第5話

「……今日含め二〜三日中にはボレアスを滅ぼした大群がここにやってくると思われます」


 北の街ボレアスのことはエンデンの人々も知っている。

 ストランド卿は平民の出自でありながら、その身一つで男爵位まで上り詰めた、いわば庶民の憧れだった。

 近くの村や町の子供たちの中には、ストランド男爵の英雄譚を真似るごっこ遊びが流行るほどに親しまれているといってもいい。

 そんな人物が治めていた街を滅ぼすなんて、一体どれほどの凶悪な魔物の大群なのか想像すらできない。


「あ、あんたがそんなこと言ったって何の証明にもならねぇだろう。もし来なかったらどう責任とるんだよ!」

 そうだ、そうだと幾人もの村人が同調して大きな声となる。


 ボウは困ったように肩をすくめると町長の方を見た。町長はその後を引き継いだ。

「……仕方ないですね。皆の気持ちはわかりました。それでは、町に残るも避難するもそれぞれ好きにしてください。国には先触れとしてすでに書簡を送っています。もし逃げるならクラウソラスを目指すといいでしょう」

「なっそりゃ無責任だろ!! 町長なんだからこの町の住人に対しての責任があるだろ!」

「……そうですね、それは確かにあると思います。なので、先ほどの、それぞれ好きにするように、という指示をもって私は町長を辞めさせてもらいます。次の町長は……ダニエル、あなたがやってください」

 突然の町長の辞意表明に混乱する場。

 混沌とする場において、次期町長に名指しされたダニエルは内心大喜びだった。

(バカな野郎だ。よそ者の言うことなんか信じてわざわざ町長を降りるなんてよ)


「町長、突然名指しするからびっくりしたじゃねぇか。……俺には荷が重すぎるぜ」

「ふっ、何を言いますか。今この場にいるのはダニエルではないですか。……私より住人の心がわかっている何よりの証拠ですよ」

「そう言われて悪い気はしねぇがよ、時期はどうすんだよ」

「……では今この瞬間から町長はダニエルということにしましょう。今後のことよろしく頼みました。皆もそれでいいですか? くれぐれも命を大事にするように」

「ふん、わかった。じゃあこれから俺が町長として、町をまとめていくぜ。今までご苦労さんヘルマン」

 荒れていた場は新町長の誕生という、極めて珍しい形で幕を閉じた。

 フィンはヘルマンがその場から立ち去る姿をただ見送ることしかできなかった。



 夜が更けた頃。

 ヘルマンとボウはテーブルをはさんで薄明かりの下、ちびちびと酒を嗜んでいた。

「今日は珍しいものを見たよ。慎重なあなたらしくもない」

「私とて人間ですから。……堪忍袋の緒が切れたんですよ」


 二人の間には親しげな空気があった。

 まったくの他人という訳でもなさそうだ。

「そうは言ってもここ、エンデンを抑えるのは僕たちにとって最優先だった。それを簡単に捨てる決断をするなんて」

「……ボウ、あなたがそれを言いますか。わかっているから何も言わなかったのでしょう? 実際に大群と対峙したあなたが、エンデンではどうしようもないということを」

「まぁ……そうですね。町の防備、住人の質、どれをとってもボレアスには及ばない。どうにもできないのが道理ですよ」

 くいっと酒をあおる。

「でしょう? 団長には悪いのですが、できないことはできません。……それに、正直ここの住人にはうんざりしている面が多いのですよ」

 今までの悩みをすべて吐き出したのかと思うほど深いため息を吐いた。

「フィンのことですか? 確かにこの町は他の地域より色濃く身分制を引きずっているように見えました」

「そうですね……この町の住人の多くは非常に保守的で、なかなか価値観を変えることはできませんでした」

「そうでしょうね。……僕たちは正しいのでしょうか」

「”正しさ”なんて考えるだけ無駄だからやめておきなさい。それは後の時代の人間が判断することです。……年上である私からの最後のアドバイスですよ」

「そういうものですか……」

「そういうものです。ああ、そうそう。アドバイスついでに一つお願いをしてもいいでしょうか? あなたの腕を見込んでのお願いです」

「……ヘルマンから僕にお願いなんて珍しいこともあるんですね」

「子どもをあてにする大人になんて普通なりたくありませんよ……。とは言え今回だけはあてにさせて欲しいですね」

 こうして静かな笑いとともにまた酒を酌み交わしていった。

(『堪忍袋の尾が切れた』……か。でも多分、あなたはここの人を見捨てないんでしょうね)

 ボウはこの昔馴染みの男の気質をよく理解していた。


 明朝。

 ほとんどの住民は町に残ることを選んだ。

 そうした中でも、わずかばかり逃げる選択をする人がいたのは僥倖か。


「……ではクラウソラスまでは私が護衛としてついていきます。道中は安心してください」

 昨夜のヘルマンとの話し合いの結果、ボウは避難する住人の護衛として同行することになった。


「––それではボウ様、よろしくお願いします」

 ヘルマンは深々と頭を下げた。

「……はい、任されました。ヘルマンさん、あなたも無茶はしないでくださいね」

 簡素な挨拶のあと、馬が荷馬車をひいいてガラガラと進みだす。

 彼らの殿を務めるボウは、遠くなる町をちらりと一瞥した。

 それはまるで目に焼き付けるかのようだった。

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