第2話 妻の微笑み
夜遅くに誰かが屋敷の門のベルを鳴らした。最初は依頼人かと思い、着替え始めたのだったが、その人物は依頼人では無く、妻のイザベラだった。イギリスにある彼女の実家から帰ってきた様子だった。私も仕事で各国を飛び回っていたため、久しぶりに彼女と会うことができ、嬉しかった。
廊下の両端に並ぶメイドや執事達を通り抜け、前にいる妻に近づく。妻はフリルのついた黒色のコートを着ており、その下に長いドレスを着ている。髪は美しくカールにされ大きな真紅のリボンでまとめられている。その美しい姿に見惚れていると、妻はにっこり微笑んで、甘い声で私に話しかけた。
「ただいま、あなた。どうしたの?元気がないわね。」
妻の聞き慣れた声に私はほっとした。
「いや、なんでもないよ。君の帰りはまだかと心配していたんだよ。」
優しく声をかけると、妻は今までに無く柔らかに微笑んだ。娘達も二階から降りてきて、妻の姿を見ると玄関まで降りてきた。妻もゆっくり娘達に近づき、交互に娘達を見て二人を抱き寄せた。
「ただいま。ヴィクトリア、アナスタシア。」
娘達は妻の洋服の袖のフリルに包まれるようになっている。
「お帰りなさい。お母様。」
二人も母を抱いた。妻がにっこりしながら二人と手を繋ぎ、居間へ引っ張っていく。妻はこちらを振り向き、私を手招きした。彼女に従って、私も居間へ入る。丁度前を通ったメイドに紅茶と菓子を用意させるように命じると一人掛けソファに腰を掛けた。娘達と妻もそれぞれの席に座り、三人で話している。普段無口なアナスタシアも楽しそうに喋っている。私はそんな楽しそうな姿を見ながらメイドが用意した紅茶を飲んだ。妻と娘達も紅茶を飲みながら、菓子をつまんでいる。
しばらくの間話に花を咲かせた後、妻がもう遅いと二人を自室へ帰るよう促した。二人がそれぞれの部屋に戻ると、今には私と妻の二人、そして数人の掃除をするメイド達だけが残った。妻はこちらを見ながら私の手を彼女の白い手で握って微笑んだ。
「さぁ、私達も休みましょう。」
彼女は彼女の腕を私の腕に絡めた。廊下を進み、我々の部屋へ入る。一人でいると広すぎるように感じるこの部屋も、二人でいれば丁度良い。彼女はシャワー室に入り、シャワーを浴び始めた。暖かな空気が流れ込んでくる。
しばらくすると妻がバスローブ姿で出てきた。シャンプーのほのかな良い香りを漂わせている。
「お酒、飲まない?一息つきましょうよ。久しぶりに会えたのだし。」
久しぶりの再会に、私も私の任務と彼女のこれからの立ち回りについての話をしたいと思っていたところだった。机の上に置かれたベルを鳴らす。しばらくすると、執事が年代物のワインの瓶と二つのワイングラスの置かれた盆を持ってやってきた。妻がワインをグラスに注ぎ始めた。丁度良い量に注がれたグラスを片手に、その上品な香りを楽しんだ。彼女もゆっくりとグラスを回している。その心地よい沈黙を破るように、
「実は話があるんだ。この任務の事と娘達の事だ。」
彼女の顔がこちらを向いた。
「私は彼女達にスパイをやらせるべきじゃなかったと後悔している。」
彼女は不思議そうに私の顔を覗き込む。
「なぜ?彼女達は別に嫌がってやっているわけではないと思うけど?」
私はグラスに入ったワインを無理やり喉に押し込んだ。
「娘達はスパイの仕事を始めてからめっきり静かになった気がするんだ。昔ほど私と喋らなくなってしまったし。あまり笑わなくなってしまったと私は感じるんだ。」
妻が顔を手で覆い隠している。私はしまった、と思い彼女に近づいた。するとイザベラは大声で笑ったのだ。目からは涙が出ている。妻の笑い声が大きい部屋にこだました。私は彼女が何に洗っているのか全く理解することができず、ただ彼女が説明してくれるのを隣で待った。やっと妻は落ち着き、部屋はしん、と静まった。
「あなたって本当に面白いわ。今改めてここで思ったわ。あなたって本当にバカね。」
彼女の言った一瞬分からなかった。はっきり聞こえたバカ、という言葉が耳の中で残っている。私が目を瞬いているとのも関わらず、彼女は話を進めた。
「あなた全然あの子達と向き合ってないのによくそんな事が言えたわね。あなたはあなたが思っているほど彼女達のことを知らないのに。」
彼女は彼女のグラスに入っていたワインを一気に飲み干した。私は彼女がひたすら笑っている顔を見る事以外に何も出来なかった。
「あなたは仕事だと言ってすぐ彼女達の元を離れるじゃない。一緒に過ごしたことは少ししかないのによくそんなことが言えたわね。」
私はハッとした。今まで自分は彼女達に真剣に向き合ったことなどなかったのだ。あの子達が普段何を思い、何を感じ、何をしていたかなんて私は一切知らない。もしかしたら彼女達はそんな物分かりの悪い父親に愛想を尽かしているのかもしれない。横をみると妻が今度は真剣な目で私をまっすぐ見ていた。
「あなたはもう少し彼女達に向き合ってみたらと思うの。彼女達も心を開いてくれるかもしれないわよ。」
そう言うと彼女はベッドから立ち上がり、ドアの方へ歩いて行った。
「おやすみなさい。もう少し自分で考えてみたらいいと思うわ。」
そういいのこして彼女は部屋から立ち去っていった。
二人の強きお嬢様 @H12302024
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