第3話
「なんと……ボレアスが壊滅したのですか」
家に招き入れられたボウは、応接間に通され大きなテーブルをはさみ町長と向かい合っていた。
「はい。私自身は最後までその場にいられなかったため確証はありませんが、おそらくあの魔物の大群を止める力はボレアスにはなかったと考えています」
「にわかに信じられません……。ボレアスといえば、あのストランド家が納める町。武勇のみで爵位を得た現ストランド家当主の一騎当千の活躍は私どもの耳にも届いてきています……。それが……」
町長はため息とともに視線を落とす。
「はい、町長のおっしゃる通りストランド卿は聞きしに勝る勇将でした。しかし、今回は相手が多すぎたのです。それに魔物たちは統率の取れた動きで、守りが手薄な所を狙って回る、というような状況でした……」
ボウはその時のことを思い出し悔しそうに歯を食いしばった。
自軍の状況と相手の戦力を鑑みて、ストランド卿はボウをこのことを知らせる伝令役として送り出した。
ところが川に停泊させていた小型の舟にボウを乗せたところで、魔物の襲撃に会い舟は大破。ボウも脱出することができずそのまま流れに飲み込まれてしまったのだと言う。
「わかりました。お辛いことをお話していただきありがとうございます。……単刀直入にお聞きしますが、ボウ様は次に狙われるのがここエンデンだとお考えなのですね?」
「……はい、その可能性は非常に高いと考えています。現にフィン殿に助けられてすぐに、ゴブリンたちが舟に乗って川を降ってきていました。おそらくあいつらは偵察隊です。……私がフィン殿を助けた際にすべて処分したので、すぐに本隊が動きだすことは考えにくいですが、動き出したら最後、ボレアスを襲ったときと同じ規模の魔物たちが襲ってくると思います」
「そうですか……。あくまでエンデンは旅人に向けた商人の町。戦える者を集めた所でボレアスには及ばないでしょう。寄り合いを開いてすぐに避難の準備を始めた方が良さそうですね」
二人はどこか分かり合った様子で静かに頷いた。
フィンが家に戻って時間があまり経たないうちに、この家の主人が不機嫌を隠さずどこかに外出していった。
不機嫌さの中に物々しさを感じたことで、フィンは何かが起こりそうなことを肌で感じた。
水汲みの最中に助けた男、名前はボウと言ったか。
年齢で言えば自分と対して違わないにもかかわらず、戦う力があり、言葉の端々にも教養を感じた。
フィンは幼い時から、この家の居候となり召使いのような日々を過ごしてきた。
否、召使いよりもひどい奴隷と変わらぬ扱いを受けてきたといっていい。
フィンに与えられたわずかな物にはある絵本があった。
稚拙なストーリーと掠れた文字、擦り切れたページから察するに客の誰かが忘れていったものなのだと思う。
しかしそんな粗悪な本ではあったが、幼いフィンにはキラキラしたものに感じられた。本を開けばそれは世界を救う勇者の話。
いつか自分もこうなりたい、という憧れは数年も経つとはっきりと妄想の類だと言うことに気づく。
そして幼いフィンは夢を捨てた。
本の中の勇者のような存在と出会うことはない。
まして自分が勇者になれるわけもない。
そして今日に至る。
次々とゴブリンを倒していくボウは格好よかった。
助けらていたのは自分だが、まるで他人事のようにその状況を俯瞰していた。
憧れていた世界の住人が突如として目の前に現れた感覚。
そして、遠い日の想いがジクジクと疼く感覚。
あの男は、休める所を探している、なんて言っていたがそんなわけないだろう。
なぜならあれだけ魔物と戦える力を持ってながら、足場が安定しない川を移動手段として選んだのだ、何かがあってよほど急いでいたか、もしくはそれしか道がなかったから。
(きっとよくないことが起こるんだろう。……まっそれでもこんな生活が続くのなら何があっても悔いはねーか)
「そういえば……北といえばボレアスの街があったな」
ふと二年前に主人の従者として同行した時のことを思い出す。
初めて見た他の街はフィンの目にとても眩しかった。
街を覆う分厚い石壁。
四つある門を抜けた先の道を結んだ点にエンデンにはない大きな屋敷。
街にいる人々の屈託のない笑顔。
同じ人なのにエンデンの住人とは明らかに性質が違った。
主人がその街の商人と交渉ごとを行っている間、フィンは自由に行動させられた。
その際に多くの人から声をかけてもらったり、その街の子どもと遊んだりといった経験は、彼の薄暗い幼少期の体験の中で唯一輝いていた時間だったのは間違いない。
(ダメだな……。こんなこと思い出しても何にもなんねーのに)
こうしてフィンはこの日4回目の水汲みに出かける準備をする。
正直魔物は怖い。
あの場所に戻ってまた別の魔物がいたらどうしようと考えてしまうと足が竦む。
ただ、だからどうしたと言うのだろう。
怖い? 足が竦む?
そんなにも生きたいと思える人生か?
フィンは幼少期からのひどい経験で、理性と感情と体を切り離す感覚を学んでいた。
結局、感情との折り合いはすぐにつき、いつもより少しばかり大きい桶を木の棒の両端に吊るし町を出た。
なにせ夜までに貯水槽の水をいっぱいにしておかないといけないのだ。
すでに時間はあまりない。
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