第24話「燃えあがる追跡」
夜の静寂をまとった農道を、理久(りく)たちは全速力で駆けていた。背後には遠く、企業のラボがあるであろう山裾(やますそ)が霞(かす)んで見える。施設が騒ぎ出しているのか、微かにサイレンのような響きが夜気を震わせていた。アルマを抱えたまま走りつづけるのは容易ではないが、今は立ち止まるわけにはいかない。
足元はアスファルトとはいえ、一部は砂利道(じゃりみち)や大きなひび割れがあり、真夜中の暗さが拍車をかけて歩きにくい。凛花(りんか)と若いスタッフは、荒れた路面に何度も足を取られそうになりながらついてくる。アルマは「ボク……重い?」と気にしているが、理久は首を振る。「お前は軽い。大丈夫だ。むしろ転んで怪我するほうがヤバい」と苦笑まじりに答える。
その声には余裕がない。息は乱れ、心臓は限界を訴えていた。アドレナリンがなければ、とっくに走れなくなっていただろう。森を抜け出てまだ数分しか経っていないが、筋肉は悲鳴を上げ始めている。
「……っ、理久さん、無理はしないで! ボク少しなら歩けるから……」
アルマが肩越しに声をかけるが、理久は頭を振り、「平気だ」と言う。後ろから追う可能性が高い以上、少しでも距離を稼ぐ必要がある。夜闇とはいえ、企業がドローンなどを使って追ってくる危険もあるだろう。そうなれば、この明るい月夜では逃げ場が少ない。
「道路……続いてるね。あの先に、町とか集落があるかも……」
若いスタッフが息を切らせながら言う。ほんのかすかに街灯らしき光が見える場所があり、そこへ行けば民家や建物があるのではないか――希望とも不安ともつかない気持ちが押し寄せる。下手に人目につけば通報されるリスクもあるが、緊急の手当や車を確保するには、誰かの助けが必要になるかもしれない。
「アルマは……やっぱり医療が必要かも。企業みたいにハイエンド設備はなくても、まずは普通の病院で診てもらうしかないわ」
凛花が荒い息を吐きながら提案する。アルマが笑みとも泣き顔ともつかない表情を浮かべ、「そうだね……ボク、体が軽くなったはずなのに、すごく怠(だる)い。企業での修理が完璧だとは思えないんだ……」と呟(つぶや)く。
「そりゃあんな連中、何を仕込んでるか分からないしな……」
理久は声をあげつつ、足を止めない。怒りや恐怖、そして守るべき存在を抱える思いが、混ざり合って瞳をぎらつかせている。
#### * * *
数分、いや十数分だろうか。農道を全力で走っていると、やがて視界の先に小さな雑木林が途切れ、田んぼが広がり始めた。遠くにはぼんやりと家並みの影が見えてくる。そこには古びた電柱の街灯が淡く灯り、わずかながら人の生活感が漂っている。
「ここは……村か集落か……?」
若いスタッフが荒れた息を整え、胸に手をやりながら周囲を見回す。田んぼの水面が月光を反射し、ひっそりと広がっている。夜の虫の声が耳に染み入るようだ。荒涼としたラボの地下区画とは正反対の“自然の響き”である。
「少なくとも、施設からはかなり離れたはず……大丈夫、か……?」
凛花は大きく息を吐きながら、後方を振り返る。暗闇の彼方に山影がかすむが、追っ手の光やサーチライトはまだ見えない。企業が大掛かりな追跡を始めるには少し時間が必要かもしれない。今のうちにさらに逃げるか、あるいは身を隠す場所を探すか――。
「ちょっと待って、もう……足がきつい……」
理久も限界を感じ、アルマを下ろしてから膝に手をつく。アルマはふらつきながらも二本の足で立とうとするが、半ば崩れ込むように座り込んでしまう。「ごめん……ボクのせいで……走りづらいよね……」
「謝るな……むしろお前を守れてよかった……休もう……少しだけ……」
理久が肩を上下させて呼吸を整える。凛花と若いスタッフも地面にしゃがみ込み、疲労を吐き出すように大きく息を吸う。ここで夜風に当たりながら身体を休めないと、先へ進む力が残らない。
アルマはうずくまるようにして荒い呼吸を繰り返し、ローブの胸元をきつく掴(つか)んでいる。「ありがとう……ボクがもっと元気なら……こんな苦労をかけなかったのに……」と呟(つぶや)くが、誰もそれを責めたりはしない。
