第25話「かすかな容赦」
夜間病院の待合室──白い蛍光灯の下で、理久(りく)と桜来(りんか)凛花(りんか)、そして若いスタッフは足をそろそろと引きずるように進んでいた。すでに夜は深く、時刻は午前2時を回っているだろう。外の世界からは風の音と、遠くから聞こえる犬の吠(ほ)え声がわずかに届くのみ。市街地というほど大きくはなく、田舎の小さな“町立病院”の深夜だ。
「……あの子なら、処置室で診ることになりました。診療体制は万全じゃないけど、とにかくベッドに安置しています」
看護師の一人が冷や汗をかきながら説明している。病院側としても、深夜にいきなり“アコアの患者”が運ばれてくるなど想定外なのだろう。だが、理久たちの切迫した様子を見て、無下に追い返すこともできず、最低限の応急処置を試みてくれている。
「すみません、ありがとうございます……」
理久は何度も頭を下げる。看護師は「どうやら体温が上昇気味みたいですけど、普通の体温計じゃ正確には測れませんね。点滴を打つように体液補給を試してみますが……効果があるかどうか」と困惑の声を漏らす。
(それでも、少しでもアルマの苦しみが和らげば……)
凛花は胸を痛めながら「点滴が効くのかしら……。彼女には特殊な機構があるし、血液成分だって人間とは違うのに……」と小声でつぶやく。若いスタッフも顔を曇らせ、しかし首を横に振った。「何もないよりマシかと……。企業に戻るなんて選択肢はありえないし……」
(そうだ。どんな不安があろうと、もうラボへは戻れない)
理久は強い決意を胸に抱きながら、アルマが運び込まれた処置室のドアを見つめる。医師はいないのか、看護師だけが応急的に対応している状態。ここが夜間専門の小さな病院である以上、メディカルスタッフは限られているのだろう。もし重症の人間の患者が来れば、対応に手一杯になる可能性もある。
「皆さんは、待合室でお待ちください。いまアルマさんを安定させるのが最優先なので……」
看護師の言葉に、三人は頷(うなず)くしかない。アルマを追い詰めたラボの暗い影が、すぐそこまで迫っているかもしれないが、この病院で闇雲(やみくも)に騒げば周囲に怪しまれてしまう。
#### * * *
待合室は、昼間なら普通に人が行き交っているだろうが、深夜なので誰もいない。薄っぺらいベンチがいくつか並び、隅には自販機が置かれている。凛花は自販機でペットボトルの水を買い、疲労困憊(こんぱい)の理久とスタッフに差し出す。「ちょっと飲んで。休まないと、また走れないよ」
「うん……ありがとう……」
理久は飲み物を口にし、乾いた喉(のど)を潤(うるお)す。血走った目を閉じると、昨夜のことがフラッシュバックのように蘇(よみがえ)る。ラボからの逃避行、夜道でのバイク集団との対峙(たいじ)――そして奇跡的な軽トラの助け。あまりにもドラマチックすぎる経緯を経て、今ここにいる自分が信じられないほどだ。
「これからどうする……? 朝になれば、病院に警察や企業の人が来るかもしれない。私たちだけじゃもう対応できないわよ……」
凛花が息を詰めながら言葉を落とす。若いスタッフも肩を落とすように続ける。「そうですよね……。この病院側も ‘企業と関わりたくない’ ってなるかもしれないし……。やっぱり通報されちゃったらアウトかも……」
かといって今すぐ逃げ出すわけにもいかない。アルマは夜間での応急手当を受けている最中だ。冷酷な企業のラボから救い出した彼女を、また無理に連れ出すのはあまりに危険すぎる。ここで体力を回復しなければ外を走り回ることすらできないだろう。
理久は苦い表情で頭を抱える。「俺たちが望むのは、アルマが ‘普通に生きる’ 道だ。それが法律や企業の圧力で閉ざされるなら、警察も……いや、どうにもならないのか……?」
凛花も歯噛みする。「たぶん現行法だと、アコアは所有物扱い。もし企業が ‘あの子はうちの製品だ’ と主張してきたら、私たちには対抗する根拠がない。アルマが ‘ひとりの人間同様の意志を持つ’ といくら言っても、法律は認めてくれないわ……」
若いスタッフが顔を覆い、涙を落としかける。「それって、結局どこに行っても同じなんですか……。アルマさんは永久に ‘誰かの所有物’ になってしまうのか……」
誰も答えを出せない沈黙。少なくとも病院での一晩は凌(しの)げるかもしれないが、その先は闇が広がっている。もし企業や槙村(まきむら)が昼間に乗り込んできたらどうなる? 病院は民間の医療機関にすぎず、法的拘束力を発揮する権限はない。アルマを連れ戻されても防ぎようがないのが現実だ。
(そんな結末を許すわけにはいかない……だが、一体何ができる?)
