第7話

 時はわずかに遡る。

 ダニエルがヘルマンに声をかけた後、町の運営について議論をしている最中にその時は訪れた。

 寄り合い所の中にいた人々は、段々と大きくなるざわめきを感じていた。

 そこに集まった人たちは、妙に外が騒がしいと思っていると、町の高見台に設置した非常時の鐘が鳴る。

「魔物の群れだーっ!! 魔物の群れが見えるぞっー! 緊急っ!緊急っー!!!」

 その声を聞き慌ててダニエルは寄り合い所を飛び出した。

 声のする方へ駆けていくとちょうど高見台に登っていた男が降りてきたところだった。

「おい! さっきのは本当かっ!!」

「っ町長! 嘘だと思うなら自分の目で見てみるんだな! あれはやべーぞ!! 俺らじゃ何したって無駄だ!! 逃げるしかねぇっ!!」

 そう叫ぶと、脇目も振らず走り去っていった。

 ダニエルはその男が降りてきた高見台に登り眼下を見ると、まるで黒い濁流の如き魔物たちがエンデンに向かっているのがわかる。

「おいおい……。なんて日だよまったくよぉ」

 彼は悟った。

 もうすぐ町長なんて肩書は意味がなくなるのだと。


 皆その群れに気付いたのか、あちらこちらから悲鳴が上がり出す。

 今や旅人の町と言われ多くの冒険者や商人を癒し、送り出してきた町の存続は風前の灯火となっていた。



 一方その頃、ヘルマンは水汲み場にフィンを残し全速力で駆ける。

(そう言えば、全力で走るなんていつぶりでしょうか)

 普段の彼を知っている人がその姿を見たら一人残らず驚いていただろう。

 

 ビフレス島では魔法の存在は珍しくない。

 少なくない一般人も魔法を使うが、それは生活をほんの少し楽にする程度の効果しかないのが普通だ。

 蝋燭に火を灯す魔法。

 薪割りの負担を少し軽くする魔法。

 飲み水を出す魔法。

 これらの魔法は俗に生活魔法と呼ばれ広く親しまれている。


 ヘルマンはその中の身体強化魔法を鍛え、今では馬以上の速度で走れるほどに己を強化することができる。


 黒煙に向かって走っていると徐々にエンデンの町門が見えてきた。

 朝にボウたちを送り出した時の様子とはうって代わり、原型を留めていなかった。

 しかしそれよりも驚いたのが魔物の数だ。

 遠目から見ても百匹以上数の魔物がその凶悪な本性を剥き出しにしているのがわかった。

 外にいるのはおそらく町に入っても美味しい思いができなかった魔物だろう。

 それらはその鬱憤を晴らすかのように町を囲んでいる土塁を壊して周っていた。


(この町はもう……。アマンダは……ああ、よかった。まだ無事みたいですね)

 エンデンを救うことはできない。

 それでも間に合うなら護らなければいけない人がいる。

 彼はある地点まで近づくと、足にさらなる魔力を送り、爆ぜた。

 その音の通り、正しく地面が抉れ、ヘルマンは一陣の風となって黒く蠢く魔物の塊を引き裂いた。

 浮かぶのは彼と共にこの町を発展させる任務についた女性。

 町長とその配偶者という設定を守り任務に忠実だった女性。

 間違いなく女傑であると言えるが、そんな彼女の魔力がだんだんと小さくなっているのが感じ取れた。

(まったく、命を捨ててまで任務を優先するなんて、誰の癖がうつったんでしょうね)


 そんな呆れた思いを胸に、ついに彼女のもとに辿り着く。

 彼女の背後には長く世話になった家があり、そして逃げ遅れた町の人々が一塊になって家の前で怯えていた。

 アマンダは地味な色味のリネンのドレスの上に白いエプロンをつけ、髪をウィンプルで覆っていた。

 ドレスやエプロンは赤黒く染まり、ウィンプルはほつれところどころ破れている。

 彼女は手に長い木の棒を持ち、家を囲う魔物の集団と向かい合っていた。

 いつもの目尻の皺が深く刻まれる柔和な笑顔ではなく、まるで伝説のドラゴンのような表情。

 しかし、彼女に余裕がないのは明らかで、魔物たちもあえて嬲っているような空気が感じられた。


「アマンダッ!!」

 そんな魔物たちの背後からヘルマンが矢のような突撃をみせた。

 その威力は申し分なく、進路にいた魔物の大半は体のどこかしらが吹き飛んでいた。


「アンタァ、ようやくのご帰還かい? フィン君はどうしたのさぁっ?」

 アマンダは猫を被るのをやめていた。

 それはかつての冒険者時代の口調で、余裕がなくなっていることの証左だった。

「置いてきました。彼ならとりあえず大丈夫でしょう。……それより随分と無茶をしていたみたいですね」

 ヘルマンはアマンダのエプロンについた血がわずかづつ着実に広がっているのを見逃さない。

「はっ! ……ちょっとドジ踏んじまってね、まぁまだしばらくは大丈夫だよ」

「……そうですか、状況は?」

「運良く隊長には連絡とれたよ。ただ、ちょっとばかり時間がかかるとさ。なんとかアレは私らで守らなきゃいけないってわけさ」

 彼女は背後を顎で指す。

「具体的にどのくらいか言ってましたか?」

「……今すぐじゃないのは確かだね。まぁ、隊長ほどフットワークが軽い奴はいないからねぇ。案外近くまではきてるんじゃないかね? 」

「……あなた、隊長は逃げるように命令したんじゃありませんか?」

「さてね……。もう忘れちまったよ。仮に逃げろと言われていたって、このままコイツらを見捨てるんじゃ九尾ナインテイルズの名折れじゃないかい?」

 一瞬バツが悪そうな顔をするも、イタズラがバレた少女のような顔を見せた。

「−–あなたがその気ならしょうがありません。……しばらくお付き合いしましょう」

ヘルマンは全身に力を漲らせると魔物たちに向かいあった。

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