変化の訓練


「ほいじゃあミコト、やってみい」

 

 休日の午前未明、近所の山の一合目。

 木々に囲まれた小さな広場は見通しが悪く、今時は昆虫採集に来る子供も少ない。加えて貼り付けたお札が人払いの役割を果たしており、半ば外界と隔離された空間となっている。


「ムムムムムッ……こんっ!!」

 

 そんな中でミコトはきゅっと目を閉じ、組んだ両指で印を作っては、妖狐特有の短い呪文を唱える。

 すると次の瞬間――どろんと煙を上げて、その姿が消えた。

 無論、本当に消失したわけではない。マコトが地面を見下ろすと、そこには掌サイズの達磨が左右に揺れている。


「よし。はい戻って」


「うん」


 再びどろんと煙が上がって、ミコトは達磨から人型へと戻る。

 その繰り返しだった。マコトの指定する姿に化けては、また素早く人の姿に還り、常に変化を切らせない。それは幼い妖狐に施す基本的な訓練であり、何をするにもまずはそこを通らなければならない。


「急須」


「こんっ!」


「蜥蜴」


「こんっ!」


「椿」


「こんっ!」


 ミコトは要求に答え続ける。

 無機物、動物、植物と矢継ぎ早に姿を変え、そのいずれもが寸分狂いない。

 よってここまでは合格であるのだが――


「じゃあミコト、それを隠してみい」


「っ」


 マコトが指差した途端、ミコトの表情が引きつる。

 今の姿は人型。されど衣服は来ておらず、何時も付けているキャップやスパッツは端に畳んで置かれている。

 すなわち彼女が隠した耳と尻尾も露わになっている、ということだ。


「どうしたんや、ミコト」


「…………」


「ほら、やってみいって」

 

 全裸で佇むミコトと、そこに淡々と指導を続けるマコト。

 端から見れば何らかの虐待を疑われそうなものだが――そもそも妖狐が人間の服を着ていること自体がおかしいのだ。変化とはただ人間を模すだけでなく、衣服装飾品もセットでなければ意味を成さない。


「ミコト、あかんか?」


「…………」


「無理そうやったら、また今度でええけど」


 とは言え、それはもう一段階踏み込んだ訓練である。最悪は人に化けたまま、これまで通り既製品を身に付ければいい。

 それよりも問題なのは耳と尻尾だ。気を抜いた妖狐が真っ先に出てしまう部分であり、更に未熟な妖狐は仕舞うことすら出来ない。


「やる……! やるよ、おねえ!!」


 やがてミコトは意を決したように答える。さっきまでの無言は腰が引けていたわけではなく、自分に活を入れていたらしい。カッと目を見開く姿に、マコトは妹の本気っぷりを感じ取る。


「よし! じゃあいけ!!」


「うん!! ムムッ……ムムムムムム……!!」


 念じるミコト。

 それに応えるかのように、じわじわと引っ込んでいく耳と尻尾。


「コンッ!!」


 そして声を上げた瞬間、ひゅんとそれらは消えた。

 すかさずミコトは自分の尻を見て、両手で頭を探る。そうして完全になくなったことが分かると、ぱぁっと顔を瞬かせた。


「おねえ! やった!! ちゃんと隠せるように――」


 が、それは刹那のことであった。

 気が緩んでしまったのだろう。程なくして耳と尻尾がニュっと、収穫期のタケノコのように顔を覗かせる。


「…………」


「…………おねえ、ちゃうねん」


「や、違うもなにも」


「ちゃうて! ほら見てて! ムムムムムムッ……!!」


 再び念じるミコト。

 さっきと同じように耳と尻尾が引っ込んでいく。


「ほらほら! ちゃんと消えて――」


 が、やっぱり一瞬だった。

 念を解いた瞬間に、ばびゅんと元の姿に戻ってしまう。


「いやちがっ! ムムッ!! ムムムムムムゥゥゥゥゥン!! コン! コンコン!! コンコンコン!!」

 