理久が苦しげに拳を握る。そのとき、処置室のドアが開き、夜勤看護師の一人が足早に近づいてきた。表情はやや緊張気味だが、深刻というわけでもないようだ。
「えっと、今のところ、アルマさんは落ち着いてますね。いちおう点滴で人工血漿(けっしょう)みたいな液を流したら、体温がほんの少し下がったみたいで……ただ、やっぱり人間用機器だから正確には測れないんです。今、看護師長に連絡してますが……もしよければ、どなたか一人だけ付添いできますよ。アルマさんが ‘理久さんにそばにいてほしい’ と言ってるので……」
看護師の言葉に、理久は驚いて目を見開く。アルマが自分を呼んでくれている――病院に来てからわずか数十分しか経っていないが、彼女は寂しさや不安を抱えているのだろう。
「え、あ、はい……分かりました。俺が行きます!」
すぐに立ち上がる。凛花とスタッフも納得してうなずき、「アルマをよろしくお願い」と送り出してくれる。夜勤看護師は「では、こちらへ」と案内し、廊下を通り抜けて処置室へ。病院の夜間照明が少し明るいせいか、ラボの冷たい蛍光灯よりは幾分あたたかみを感じる。
「どうか……隠れていたいけど、仕方ないわね。今はアルマを休ませるのが優先か……」
凛花が若いスタッフと顔を見合わせ、再び待合室の椅子に戻る。何もできないもどかしさが、彼女たちの胸を締め付ける。だが、いまは理久がアルマを支える最良の存在だろう。
#### * * *
処置室
ドアをくぐると、ベッドが一台だけ置かれ、その横に点滴スタンドが立っている。アルマは白いタオルケットを掛けられており、天井の蛍光灯がまぶしいのか瞳を細めている。先ほどよりは顔色がわずかに良くなった気もするが、まだ痛々しいほど弱々しいオーラを纏(まと)っていた。
「アルマ……大丈夫か?」
理久が声をかけると、アルマはかすかな笑みを浮かべてこっちを見つめる。「うん……ありがと。ボク、思ったより辛くはないかも……でも、身体の奥が熱いの……」と震える声で告げる。
「そっか……看護師さんが言ってたよ。点滴が少し効いてるみたいだって。落ち着いたならよかった……」
理久はベッド脇の椅子に腰を下ろし、アルマの手をそっと握る。暖かさと脈のようなかすかな振動が伝わってきて、彼女の命を改めて感じる。どこか愛おしさが込み上げ、「本当に無事でよかった……」という言葉が自然と零(こぼ)れる。
すると、アルマは瞳を閉じ、儚(はかな)い笑みを作った。「理久さん……ボク、こんなの初めてだよ。『人間用の』病院に来るなんて……場違いかもしれないのに、優しくしてくれて……嬉しい……」と涙声になる。
「場違いなんかじゃない。お前は人間と同じ ‘心’ を持ってるんだから……当たり前に扱われるべきなんだよ……」
理久はそう言い切りたい気持ちに駆られるが、現実は厳しい。法律や社会が認めるかどうかは別問題で、いま目の前の看護師たちが『人助け』として処置してくれている状況は、奇跡にも近い。アルマが存在する限り、この国はまだ“人とアコアの境界”を超えていないのだから。
アルマは苦しげに呼吸を整えながら、そっと手を握り返してくる。「ボク……怖かったよ、夜の追いかけっこ……。バイクの人たちが ‘アコアを渡せ’ って……この先ずっとこんなのが続くの……?」
その問いに、理久は返事に詰まる。正直、逃げ切ってこの病院に着いても、完全に安全になったわけではない。彼女を狙う勢力や企業の圧力は、ここで終わるとは思えない。しかし、覚悟はある。
「夜が明けても、俺たちがいる。お前を絶対に ‘もの’ になんかさせない。死ぬ気で守るよ……」
アルマは微かに目を潤ませ、「ありがとう……。それでも、ボクにもし ‘危険な力’ があるなら、みんなが傷つくかもしれない……」と寂(さび)しげにつぶやく。彼女自身が抱えるハッキング能力や軍事レベルの力がまた悲劇を呼ぶ可能性を、ずっと恐れているのだ。
理久は首を振る。「お前は人を救ったろ? 施設であんなに頑張って……。その力が危険かどうかは、お前の心次第だろう。使い方を変えれば誰も傷つけず、むしろ助けられる。だからこそ、お前は……自由に生きないといけない……」