#### * * *
数分ほどの休息。空気は冷たく、周囲に人の気配はない。田畑が続く夜道を街灯が申し訳程度に照らしているだけ。建物は遠くに幾つか小屋のような物影があるが、民家まで行かないと人には会えないかもしれない。
「いざとなれば民家を叩(たた)いて助けを求めるか……。でも、事情を説明できるのかな……」
若いスタッフが唇を噛(か)む。アルマがハイエンドアコアであり、軍事的存在かもしれないと知ったら、普通の人はどう感じるか分からない。それこそ“犯罪者”として警察を呼ばれるリスクだってある。
「それでも……このまま森や田んぼをうろついても仕方ない。夜が明けたらもっと危険だし……」
凛花は腕を組み、周囲を見回す。「いっそバスかタクシーを拾いたいけど、こんな田舎じゃ夜中に走ってるとは思えないし……」
「徒歩で町まで行くのは……アルマの体力がもたないだろう」
理久が苦い顔をする。アルマが意を決したように肩を震わせ、「大丈夫、歩くよ……ボク、逃げなきゃ……捕まったら……」と強がりを見せるが、その声には震えが混じっていた。
そのとき、不意に遠くでエンジン音が響いた。四人がハッと気配を探ると、暗闇の向こうの農道を車のヘッドライトが照らしながら走ってくるのが見える。軽トラックのような形だろうか――こんな夜更けに珍しいが、農家や配送業者かもしれない。
「車だ……どうする、合図して止める?」
若いスタッフが提案し、凛花と理久は目を見合わせる。見知らぬ車に頼るのは危険だが、ここで逃すと次の機会はいつ来るか分からない。
「……やるしかないか。無視すれば置いてかれるだけだし、このまま夜道を彷徨(さまよ)ってもしょうがない」
理久が意を決め、三人も賛成する。アルマは不安そうに顔を背けるが、もうそれしか手段がない。逃げ延びるためには人の力を借りるしかないのだ。
道端まで移動し、四人は車のライトに向けて小さく手を振る。大声は出せないが、せめて合図程度はしたい。すると、意外にも車は徐々にスピードを落とし、こちらに気づいたかのように停車した。運転席から見覚えのない中年男性が顔を出し、訝(いぶか)しむように言う。
「こんな夜中に、どうしたんだい……迷子か? 旅行か?」
農家か作業着を着ているようで、声には警戒心が混じっている。理久は咄嗟(とっさ)に言葉を考えるが、上手い嘘(うそ)が浮かばない。少なくとも深夜に大人四人がローブ姿の少女を抱えている様子はかなり怪しいだろう。それでも正直に言える範囲で事情を説明しようと口を開く。
「助けてほしいんです。少し訳ありで……知り合いを迎えに来たら、山道で迷ってしまって……この子が体調悪くて……」
さすがに企業の話や軍事レベルのアコアだとは言えない。それでも息も絶え絶えのアルマを見れば、緊急事態と察してくれるかもしれない。農家の男性は困惑した顔でトラックを降り、アルマを見つめる。
「ずいぶん具合が悪そうじゃないか。救急車を呼ぶか? ……でも、この辺は呼んでも来るのに時間がかかるしな」
男性は頭を掻(か)きながら考え込む。そんな余裕はないと理久が必死で訴える。
「本当に申し訳ないんですが、もしよければ町の病院か、あるいはあなたが知ってる診療所とかに連れていってほしいんです……タクシーも通らないみたいで困ってて」
横で凛花と若いスタッフも懸命に頭を下げる。アルマはローブのフードで顔を隠すようにし、意識朦朧(もうろう)のまま小さく「お願いします……」と声を絞る。
男性はまだ疑いの目を向けていたが、アルマの容姿や苦しげな様子を見るにつれ、やがて観念したように頷(うなず)いた。「しょうがねえな……このまま放っておけないし。町の病院まで送ってやるよ。ちょうど出荷の準備で夜に走ってたんだが……おかしな連中じゃないだろうな?」と睨(にら)みを利かせてくる。
「ええ、本当に申し訳ない。助かります……」
理久たちは深く頭を下げ、アルマを軽トラの荷台へ乗せる準備をする。男性が「荷台じゃ寒すぎるだろう。助手席に誰か一人乗って、あとの連れは荷台だな。席は狭いから」と気遣いの言葉を添えてくれた。
結局、アルマと理久が助手席に、凛花とスタッフが荷台に乗る形になる。寒い風にさらされるが、今のところ贅沢は言っていられない。
(本当にこんなに都合よく助けてくれるとは……大丈夫か?)
