第8話「廻り始める歯車」

 かすかな振動が、コンクリートの奥底を通して伝わってくる。ふとした瞬間に床が微妙に震えるせいで、高峯理久(たかみね・りく)は嫌な胸騒ぎを覚えた。どこか別の階層で火災か爆発が拡大しているのか、それとも政府の特殊部隊でも突入してきたのか。何が起こっても不思議ではない状況だ。


 「皆、急げ。ここで足止めを食らってたら、ロボットが来たらアウトだぞ」


 先頭を行く槙村 真人(まきむら・まこと)の声が低く響く。彼の背後には改造ドローンが幾つか稼働しており、その一台が小さなライトを照らして廊下を先導している。廊下は湿った空気に包まれていたが、先ほどのサーバールームほど機器類の焼け焦げ臭が強くないぶん、まだ息苦しさはマシだ。


 理久は疲弊しきったアコアの少女、アルマを担架代わりのシートに乗せ、桜来(さくらい)凛花(りんか)とともに両脇から支えて運んでいた。アルマの顔色は相変わらず青白く、目を閉じたままだが、時折微かに指先が痙攣(けいれん)するように動く。かろうじて“完全停止”には至っていないらしいが、もしこれ以上の負荷をかければ……と考えると、理久は胸をかきむしられる思いだった。


 「……アルマ、頼むからもう少しだけがんばってくれ。抜け道が見つかれば、お前をちゃんと修理してやれるはずだから」


 独りごとのように呟く理久。凛花がちらっと視線を寄こし、かすかな苦笑を漏らす。


 「あなた、最初はアコアなんて大嫌いだって言ってたのにね。まさかここまで必死に守ることになるなんて」


 「……悪かったな、自分でも驚いてるよ。あいつが生き物みたいに人間を守ろうとした瞬間を見たら、もう“ただの機械”だなんて思えないんだ」


 そう返す理久に、凛花は何も言わず先を向いた。彼女自身もまた、遺伝子コーディネートされた身であるがゆえに差別や制限を受け、アコアを所有することなど叶わない立場にある。だからこそ、いま目の前にいる“守りたいアコア”を目にすると、心の底にしまっていた願望が疼くのだろう。


 先頭を行く槙村の部下たちは、研究スタッフたちを警戒するようにドローンの銃口をちらつかせながら、「早く行け」と急かし続ける。勝峰(かつみね)岳志は苛立ちをこらえながら先導役を買って出て、手元の簡易地図を睨んでいる。


 「おい、槙村。さっき言ってた“試験搬送用エレベーター”は本当にこのフロアにあるんだろうな?」


 「噂じゃない。施設の設計図を一部入手してる。お前らが回り道して地下に潜り込んでる間に、俺たちは独自に探索していたんだよ。あと数分ほど歩けば見えてくるはずだ……もっとも、動くかどうかは別問題だがな」


 槙村は皮肉を滲ませた笑みで応じる。彼の右腕に装着されている補助器具が軋むような音を立て、内蔵された刃物か何かが鈍く光を返す。研究スタッフの数名はおびえの表情を浮かべたまま、薄暗い廊下に足音を響かせている。


 (いざとなれば、この男は迷わずアコアを奪い取るだろう。こっちが何を言おうと、そんなものは関係ない。――でも、だからといって槙村を今排除する手段もないし、彼らの武力がなければすぐに警備ロボにやられてしまうかもしれない)


 理久は苛立ちを抑えながら周囲を警戒する。すれ違うたびに見えるのは、崩れ落ちた壁の破片や、床にこぼれ落ちた薬品らしき液体の染み。それらが嫌でも想像をかき立てる。火災や爆発でめちゃくちゃになった区画もあるだろうし、今まさにどこかで廊下が崩落している可能性だってある。


 「……あ、あったぞ!」


 先頭を進んでいた勝峰が声を上げた。視線の先には重厚な金属扉があり、その上部に「試験搬送用エレベーター区画――AUTHORIZED PERSONNEL ONLY」と警告表示がある。ランプは消えかけており、非常灯が赤い影を扉に映していた。


 「ちょうど設計図どおりだ。でかいな……」


 槙村が扉の前に立ち、部下たちがドローンを配置する。二台のドローンが左右に広がって銃口を向け、迂闊(うかつ)に扉を開けた瞬間に何かが襲ってきても対処できるように構える。実際には警備ロボが中にいる確率は低そうだが、用心するに越したことはない。