その言葉にアルマはわずかに頷(うなず)き、薄く笑みを返す。「うん……。がんばる……。ボク、もっと ‘人間みたいに’ 心を成長させたいんだ……」
#### * * *
しばらくして、看護師が「どうですか、会話は落ち着きましたか?」と声をかける。アルマは点滴しながらも意識ははっきりしているが、長時間の会話は疲労を招くかもしれない。理久は「わかりました、ありがとう……もう少しだけいさせてください」と頼む。看護師は困った顔をしたが、「ではもう5分だけですよ」と小さく溜息(ためいき)をついた。
その短い猶予の間に、理久はアルマへ最後の確認をする。「この病院にずっとはいられないと思う。明日以降、企業や槙村(まきむら)たちが来るかもしれない。もし……また逃げなきゃならなくなったら、体は動く? 夜までに回復できそう?」
アルマはきっと歯を食いしばり、頷く。「ボク、がんばる。昼間に眠って回復するよ。何より、あの企業に捕まるのは絶対嫌だから……」
「よし。じゃあ俺たちは、その間に逃げ道を探す。少なくとも街の端にタクシー会社があるかもしれないし、逃げられるルートを確保しておく。必ず戻るから、看護師さんに ‘できるだけ入院したい’ と伝えて時間を稼いでくれ。大丈夫?」
「大丈夫。任せて……。ボクも何かあれば内部端末をハッキングして情報取るから……」
そう言うと、アルマはわずかに指を動かして微笑む。まだ力は残っているのだろう。理久の胸に少し安堵(あんど)が広がり、看護師が来る前に、そっとアルマの手を握る。
「夜が明けても、諦めない。……お前は ‘物’ じゃない。必ず、俺たちが守る」
アルマは涙を一筋だけこぼし、「ありがとう……理久さん……」と静かに言葉を漏らす。そのタイミングで看護師がカーテンを開き、「時間です。アルマさん、もう少し休んでくださいね」と声をかける。理久は軽くうなずいて彼女の手を離し、再び待合室へ戻る。
#### * * *
外はまだ夜の帳(とばり)だが、病院内部は不気味なまでに静かだ。凛花と若いスタッフが目をこすりながら立ち上がり、理久の顔を見つめる。「どうだった? アルマは……?」
「今は落ち着いてる。点滴が効いて、体温も少し下がったみたいだ。……企業が襲いに来る前に、俺たちで逃げる段取りを作らないと」
その答えに、凛花とスタッフは小さく安堵(あんど)しつつ、相変わらずの緊張を隠せない。
「そりゃよかった。とにかく朝になる前に、逃げ方を考えよう……。いくら田舎でも、朝になれば人の目も増えるし、企業が ‘捜索願’ とか出したらあっという間にバレるかもしれない」
「うん。タクシーかバスか、何かしら手段がないか探そう。……でも深夜にそんなに動き回るのも危険だけど、待ってるだけじゃ詰(つ)んじゃうし……」
理久は心底疲れ果てた表情で椅子に腰掛け、天井を仰ぐ。心と体はもうボロボロだが、最後の気力を振り絞るしかない。ここにいる看護師たちは優しく対応してくれているが、いつ企業の連中が押し寄せてもおかしくない状況だ。
と、そのとき。待合室の自動ドアがシュッと開き、深夜の涼風が入り込んできた。看護師らしき人影が一瞬見え、「ここは夜間出入口で……」と声を上げるが、すぐに何者かが「すみません、緊急の用件で……」と割り込むような姿勢をとる。
嫌な胸騒ぎが走る。凛花と若いスタッフが同時に目を合わせ、理久も身構える。企業か槙村(まきむら)か――どちらにせよ追跡が始まったのかもしれない。隠れる場所などこの待合室にはなく、扉の近くが丸見えだ。
やがて、ドアの奥からレインコート姿の中年女性と、やや背の高い男性が現れる。二人とも疲れた顔で、手には何かデータ端末を持っているが、企業関係者には見えない雰囲気だ。看護師に「あの、子どもが怪我してて……」と話しているところを見ると、どうやら普通の患者のようだ。
「……企業じゃないのか」
若いスタッフが胸を撫(な)で下ろし、凛花もほっと息を吐く。視線を外して座り込む。これが連絡を受けた警察なら一大事だったが、ただの夜間患者ならこちらも怪しまれることはないだろう。