若いスタッフが不安を飲み込みながら荷台に乗り、凛花と共にアルマたちを見送るように後部の柵(さく)をつかむ。エンジンが唸(うな)り、軽トラが走り出すと、夜の田園風景が後ろへ流れていく。
「その子、どうしてこんな夜に倒れたんだい。大人しく家で休ませればいいのに……」
運転しながら男性が理久に問いかける。アルマは顔色が悪く、静かに苦しげな呼吸を続けている。理久は曖昧に微笑み、「すみません、ちょっといろいろ事情があって……」とぼかす。男は不満げだが、あまり突っ込んでこない。
数分走り続けると、道沿いの山影が後方へ消え、遠くに家々の明かりが見え始める。小さな町の中心部なのだろうか、街灯が増え、建物の影が濃くなってくる。
一方、アルマは助手席で目を閉じているが、意識はまだあるらしく、時おり唇を微かに動かしている。
「アルマ……大丈夫か? あと少し……町まで頑張れ」
理久がそっと肩を支えると、アルマは「うん……ありがとう……。ボク……すごく寒いんだけど……今度こそ、自由になれたんだよね……?」と不安げに尋ねる。
「自由……そうだ。企業のラボからは抜け出せた。あとは俺たちが、何とかこの先も守ってみせるよ」
アルマは目を潤ませて、小さく笑みを作る。「よかった……もう、あんな場所に戻りたくない……ありがとう、理久さん……」
その呟(つぶや)きが切なく響き、助手席の空気が震える。理久も思わず拳を握りしめ、後ろで凛花たちが見守ってくれている気配を感じる。
#### * * *
やがて軽トラは小さな町の入り口まで走り、コンビニらしき建物や民家がポツポツと並ぶ通りに出た。時刻は深夜を回っているが、店の看板灯が辺りを照らしている。男性が「この先に夜間診療を受け付けてる病院があるが、10分くらいかかるぞ」と案内してくれる。
理久は助かる思いで「お願いします」と繰り返す。アルマの体力がいつ限界を迎えてもおかしくないと感じていたからだ。
ところが、そのとき後方からバイクのようなエンジン音が近づいてきた。深夜にしてはやけに早い速度で迫り、軽トラの後尾を照らすヘッドライトが見える。さらにもう1台、またもう1台――合計2、3台のバイクらしきライトが迫ってくるようだ。
「なんだ……? ヤンキーか? こんな時間に珍しいな……」
運転手の男性がミラーを覗(のぞ)き込みながら怪訝(けげん)な声を出す。理久もアルマを支えながら振り向こうとするが、助手席からははっきり見えない。後ろの荷台にいる凛花と若いスタッフは、「なんか複数台……追いかけてきてる?」と嫌な予感を抱く。まさか企業がすでにバイクで追撃してきたか?