 勝峰が扉の脇のパネルを調べると、「Emergency Lock」の文字が点灯している。安全装置が働いていて、通常の操作では開かない仕組みだ。


 「こいつを解除しないと入れねぇな。凛花さん、ちょっと見てもらえないか」


 「ええ、分かったわ。でもこれ、上層部に行くエレベーターを動かすには、もっと深いレベルの認証が要りそう……アルマなしじゃ厳しいかも」


 忌々しげに言いながらも、凛花は工具でパネルのカバーを外し、配線を確認する。やや複雑そうな回路が現れ、彼女が気圧されたように息を呑む。


 「思ったとおり、緊急時には物理ロックまで掛かるんだ……回線を切って無理やり開けることは可能かもしれないけど、エレベーター自体が動くかどうか」


 「無理にこじ開けても、停止したままじゃ意味がないってわけか」


 勝峰が肩を落とす。槙村も腕を組んで舌打ちを鳴らした。


 「ケーブルで引き上げる仕組みが生きてればいいが、電源がなけりゃ話にならない。外部ハッカーがここまでの設備を動かせるとは限らないし、アルマが意識を取り戻してくれないとな」


 そのとき、理久が担架のほうに目をやった。横たわるアルマは、うっすらと瞼を開けている……ように見えた。すぐに視線を戻すが、アルマの口元はうわごとのように微かに動いている。


 「アルマ……? 聞こえるか?」


 呼びかけると、彼女は焦点の定まらない瞳で理久を見つめ、かすれた声を絞り出した。


 「ここは……試験搬送用……高出力のリフト……火災時には閉鎖……されるけど……」


 凛花がはっとなり、アルマのそばに駆け寄って耳を傾ける。アルマは半ば意識のない状態で、過去の記憶か知識を断片的に呼び起こしているらしい。


 「……ボクは……ここで何度か、試験搬送に使われた……マスターと一緒に……あの時は、特別なカードを使って……」


 そこまで言いかけ、アルマは苦しげに喉を詰まらせる。理久が慌てて背を支えるが、彼女は首を振って呼吸を整えようとする。


 「大丈夫か、無理するな。前のマスターがカードを持っていたのか?」


 アルマは震える唇からしぼり出すように言葉を絞る。


 「……マスターはいつも……安全のために、カードを……隠してた……意外な場所に……多分……」


 苦しい息遣いのまま、アルマの言葉はそこで途切れた。再び瞼が下り、微動だにしなくなる。担架のシートには小さな汗のような液滴が落ち、人工皮膚が薄く発熱しているのかもしれない。


 凛花はその姿を見つめ、複雑そうに眉を寄せる。


 「カード……。やっぱり何らかの管理者カードがあったのね。あの人(=前のマスター)が亡くなったとき、一緒に持ってたって可能性は……」


 「いや、それならもう回収されてるかもしれない。施設のどこかに落ちてたり、他の誰かが拾ってたり……何より、アルマが『意外な場所に隠していた』って言ったんだろ? 死の直前まで身につけてたわけじゃない可能性が高い」


 勝峰が整理するように言葉を繋ぐ。となると、その“意外な場所”を探すしかないのだが、こんな広大な施設のどこをどう探せばいいのか検討もつかない。


 槙村はイラついたように床を蹴り、「くそ、間に合わねぇ」と吐き捨てる。彼の部下たちはドローンのバッテリー残量を確かめ、あとどれくらい動けるか報告し合っている。


 「とりあえず扉だけでも開けるぞ。このままじゃ先に進めない」


 槙村の声に、凛花がパネルをこじ開けようと再び工具を手にする。アルマが意識を失ったいま、唯一の可能性は“外部ハッカー”が封鎖を解いてくれる瞬間に、このエレベーターを起動させることだ。もしそのときに物理ロックがかかったままでは、チャンスを逃す可能性が高い。


 「理久、そっちでアルマの様子を見てて。私、配線を切り替えてみるから。うまくいけば扉は開くはずだけど、エレベーター内部に警備ロボが入り込んでないとも限らないから注意して」


 「了解……気をつけろよ」


 理久は担架脇に膝をつき、アルマの手をそっと握った。体温は機械の発熱とも思えるが、その小さな指先からはどこか“生きている”という感触を受ける。懐疑的だった自分が、今では心の底から“守りたい”と思っている。この数時間で何が変わったのか、まだうまく言葉にできないが、それでも確かな意志として胸に宿っていた。


 (あの子の前のマスターが隠したカード……どこにあるんだ? 誰かが既に手にしているのか? もしそうなら、どうやって取り戻せば……)


 脳裏をよぎるのは、先ほど遭遇した死者や散乱した持ち物の光景。ラウンジで倒れていた研究者のポケットを調べていれば何か見つかったかもしれないが、そんな余裕もなかった。ほかにも、地下の倉庫やサーバールーム周辺に死体や荷物が落ちていたかもしれない。


