アグレッシブなボディタッチ


『えーっ? またその話かよー』


『信じてくれないからだろ! ホントに見たんだって!! ハクビシンが女の人に変わる瞬間を!!』


『はいはい。夢でも見てたんでしょ? それよりほら、向こうでおっきなカブトムシがいるから!!』


『お、おい! ひっぱるなよ!!』


 訓練を終えて降り立った畦道。近隣の子供達が並んで歩いて、大きな声で話し合っている。

 狐や狸ならともかく、ハクビシンが人に変化するという話は聞いたことがない。きっと自分達のことではないだろうと、マコトは気にも留めずにすれ違おうとする。


「…………」


 が、ミコトはそうではなかった。

 すれ違った後も、その背中をじっと見つめている。


「大丈夫や、うちらのことやあらへん。結界はちゃんと張ってたし、それにバレたとしても――」


「そうやなくてさ」


 ミコトは首を振って続ける。


「おねえはどうなん? ちゃんと上手くいっとる?」


「なんや、やぶからぼうに」


「ほら、あの子達みたいに」


 と、ミコトは遠ざかる子供達を指差す。みんな短髪で分かり辛いが、よくよく見ると男女が入り混じっている。

 その中の一人――少女に手を取られて走り出す少年を、ミコトはまじまじと見つめている。彼は眉を潜めつつ、まんざらでもないような表情を浮かべていた。


「おねえにはきっと、ああいうのが足りんねん」


「は? ああいうのって?」


「ボディタッチや。男の子はそういうのにドキドキすんねん」


 一体何のスイッチが入ったのか、ミコトはすっかり何時もの様子だった。くるりとマコトに振り返っては、ツンと目を細めて苦言を吐く。


「またあの人とデートするんやろ? せやったら、もっとしゃんとせなあかん」


 そこでマコトは悟る。雪人との進展を口にしているのだと。

 ここぞとばかりに教官ぶって、さっきの挽回をしたいのだろう。


「ボディタッチってなんやねん? あの男の毛づくろいでもしろって言うんか?」


「おねえ、それ絶対やったらあかんよ? 間違っても、絶対に」


「するか。誰があんな男の顔なんざ舐めるか。汚らしい」


 マコトは想像するだけで寒気がした。


「そうやなくてさ。おねえは頭ぽんぽんとか、壁ドンとか聞いたことない?」


「頭ぽんぽん? 生首を手毬代わりにポンポン跳ねさすことか?」


「いやそんな世紀末形式の頭ぽんぽんやなくて」


「壁ドンはあれか。かつて妲己様が得意としておったと言われる、壁を背にした相手の胸板をドンっと叩いて、衝撃を背後に逃さず心臓を叩き潰してまうという、あの必殺奥義の」


「初めて聞いたわそんなもん!! そうやなくてや! 相手の息の根を止めるボディタッチやなくて、スキンシップを取り入れろって言っとんねんや!!」


 なんで知らんねんと言わんばかりのミコトであったが、マコトからすればチンプンカンプンである。

 若者言葉と思しきことは窺えても、パート仲間は中年女性ばかりで、そういった年代と関わることはたまにしかない。


「ほら! 仲の良い異性から肩を叩かれたり、腕をツンツンされたりとか、そういうのにドキっとした経験あるやろ?」


「肩? 腕? 前足やなくて……?」


「ごめん。これはうちが悪かった。言い方を変えるわ。山の男の子から毛づくろいされた時とか、なんか思わんへんかった?」


「? いや、なんも。ご苦労やったなとしか」


「……なんか山のみんなが哀れに思えてきた。こんなどうしようもない朴念仁相手に、アプローチかけてた男の子なんか特に」


 ミコトは目元を押えて天を仰ぐ。マコトには相変わらず言っている意味は分からないが、なんとなく馬鹿にされているような気がした。


「――これは特訓やな」


 やがて面を戻したミコト。塞いでいた掌を除けると、腹の決まった目つきをしていた。

 その後一週間――マコトは恋愛指南を施されることになる。

 果たしてその結果がどうなったか? 長ったらしいので、以下ダイジェストでお送りする。


                 ***


「どうでしょう? こちらのものをお召しになってみては?」


「いえ、これからの季節には少々厚手過ぎるかと」


「そうですか。ではこちらは?」


「着丈が合っておらず、身幅も余っています。私に合うサイズも……在庫は残っていないようですね」


「む……ではでは」


 そこは百貨店のカジュアルブランド。『何時もスーツばかりの雪人に私服を』という大義名分を掲げてのものだ。

 服ごと化けられるマコトに、子供服以外を買う習慣はない。故に成人男性のファッションなんてものは考えたことすらなかったが、そこはミコトの教育の賜物だ。今のマコトには人並みくらいの、似合う似合わないの感覚が備わっている。