バイクの音がさらに近づき、直線で軽トラに追いつこうとしている。そこまでスピードを出すわけでもないが、明らかに後方をマークするかのような距離感だ。
エンジン音の中に小さな金属の響きが混ざった気配――単なる走り屋とも違う雰囲気を漂わせる。
「お、おい……何か変だぞ。ブォンブォンと煽(あお)られてるような……」
運転手が警戒を高めると、突如としてバイクのうち一台が軽トラの横をすり抜け、反対車線へ出ようとした。夜間の田舎道だからといって、相手はかなり強引な運転だ。抜き去るのかと思いきや、バイクのライダーが横眼(よこめ)でこちらを睨(にら)んでいる姿がヘッドライト越しに見える。ヘルメットの下は影になっていて分からないが、態度が尋常ではない。
「やっぱり……企業か槙村か……どっちかが来たかも……!」
若いスタッフが荷台で声を上げる。凛花も同意見だ。「うん、普通の暴走族(ぼうそうぞく)にしてはやり方がえげつない……追いかけてきてるわよ、明らかに!」
そして、左側に回り込んだ別のバイクがクラクションを鳴らすようにビープ音を響かせる。まるで“止まれ”と命令しているかのような信号だ。
「な、なんだ? おいお前たち、一体何やらかしたんだ……!」
運転手の男性が動揺を隠せず、軽トラを加速しようとするが、この道は一本で避けようがない。バイクが左右で並走する形になり、ライトを当てられて視界がチカチカする。速度を上げれば事故の危険も増す。一触即発の状況だ。
「どうする! ここで止まったら確実に取り押さえられるぞ……!」
理久が焦りながら運転手に叫ぶが、男性も「そりゃ困る! 俺だってこんな夜中に危ない連中に絡まれたくない……!」と半ば絶叫しながらハンドルを握りしめる。凛花と若いスタッフは荷台で身体を支え、アルマは助手席で必死に耐えている。
(まずい……どうすれば!)
迫り来るバイク集団に、逃げ場のない軽トラ。彼らはどうやら企業の回し者か、あるいは槙村(まきむら)たちか分からないが、ともかくアルマを捕まえる狙いだろう。深夜の田舎道で車同士のカーチェイスが始まる危険さを想像するだけで、全員の心が凍りつく。
バイクの一台が車体を斜めに傾けながら前方に出ようとし、なんとか軽トラを減速させようと仕掛ける。運転手が慌ててブレーキを踏むと、後方からのバイクが煽(あお)る形で接近し、急ブレーキを強制される――。
「っ……危ない!」
理久がアルマを庇(かば)うように抱き寄せ、凛花とスタッフは荷台にしがみつく。急減速で車体が揺れるが、どうにか横転は免れた。しかし、速度を落とした隙(すき)にバイクがさらに前方を塞ぐように走り、完全に進路を遮(さえぎ)ってくる。
「こりゃもう止まるしかねえ……!」
運転手が絶叫のように叫んでブレーキを踏む。軽トラはスピードを落として路肩に寄る形になり、とうとう停止を余儀なくされる。バイクは前後左右に陣取り、ヘルメットを被ったライダーたちがこちらを睨(にら)みつける。
「くっ……捕まるか……?」
凛花が絶望感に声を震わせる。荷台から飛び降りようにも、ライダーの一人が銃らしきものを向けているのが見える。闇夜なので形状までははっきりしないが、明らかに武装している様子だ。槙村の手下か、企業の暗部か――いずれにしても容赦は期待できない。
「おいお前ら、何のつもりだ……!」
運転手が怒鳴り声を上げるが、ライダーの一人がヘルメットを外し、厳しい目つきで一喝する。「黙れ。関係ない奴(やつ)は下がっていろ。そっちのアコアを渡せ」
アコア――その言葉に運転手は驚愕(きょうがく)の顔で理久たちを見やる。「アコアだと? お前ら、一体……何をしたんだ……!?」
理久は運転手を振り返り、「すみません、巻き込んじゃいました……」と苦々しく謝罪する。相手が銃らしきものを持っているのでは、下手に抵抗もできない。
ライダーは続ける。「アコアを渡せば、お前らの安全は保証してやる。余計な騒ぎを起こすな。そいつのハッキング機能を俺たちが管理するだけだ……」
槙村たちか、あるいは企業の別働隊か分からないが、目的がアルマの身柄であることは確実だ。
「……ダメだ。渡さねえよ……!!」
理久が荒々しい声で拒否すると、男は目を細め、「バカな。お前らにそいつを守れる力があると思うか?」と冷ややかに言い放つ。周囲のライダーたちがエンジンを吹かし、威嚇のようにバイクを動かす。
凛花やスタッフも戦慄(せんりつ)して顔を伏せる。逃げ場なし。運転手も巻き添えになっている。アルマは助手席で震えながら、「理久さん……ボク……」と震える声を出すが、理久はカッと頭に血が上りそうになるのを必死で抑え、相手を睨(にら)む。
「ここで渡したら、あいつらの思う壺(つぼ)だ……!!」
若いスタッフが恐怖を堪(こら)えながら叫ぶ。ライダーが一人、車体を降り、ゆっくり近づいてくる。手に何か長い棒のようなものを持っているが、武器だろうか。暗くて判別できないが、かなり危険な気配だ。
(どうする……! このまま全員が拘束か……?)