(だが、時間の問題だ。いつ企業が来てもおかしくない……)
理久は苦い感情を抱えながら立ち上がり、「俺たちで周辺を調べてくるか」と凛花に提案する。夜の町を少し巡り、タクシーや公共交通の情報を得られないか探したいのだ。若いスタッフは病院で待機してアルマの様子を見守るという役割を担う。もし企業が来れば即座に連絡し合うことにする。
「分かった。私たちはそんなに離れず、近くの通りを歩いてみる。24時間営業の施設やコンビニがあれば情報が得られるかもしれないし……」
「うん、気をつけて。アルマが目覚めたら、私がすぐ報せに行くね……企業が来たらそっちも大変だけど……」
こうして彼らは二手に分かれる。理久と凛花は病院を出て夜の町へ足を進め、若いスタッフが待合室でアルマを守る形をとる。夜はまだ深い。星が見える澄んだ空だが、路地は暗く人影もまばら。数分歩いただけで疲れが増すが、ともかくこの町の地理を少しでも掴(つか)みたいのだ。
外へ出ると風がさらに冷たく、凛花が身震いする。「あれ……昼間より断然冷える。こんなにも寒いなんて、アルマがいたらもっと辛かったかも」
理久はうなずく。「企業の研究施設も寒かったが、外の冷えは別格だ。こっちは自由な風だけど……」と苦い笑いを漏らす。
路地に出ると、数軒の民家は真っ暗で、人の気配はない。コンビニらしき看板が遠くに見えるが、徒歩で行くにはかなり先だろう。刻々と時間が過ぎれば、企業や警察が動き出す可能性が高まる――心が焦げるように急かされる。
「見て……あっちにタクシー会社みたいなのがある……?」
凛花が路地の先を指す。小さなプレハブ事務所風の建物が見え、看板に “○○タクシー” と書かれているが、中は真っ暗だ。閉店しているのか、夜間の配車受付はやっていないのかもしれない。
「試す価値はある。チャイムかインターホンがあれば、押してみよう……」
そう言って二人は建物に近寄り、ドアを引くが固くロックされている。窓越しに覗(のぞ)いても室内は暗く、人気(ひとけ)がない。呼び鈴のボタンが見当たらず、結局そこからタクシーを呼ぶことは難しそうだ。
「また徒労か……」
凛花が小さく溜息をつく。理久も歯を食いしばり、「くそ……もう少し動いてみよう。コンビニか、別のタクシーがいないか探そう」と呼びかける。凛花は疲れた顔で頷くが、足取りは重い。それでも戻るわけにはいかない。
#### * * *
夜の街を十数分歩く。商店街も大半が閉店しており、一軒だけ遅くまで営業している居酒屋やスナックらしき看板が見えるが、中に突入しても怪しまれるだけだろう。コンビニは思ったより遠くにあり、道に迷いながら少しずつ近づいているが、途中に人影はほとんどない。車の通りすら稀(まれ)だ。
(何て町だ……さっきの軽トラの人がいなかったら、本当に詰(つ)んでた)
理久はぼんやりと考えつつ、アルマを残してきた病院が気になって仕方がない。もし企業が追跡に成功し、すでに病院を包囲していたら――あるいは警察を動かして“逃亡中のアコアを保護しろ” と通達したら、どうなるのか。考えるだけで喉(のど)が渇く。
「……私たち、無謀だったかな……。アルマを守れるって言ったけど、何も決まってない。どこへ行けばいいか分からないまま、病院で夜を越すなんて……」
凛花が鬱々(うつうつ)と呟(つぶや)く。理久も唇をかすかに震わせ、「けど、他に選択はなかった。ラボへ戻ってたら、彼女は……バラバラにされてたかもしれない。少なくとも今はそうならずに済んでる」と自分に言い聞かせる。
それでもこのままでは、朝になれば行方を探す人が出てくる可能性が非常に高い。地元の警察が企業に協力するなら、病院は簡単に“説得”されてアルマを引き渡すかもしれない。そんな絶望的な未来が頭をよぎる。
やがて閑散としたコンビニにたどり着く。看板の灯(あか)りが冷たい蛍光色を放ち、店内は明るいが客はいない様子。店員が一人、レジの後ろで雑誌を読んでいるようだ。二人はここで情報を得られるかもしれないと考え、ドアを開けて入店する。
「いらっしゃいませー」と低い声が飛ぶ。
