第2話
旅人の町エンデン。
ビフレス島の南西にある小さな町だ。
魔法国家ベルに属し、北はフルトクランツ平原、南は幻惑の森に挟まれている。
豊かな水量を湛えた川はフルトクランツ平原を縦断し、エンデンの近くを抜けていた。
幻惑の森の入り口に位置し、かつ川の近くで発展したことによって、エンデンはいつしか旅人や冒険者が立ち寄る宿場町として機能している。
時刻は中天にさしかかる前。
賑やかな町の入り口にフィンとボウの姿があった。
「さぁついたぜ? ここがエンデンだ。とりあえず貯水槽にこの水を溜めてくるからちょっと待ってくれ」
両手の木桶をチラリとみるとフィンは家に向かう。
ボウは黙って彼の後に続いた。
町を歩いているとフィンのような下層民が様々な仕事に従事している。
重たそうな荷物を運ぶ人、繋いだ馬の世話をしている人、堆肥を運ぶ人、彼らは皆一様に無表情でどこか疲れた顔をしていた。
ボウが後ろから観察していると、フィンはある一軒の家の前まで来た。
そして、裏に回ると板壁の一部に同化しているような古ぼけた木戸を開けた。
金属の蝶番は錆びているのか少し甲高い音を立てる。
フィンが体を木戸の中に滑り込ませようとしたところ、突然彼が殴られたように後ろに倒れ持っていた水をぶち撒けた。
「このカスがっ!! たかだか水を汲んでくるのにどんだけ時間かかってんだよっ!!」
いや、殴られたようにではなく、正しく殴られたのだ。
フィンは半身を起こすと自身を殴り飛ばした主人を見た。
「んだよ? 文句あんのか? このクズ! せっかくの水も全部こぼしちまいやがってよぉ!! 水を入れるだけの簡単な仕事もできないようなクズには、晩飯ももったいねぇ。お前今晩は飯抜き、馬屋でも寝るな、わかったな?」
最後にフィンに唾を吐くと、ようやくその様子を見ていたボウ・ブラードの存在に気づいた。
「……お前このクズになにか用でもあんの?」
「失礼、ぼ、私の名前はボウ・ブラード。先ほどそちらのフィン殿に助けられた者です」
「苗字持ち……どちらかの貴族様ですか? いやぁ申し訳ありません。このクズのせいで気が立ってしまって妙な言葉遣いが出てしまいました。ところで助けたとは? コイツが、あなたをですか?」
フィンを殴った人物は、一瞬顔を蒼白にさせたもののすぐに調子を取り戻した。
「はい、危ないところでした。ところで、ついでに町長の家まで案内していただく約束をしていまして。もちろんその後で改めてお礼に伺わせていただこうと思ったのですが……」
「おおそうでしたか! それはとんだ失礼をしました。どうしようもない奴ですが、案内くらいなら使い物になるでしょう。……おい、いつまで寝てる!さっさとボウ様を案内してこんか!!」
貴族からのお礼がある、ということで主人は喜色満面に、びしょびしょになったフィンを蹴飛ばす。
「……承知いたしました。どうぞ、こちらです」
フィンは無表情に口元の血を拭いながら立ち上がると、ボウの前を歩きだす。
ボウは主人に一礼すると彼のあとに続いた。
「申し訳なかった。僕が余計なことを頼んだばかりに……」
「ああ? そういうのいいから。どうせ何したところで結果は変わんねぇよ。昨晩奥様と派手に喧嘩してたみてぇだからな」
「虫の居どころが悪かった、ということかい……」
「まっそういうこった。今日に始まったことじゃねぇから、あんま畏まられても困る。アンタが旦那様にお礼をするっていったお陰で機嫌も直ったようだしな。けど、どうすんだ? あんたその剣と身一つしか持ってねぇんだろ? その上、貴族なんてホラまで吹いてよ」
フィンは彼を助けた時、貴族みたいなもの、と聞いたことを指す。
「あの状況をみたらつい口をついて出たんだ。まぁ、両方ともなんとかするから君は心配しないでくれ」
他愛ない会話をしているとすぐに町長の家に着いた。
フィンが呼び輪で扉を叩くとコッコッと乾燥した音が響く。
「……はい、どちら様ですか?」
少しだけ間があってから扉が開いた。
中から顔を覗かせたのは妙齢の女性。
「あら、フィン君じゃない。珍しいわね。今日はどうしたの?」
「ふん、フィン君って……、わざわざ俺を君付けするのはおばさんだけだぜ。ところで急で悪いんだけど町長はいる?」
フィンの随分と柔らかい態度にボウは面食らう。
(随分気を許してるんだな)
出会った時からどこか刺々しい空気を醸し出していた少年とは別人のようだった。
「はいはい、いますよ。何かお話があるのかしら? どうぞ中に入ってちょうだい」
「あっいや俺は関係なくて、こっちの人が話があるんだってよ。俺は仕事に戻らなくちゃ……」
「……そう、残念ね。じゃあまた今度顔を出してね」
「と、いうわけだからよ。俺は行くわ。じゃあな」
彼はボウの方を一瞥するとまた元の道を歩いていった。
「……と、これは失礼しました。私はボウ・ブラードといいます。詳しくは中で話をさせてください。この町が危ないのです」
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