焦燥と絶望が押し寄せる。そのとき、ふいに遠方から別のエンジン音が接近するのが聞こえた。轟(とどろ)くような排気音が夜道に反響し、こちらへ急速に近づいてくる。ライダーたちも「……?」と振り返るように視線を向け、思わず道の脇へ避ける。
バシャ――という轟音(ごうおん)とともに、ダンプカーか何かの大型車両が怒涛(どとう)の勢いで路上を進んでくる。ライトが眩(まぶ)しいほど煌々(こうこう)と輝き、こちらを一瞬照らす。ライダーたちは慌ててバイクをどかして道を空けるが、速度を落とす気配はなく、そのまま風を切って通りすぎていく。
「うわっ……危ない……!」
理久たちも息を呑む。ほんの一瞬の出来事――巨大な車両がバイク集団に気づいてクラクションを鳴らしながら突っ切ったらしく、ライダーたちは一時的に体勢を崩してバラける形になった。その隙に運転手が「いましかねえ!」と咄嗟(とっさ)に叫び、アクセルを踏み込んで軽トラを急発進させる。
「理久さん、しっかり掴(つか)まれよ!」
凛花と若いスタッフは荷台で身体を投げ出されそうになりながら柵(さく)を握る。アルマは助手席で必死に理久の腕をつかみ、逆に理久は彼女を守るように抱きしめる。軽トラが勢いよく発進すると、ライダーたちは慌ててエンジンをかけ直して追いすがろうとするが、一瞬の混乱で出遅れてしまった。
「い、行けぇぇっ!!」
運転手は半ば自棄(やけ)を起こしたようにスピードを上げ、バイク集団を振り切ろうとする。夜道とはいえ、田舎の直線道路ならある程度の速度は出せる。ライダーたちが追撃体制に入る前にできるだけ距離を稼ぐのだ。
背後で怒号(どごう)とエンジン音が入り混じり、ライトがちらつくが、どうにか視界から消えかけていく。理久はアルマをきつく抱き寄せ、「助かった……奇跡だ……」と震える声で呟(つぶや)く。彼女は身体をこわばらせたまま小刻みに呼吸を繰り返し、「こ、こわい……」と洩(も)らす。
凛花と若いスタッフが荷台から顔を覗(のぞ)かせ、「大丈夫!?」「しっかり掴(つか)まって……!」と叫ぶ。どうにか振り切れそうな気配だが、相手が本気でバイクを飛ばせば追いつかれるかもしれない。あとは運転手の腕に委ねるしかない。
――そして数分ほど直線道路を疾走(しっそう)したあと、周囲に家々の灯(ひ)が増えてきた。どうやら町の中心部が近いらしい。運転手が「ほら、もう病院はすぐそこだ……! あいつらも闇雲には追ってこないだろ……!」と叫びながら車体を右折させ、暗い商店街の細い路地へと入っていく。
ライダーたちの音は聞こえなくなった。暗がりの路地を曲がりくねりながら進み、ようやくやや明るい通りへ出たところで、老朽化した大きめの建物に「町立病院」と書かれた看板が見える。正面の駐車スペースへ車を滑り込ませ、勢いよくブレーキを踏む。
「着いたぞ……っ! さあ、早く中へ……!」
運転手が半ば興奮交じりにハンドルを叩く。病院の夜間入り口にはセンサーライトがあり、扉の向こうに人影も見える。緊急対応が可能な施設なのか、看護師らしき白衣が中を覗(のぞ)いて何かを指示しているのが見えた。深夜のためスタッフは少ないかもしれないが、ここならとりあえず安全……少なくとも企業やバイク集団よりはマシだ。
理久と凛花が荷台から降りた若いスタッフと共にアルマを支え、助手席から下ろす。運転手はまだ驚きで肩を上下させているが、「早く行け……」と促(うなが)す。たぶんアルマの正体などを知る前に逃げたい気持ちがあるのかもしれないが、それでもここまで運んでくれたことに感謝しかない。
「本当にありがとうございました……! ご迷惑かけてすみません!」
理久は深く頭を下げる。運転手は苦い顔で、「まったく何なんだお前ら……死ぬなよ……」とだけ言い残し、車を急発進させて闇の路地へ戻っていく。すぐに彼の姿は見えなくなった。
