第6話

「おっヘルマンのジジイじゃねぇか。あんたはあいつらに着いていかなくていいのかよ?」


 ボウたちを見送っていたヘルマンの背中に、ダニエルから不躾な声がかかる。

「……ええ、まだ私にもやることが残っていますからね。昨日の今日でさすがにすぐには出ていけませんよ」

「はん、どうだかな。まぁもうただの村人だから好きにしたらいいさ」

 彼はこれから寄り合いを開き、これからの村の運営について決めるのだと言って去っていった。

(ふっ……清々しいくらいにわかりやすいですね。果たしてどれほどの時間が残されているのか)

 ふと見上げると北の空遠くに薄暗い雲が目に入る。

 彼は何を思い立ったのか、村の外に足を向けた。


 ヘルマンが村を出て三十分くらいだろうか。

 彼は見慣れない林の道を歩いていた。

 今までヘルマンは水汲み場に足を運ぶことはほとんどなかった。

 それは立場上しょうがないことでもあった。

(ふむ、しっかり踏み固められているいい道ですね)


 水汲み一つをとってもこの町がいかに保守的かがわかる。

 なぜなら、水を汲みに出る人たちの中でさえ格差が存在していた。

 村から近い水汲み場は上の階級の者が使い、それ以下は各自で、水汲みに適した場所を見つけなければならない。


 この道は一人の少年が何年も往復して固めたのであろう。

 人が二人以上はすれ違えるように整えられた道からは彼の思慮深さがうかがえた。

 歩くのに邪魔な大きい石は退けられ、雨が降るとぬかるみになりそうな所には砂礫が盛られている。

 よく見ると魔物避けと言われている植物が、道の端をなぞるように植えられていた。

 きっとどんな時でも重たい水を運ぶために考え、それを突き詰めた結果なのだろう。

 動機はどうあれ、状況を打破しようとしていく姿勢が感じられた。

(一人でこの作業を続けたのですか……。忍耐強いというか何というか……)

 少し呆れつつ少年の顔を思い浮かべる。


 実はフィンは俗に言う下層民の出身ではない。

 いわゆる戦争孤児というやつで、十年前に町にやってきた冒険者が置いていった子どもだった。

 ただ、捨てられたのかというとそうではない。

 冒険者たちは危険な旅に子どもを連れて行きたくないという、どちらかと言えば慈悲の心による行動だった。

 しかし、置いていかれた子どもにしてみればショックであったであろうことは想像に難くない。

 ヘルマンは幼いフィンに寄り添うようにしていたが、やがてダニエルの養子として引き取られて行った。

 その後のダニエル家のフィンに対する言動や行動を見ると、当時の彼は後悔の念に苛まれた。

「思えば、私は昔から人を見る目がないのかもしれませんね」

 自然と呟きが漏れた時、視界が一気に開けた。

 フィンがいつも水を汲んでいる水辺。

 彼がボウに助けられた場所。


 視線の先には、呆然として河原に腰を落ち着けている少年の姿があった。

「フィン」

「……なんだ町長かよ。よくここがわかったな。誰にも言ってねーのに」

 ヘルマンの方を向いた彼の顔は腫れていた。

「私はもう町長ではありませんよ。……それよりまったく、ダニエルめ。子どもに手をあげるなんて相変わらず何を考えているのか……」

 河原に腰掛けていたフィンの顔は片側が腫れていた。

「町長の口からそんな言葉が出るなんて珍しいな。……まっ心配してくれているところ悪いけどしょうがねーさ。仕事を終わらせられなかったし、あんな目立つ場所で発言した俺も悪いしな。自業自得じゃねーか?」


 彼は本当に自分が悪いと思っているのだろうか?


「そうは言いましても、大人は子どもを守る義務があるんですよ」

「はん、そんな義務は初めて聞いたぜ。じゃあ、俺を捨てて行ったあの人たちもカスってことじゃねーか……」

 フィンはどこか悲しげに川面に目を向ける。


「……フィンは、九尾ナインテイルズを知ってますか?」

「ナイン……? 」

「そうです。その様子だと知らなそうですね。じゃあこのビフレス島の身分制は知ってますか?」

「なんだ、そんなことか。急に変なこと聞くんだな。王侯貴族・商人・職人・平民の四階級に分かれているあれだろ? こんなのこの島で暮らしている奴は誰だって知ってるだろ」

「そうですね、では”四民平等”という言葉は聞いたことありませんか?」

「しみんびょうどう? 」

「はい、あなたが先ほど言っていた身分制を廃して、ビフレスに生きるヒトを一人の人間とみなそうという意味です」

「なんだそりゃ。よくわかんねーけど、そんなことできないに決まっているじゃねーか」

「どうしてですか?」

「……困る奴らがいるからだろ。みんな自分の身が一番大切なんだよ、きっと」

「……そうですね。この島に、ヒトの意識にこびりついている身分制度は強固なもの。その強固なものと戦うのが……九尾ナインテイルズという組織なのですよ」

 ヘルマンはまっすぐ少年を見る。

 フィンはいつもと少し雰囲気の違うヘルマンから妙な圧を感じて目を逸らした。

「……随分とご苦労なことをやっている奴らもいたもんだ」

「そうですね。しかし行動は起こさないと何も始まりませんから……」

「ふん」


 二人の間にわずかに沈黙が訪れる。

 なんとなく視線を上に向けると、一筋の黒い煙が見えた。

「おい、町長、あれって……」

 エンデンのある方角から黒煙が立ち上がっている。

「まさかっ?! フィン!!この場所で隠れていなさい!!」


 ヘルマンとボウの予想よりだいぶ早い。

 エンデンに危機が迫っていた。

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