屋としては、閑古鳥が鳴いている。
酒場の売り上げで成り立っているのだろう。
「旦那が生きてる時は、マシだったんだけどねえ。アタシが継いだら泊まり客と喧嘩ばかりだよ」
女将さんは豪快に笑ってみせた。
……多分そちらの方が問題なんだろうな。
この女将さんの性格は、明らかに客商売に向いていない。
まあ、この性格が「味」となって、馴染みのお客が通い続けているのもあるのだろうが。
「次に、アンタは一見どこぞの貴族にも見える。
なのにこの国の知識が欠けている。
箱入りのボンボンにしては、悪漢相手に肝が据わっている」と指折り数える女将さん。
昨日の僕の行動をかなり正確に把握しているみたいだ。
この女将さんは、見た目とは違い情報通みたいだ。
「ああ。きっと『突拍子もない面白いモノを見せてくれる』アタシの勘が告げているのさ。
こう見えて、人を見る目は有るつもりだよ」
肩をすくめる女将さん。
「最後。次いでと言っては悪いのだけれど……」
女将さんが手招きする。
「あの子も雇ってはくれないかい?」
「あの女性ですか」
僕は振り返る。壁際には、若い女性がたたずんでいる。歳は二十歳前後だろうか。
若い女性は、ゆっくりとこちらに来る。
「イルダさ。最近はあの子に色々と手伝ってもらっているんだよ」
「イルダです」
肩まで届く長い銀髪。それと同じ色をした小手とすね当てが目をひく。
動き易そうな服に、エプロン姿。ミスマッチなんだけれど、彼女が美人さんの上にスタイル抜群なので、それが妙に似合っているのだ。
「現役の冒険者だよ。今は冒険者家業を三割、うちの宿屋のお手伝いが七割ってところかな。
アタシたち夫婦も冒険者をやっていてねえ。イルダは死んだ友人の娘なんだよ」
どうやら元冒険者仲間の忘れ形見のようだ。
これは放って置いてはいけないな。
「なるほど。ではイルダ、引き続き酒場での仕事を頼めるかい? 給金はこの店の金額と同じでいいかな?」と、僕は訊く。
「はい、構いませんよ」
軽く頷くイルダ。
淡々とした態度は、冷淡ではなくてミステリアスに見える。
(将来的には、この子にバックダンサーになってもらいたいな)
エレナの歌声とアリスの歌声が重なり、澄んだハーモニーが奏でられる。その時、軽やかなダンスを見せてくれれば、きっとステージが映えると思うんだよ。
(ん?)
一瞬、甘酸っぱい香りがした気がして、振り返ると未だ見ぬステージと彼女たちの歌声、歓声が聞こえてきたような気がしたのだ。
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