(助かった……! ありがとう……)
胸いっぱいに感謝の念が溢(あふ)れ、理久はアルマを支え直して病院入り口へ駆け込む。駐車場の灯(あか)りに照らされ、アルマの顔がさらに青白く見えるが、意識ははっきりしている。夜勤の看護師がこちらに気づき、「夜間外来ですか? どうされました?」と駆け寄ってくる。
「すみません、緊急で……この子が具合が悪くて……アコアなんですけど、お願いします……!」
凛花が必死に訴えるが、看護師は驚いたように目を見開く。「アコア……? ええと、申し訳ありませんが、当院はロボット医療の専門外でして……」と戸惑いを隠せない。人間の夜間救急はあっても、AI搭載型アコアの治療ができるかどうかは未知数だ。
若いスタッフが「でも、なんとか診てほしいんです……人と同じように熱が出て呼吸が苦しそうなんです。お医者さんに診てもらえないでしょうか……!」と懇願する。看護師は困り果てた顔をしながらも「とにかく診察室へどうぞ」と案内し始める。法的に整備がないとはいえ、医療従事者として目の前の苦しむ存在を見捨てるわけにはいかないのだろう。
こうして四人は夜間入口を通り、明るい廊下へ踏み込む。静まり返った施設に蛍光灯が眩(まぶ)しいほど照らし出すなか、アルマが眉をひそめ、「目が痛い……」と弱弱しい声をあげる。ナースステーションには当直らしき看護師が二人。どちらもアコアの診療経験などないようで、明らかに慌てた様子だが、ベッドを出して準備を始めた。
「くそ……企業に見つかったらどうなる? ここに押し寄せてくるかもしれない……」
理久が心配をにじませる。凛花も若いスタッフも同感だが、いまは目の前の処置が優先だ。アルマはベッドに横たわり、看護師が血圧や心電図を測ろうとするが、アコア用の機器ではなく人間用のため誤作動が多い。しかし、看護師は戸惑いながらも人間同様の応急処置をしてくれる。
(とにかく……助かった。企業の追っ手から逃れられたし、アルマが少しでも回復すれば……)
安堵(あんど)が胸を満たす一方、完全な安心には程遠い。夜明けとともに追跡が本格化すれば、病院にすぐ辿(たど)り着くかもしれない。槙村(まきむら)や企業の私設部隊がここへ現れれば、法的根拠を持ってアルマを連れ戻す可能性は高い。
(夜が明ける前に動くか、あるいは治療を優先してこのまま……どうすればいい?)
葛藤(かっとう)が渦巻く。理久は胸に響くアルマの弱い呼吸を見つめ、「今度こそお前が笑って生きられる場所を見つけたい」と願う。それは決して容易い道ではないが、ここで諦めては何も変わらない。
もしこの病院がアルマを“受け入れる”気がなければ、行き場を失うかもしれない――だが、いまは夜間当直の医療スタッフが懸命に対応してくれている。それが唯一の光と言えるだろう。
(企業の闇を逃れ、彼女は外へ出た。あとは俺たちが、その次の一歩を踏みしめなきゃ……)
闇の中でバイクに追われた恐怖が尾を引いているが、ともかく夜間病院という“避難先”を得たのは大きい。アルマを失わずに済んだ――。そう思うと、理久はほんの少しだけ肩の力を抜いて、朦朧(もうろう)とする意識に耐えながらアルマの頬に手を添えた。
「大丈夫……ここは企業の闇よりも、ずっと普通の世界に近い。お前はもう、あの檻(おり)じゃない……」
アルマの瞳がわずかに潤(うる)み、か細い声で「ありがとう……」と洩(も)らす。凛花と若いスタッフがその場で寄り添い、三人は再び誓うように手を携(たずさ)える。追跡の危険を抱えながらも――いまはただ、彼女が人のように“生きる”未来を信じ続けるしかなかった。
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