 ――ええい、さっさと選べや。そうやないと次の段階に移れんやろがい。


 が、そんなものは本懐を果たす為の予備知識でしかない。

 次々に商品を手渡し、試着を勧めているのがそれである。極々自然に身体に触れる機会を狙っているのだ。


「ではこちらはどうでしょう? シックで大人っぽく、雪人さんのイメージにピッタリだと思うのですが」


「ボタンの縫い付けとファスナーが気になります。あとあまり大きな声では言えませんが、丁寧な仕事とは言い難いかと」


「ぐっ……で、では!」


 それに何時も同じような服を着ているわりに、彼は妙に注文が細かい。気付けばこちらが店頭営業をしているかのようで、当の店員は近寄ってすら来ない。

 勧めては突き返されを繰り返し、自分でも何をしているのか分からなくなってきた頃、


「これなら! これならどうですか!?」


「…………そうですね。一度着てみましょう」


 ようやく雪人は頷いてくれた。


「ご案内致します」


 すると待ってましたと言わんばかりに、女性店員が彼を試着室へと案内する。

 店内奥へと連れて行かれる道中、彼女は横目でマコトに振り返っては、「よかったですね」と意味深に微笑む。


 何が良かったのか? ちっとも良くない。

 こんなどうでもいい男のどうでもいい服を見繕う為に二時間近く歩かされたんやぞ、とマコトは早口気味に思った。


「どうでしょうか?」


「わぁ! とってもお似合いですわ!!」


 が、そんな態度はおくびにも出さない。カーテンが開かれ、試着を済ませた雪人に向かってマコトは媚びた笑顔を向ける。

 そして上から下まで舐めまわすように見つめては――


「あら? でもちょっと、気になるところがありますわね」


 と言って、マコトは一歩前へ踏み出す。息遣いさえ聞こえそうな距離感である。

 無論、実際に気になるところなんてない。それとなく理由をつけて、衣服越しに触れることに意味がある。


「何処でしょうか? 裾もピッタリだと思いますが」


「えぇと……その……」


 そこまではよかったが、一つ問題があった。

 雪人の付けている試着物がスラックスなのだ。コートやジャケットなら兎も角として、下半身にどのように触れろというのか?


「ほ、ほらこことか! なんかダボッとしてて、サイズに遊びがあり過ぎるような!?」


 しかしここまで来ておいて、引き下がることなどあり得ない。

 マコトは無理やり粗を探し、そこをぐわっと鷲掴みにする。


「あ、あの……お客様?」


 するとさっきの女性店員が顔を赤らめ、言いづらそうに声を潜める。


「仲がよろしいのは結構ですが、店内でそういうプレイはちょっと控えて頂けると……」


 なにせマコトが掴んでいた遊びとやらは――雪人の股上中央。

 すなわち股間である。それを鷲掴みにしているのだから、彼女のリアクションも当然と言えた。




「正座」


 それから家に帰って、事の顛末を話して、ミコトに座らされる。


「なんでや。なんでそこを掴みに行った?」


「いや会話の掴みはボチボチ良かったから、そのまま玉まで掴み行けると思うて」


「誰が上手いこと言えと? いきなり急所とか、もう痴女やんけ。完全にヤベーやつやんか。そんなアクロバティックなボディタッチ聞いたことあらへんわ」


「ふふんっ! そらうちは常識に囚われん女やからなっ!!」


「褒 め と ら ん わ!!」


「あだっ! あいだだだだ!! しっぽ! 尻尾を引っ張るのはアカンて!! アカンてミコト!!」


当然この有り様。

ぎゅうううっーと尻尾を引っ張られ、折檻を受ける羽目になった。

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