店内の棚には菓子や飲料が並び、小さな休憩スペースまであるが、客の姿はない。理久と凛花は若干安心しつつ、店員へ話しかける。「あの、夜にやってるタクシーとかありませんかね……?」
店員は半分迷惑そうに「んー、ここの町なら○○タクシーくらいだけど、夜中は受け付けてないんですよね。あとは呼んでも朝まで来ないかも……」と答える。
「やっぱり……。他に移動手段は……バスなんて走ってないですよね?」
「こんな深夜にバスなんてないですよ……。だいたい、こんな何もない町でバスが深夜に走るわけないじゃないですか」
つれない反応だが当然かもしれない。凛花はもう一つ、「えっと、何か24時間営業のレンタカーとか……ありません? ここから行けるところ」と聞くが、店員は苦笑まじりに「ないですねえ……市街まで行けば別ですが、そもそも夜中に開いてるかどうか」と答える。つまり、万事休す。
「……分かりました。ありがとうございます」
理久と凛花はがっくり肩を落とし、店の奥にある休憩用のイートインスペースに腰を下ろす。おにぎりや飲み物を買い、少し落ち着くが、解決策は見つからない。夜明けまでこの町に留まっても危険が増す一方だし、車がなければ遠くへ行けない。
(そんな折に、店外でクルマのエンジン音が聞こえたら、どうなる……? すぐに企業の連中か槙村たちが来るかも……)
神経を張り詰めて外を見やるが、明らかに動きはない。かすかな風が吹き、外灯が道を照らすのみ。どこまでも重い暗さが押し寄せ、解放感とは程遠い現実が胸を蝕(むしば)む。
凛花がうんざりしたように頭を抱える。「どうする……このまま戻るにも、何も変わらないわよ……。アルマが朝を迎えたら、病院に企業が来るかもしれないし……」
「でも行動しなきゃ……医療が終わったら彼女はまた動けるかもしれない。そしたら俺たちで一緒に歩いてでも隣の市街まで行くしかないな。遠いかもしれないが……」
理久は胃の奥が痛むほどの不安を押し殺しながら、そう結論を出す。
“隣の市街” ならタクシーや鉄道がある可能性も高いし、アルマを匿(かくま)ってくれる仲介者を探せるかもしれない。難しいプランだが、ゼロではない。まずは夜が明ける前に病院へ戻り、アルマと合流して朝までに出発……。
(そうしよう。疲弊しきってるが、俺たちにはそれしかない)
決めたら少しだけ迷いが晴れる。夜勤のコンビニ店員をこれ以上巻き込むわけにもいかないし、ここは一刻も早く病院へ戻ろう。脱出計画が未完成でも、アルマの回復具合をみて判断するしかないのだ。
「分かった、帰りましょ。アルマが心配だし……もし企業が来てなかったら、そこでまた話し合おう」
凛花が息を吐き、立ち上がる。理久も同意して飲みかけのペットボトルを片付け、店を出る。外の路地は変わらず暗く、冷たい風が袖口(そでぐち)に入り込む。
(外を動くのは危険だが、アルマを置いておけない……)
そして二人は夜の町を戻っていく。わずかに東の空が紺色から薄紫へ移り変わりつつある時間帯。夜明けが近いのかもしれない。企業や警察の捜索が本格化する前に病院へ着かなければ、帰路で捕まる可能性も高い――そんなスリルに包まれ、足取りが速くなる。
(アルマ、お前は今どうしてる……? 少しでも楽になれてればいいが……)
心の中で問いかけながら、理久は正面を見据える。凛花も呼吸を整え、先を行く道を急ぐ。どちらも決して口にしないが、“追跡” は簡単に止まるわけがないと感じている。企業は絶対に黙っていないし、槙村(まきむら)もバイク集団が失敗したと知れば別の手段を使うだろう。
(まだ戦いは続く。でも、アルマは自由を掴(つか)もうとしている。その可能性を捨てたくない……)
夜はけたかを示すように、うっすらと空が明るみ始める。ラボの暗闇を逃れてきた四人は、いまだ闇の中で揺れ動きながらも、その先の光を夢見て足を進める。たとえ企業や法の壁に阻まれようと、アルマを “物” として扱わせない――その思いが、激しく疲弊(ひへい)した身体を奮い立たせる唯一の炎だった。
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