 再び再び、念入りに念じるミコト。

 しかし念じる長さや、コンコン唱える回数は術の成否に影響を及ぼさない。


「ほらほらほら! 見てよこのとお――」


 故に結果は必然。

 これまでで一番の最短記録だ。ドヤ顔をする間もなく、コンマ数秒で耳と尻尾が飛び出した。


「キュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!」


 余程悔しかったのだろう。すごく恥ずかしかったのだろう。

 ミコトは地に伏せ、地面をダンダンと叩きつける。人間に化けていることも忘れ、狐っぽい悲鳴を上げていた。


「まぁまぁミコト、よう出来てたて」


 普段はしっかり者な彼女の、そんな姿がおかしくて、マコトはくすりと笑いながら語りかける。


「その歳でここまで出来るんやったら上等や。なんも恥じることあらへん」


「ぐすっ……でもおねえは、うちの歳には出来てたもん……」


「そらおねえはじいちゃん――江戸の八尾狐から直々に叩きこまれたんやし当然やて。それに比べるとお前はロクに修行もままならん環境で、ここまでやれたんやから、そらもう大したことなんやで?」


「お世辞なんかいらんよ……! どうせっ、どうせうちなんか……!」


「あーもう、泣かんでもええのに。心配せんでも、お前かてその血を引いてるんや。ちゃんと集中出来る場所で暮らせれば、すぐにうちなんか抜かせるて」


「集中、出来る場所……?」


 ぐすぐすと涙に濡れた目を向けながらミコトは問う。

 ナンセンスな質問だ。マコトは胸を張って「そら当然」と答える。


「うちらの山や。こんなチンケな山やのうて、八尾九山にも負けん新しい故郷や」


「…………」


「そこに移り住めれば、お前の悩みなんてすぐに吹っ飛ぶ。うちと母ちゃんの見立てでは、お前は九尾にもなれる才能があるんや。せやからミコト――」


「…………」


「ミコト?」


 突然口を紡ぐミコトにマコトはたじろぐ。何かフォローを間違ってしまったのだろうかと。


「…………ねぇ、おねえ?」


 そして幾ばくかの沈黙を置いた後に、ミコトは言った。


「やっぱり、こっから離れたい?」


「は?」


「ここの生活が嫌い? 我慢ならんって思うとる?」


 質問の意味がマコトには分からなかった。好きとか嫌いとかではなく、そもそも妖狐はこうあるべきではないのだ。

 その証拠がミコトの耳と尻尾だ。ちゃんとした訓練を受けていれば、今も妖狐バレを恐れて、せまっ苦しい部屋に閉じこもる必要なんてない。


 いや――それどころか山であれば、人間の真似事をせずに済む。

 人としての生活を余儀なくされる時点で、間違った環境に置かれているのだとマコトは思う。


「なんも心配でええよ、ミコト」


 なによりミコトは姉思いだ。きっと家計を支える自分のことを慮ってくれているのだろうと結論付けては、


「おねえがちゃんとやるから。ミコトの為なら、おねえは何だってへのへのかっぱや」


 とマコトは力強く言い返した。


「そ、そうやなくて、おねえ――」


「それにな!」


 これ以上気を遣わせたくなくて、ミコトの発言も遮る。


「うちかて実際のとこはまだまだ未熟なんや。化けることはよう出来ても、そっから先が上手くいかん」


「…………そっから先?」


「おう」


 言って、マコトは背中を向けると、ポケットから泥団子を取り出す。

 それからミコトに見えぬよう、そこにそっと妖力を注ぎこんだ。すると団子はうねうねと粘土細工のように姿を変えようとするが、楕円形になったところで変化を止めてしまう。

 またもや失敗に終わってしまったが、妖の世界ではそれを『転身の術』と呼ぶ。自分以外の物を変化させるというもので、化けることに慣れた妖狐であっても容易ではない。


「気長にやればええよ。時間は十分にあるんやし」


 そんな失敗作をポケットに隠しつつ、マコトは言った。

 

 そう――計画まで十分に時間はある。

 可哀想なミコトを、不憫なミコトを還してあげる為にも、万全の機会を窺わなければならない。


「じゃあ今日はこの辺にしとこか」


 と、マコトは俯きがちな頭を撫で、その手を引いて歩き出す。

 励みになったかどうかはさておき、もう泣いてはいなかった。

 

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