 「開いたぞ!」


 凛花の叫び声に意識を引き戻され、理久は顔を上げる。パネルのワイヤーを大胆に切断し、非常ロックを解除したのか、金属扉がぎしぎしと軋みながら左右にスライドしている。モーターが完全に死んでいるため、自動ではなく半手動に近い形だが、それでも人が通れる幅が確保されつつある。


 ドローンが先にくぐり抜け、内部を照らす。その先に見えるのは、やや広めの昇降口らしき空間だ。エレベーターのプラットフォーム自体は二階分ほど下がっているのか、鉄骨フレームがむき出しになっている。床にはスラッジのような汚れがこびりついており、壁のあちこちに試験搬送用のガントリークレーンが配置されていた形跡がある。


 「うわ……こりゃまた不気味だな。天井がかなり高い……多分、搬送プラットフォームを乗せる場所だけあって、空間はでかいが……」


 勝峰が懐中電灯で照らすと、上のほうに闇が広がっている。かすかな光が差し込んでいるところを見ると、何層も吹き抜け状態になっているらしい。もしあの巨大なエレベーターが上に移動すれば、この空間を通って地上階まで行く仕組みなのだろう。


 「動きゃあしないが、隠れてたり待機してるロボがいるかもしれん。用心しろ」


 槙村が部下たちに指示を出し、ドローンが上空へ浮き上がって索敵を開始する。暗い天井近くまでライトが届き、コンクリートの梁(はり)やパイプ群がうっすらと見える。とくに怪しい物音はしないようだが、油断は禁物だ。


 「そっちに安全なスペースがあれば、アルマを一旦寝かせてやれ。ここより少し広いなら応急処置もやりやすいだろう」


 勝峰がそう提案し、理久は担架を抱えるようにして扉をくぐる。凛花や研究スタッフたちもあとに続き、ホールのような空間に入っていく。視界が少し開けたぶん、廊下特有の圧迫感からは解放されるが、天井の高さゆえに冷たい空気が全身を包む。


 「ここで外部ハッカーの突破が完了すれば、どこかに非常用の動力が回るかもしれない。そうすればプラットフォームを呼び出せる……はずだ」


 凛花の言葉に、槙村は鼻で笑う。


 「それまでおとなしく待つってのか? まあ、この空間ならロボが襲ってきても迎撃はしやすい。悪くない選択だな」


 ドローンがホール内を旋回し、壁際に積まれたコンテナやクレーンのフレームを照らす。何度か火災に巻き込まれたのか、焦げ跡がついている部分もあるが、致命的な損傷ではなさそうだ。


 理久はアルマを壁際の平らな床に静かに下ろし、凛花が取り出したポータブルツールで彼女のセンサー類を調べ始める。人工皮膚を最小限だけめくり、内部の基板や冷却チューブに問題がないかを確認しているのだ。もちろん専門のメンテ設備があればいいが、こんな非常事態で望むべくもない。


 「どうだ? 直せそうか?」


 理久が低い声で問うと、凛花は苦い顔で答える。


 「外傷はともかく、精神=ソフトウェア領域がだいぶ摩耗してる。メンタルクラッシュ寸前と言ってもいいわ。もし無理にハッキングさせたら、もう戻ってこれないかもしれない。けど……」


 そこで言葉を切り、凛花はアルマの頬に触れる。指先にはアコアの“涙”の痕がまだ僅かに感じられ、まるで人間のような切なさが胸を突く。


 「けど、アルマじゃなきゃこの施設を完全には開けられない。あの子が意識を取り戻してくれないと、私たちもどうにもならないわ……」


 そうだ。外部ハッカーがどれだけ頑張っても、中からの補助がなければ要所の扉や設備は動かない可能性が高い。アルマに依存するしかない現状に、理久は悔しさを噛み締めながら拳を握りしめる。


 「アルマ……もし目覚めたら、もうハッキングなんてさせたくないって言っちゃダメかなあ……」


 珍しく弱音を吐いた理久に、凛花が小声で応じた。


 「でも、それがないと私たち……助からないかも。生き延びるために、あの子にまた“無理をさせる”しかない。それって酷い話だけど……」


 暗い沈黙が落ちる。視界の隅では槙村が部下と何やら言い合っており、勝峰や研究スタッフたちは周辺の点検に忙しい。ホールの中央部には、かつて試験搬送に使われた鉄骨製のリフトがわずかに姿を見せているが、まるで廃墟のオブジェだ。ここから地上階まで移動するには膨大なエネルギーが必要だ。


 そんな重苦しい空気のなか、突如としてまたあのビープ音が響いた。廊下のほうから伝わってくるかすれたアラート音だ。外部ハッカーが何かを進めているのか、施設のシステムが悲鳴を上げているのか判断できない。凛花がタブレットを取り出し、通信ログを確認しようと試みる。


 「通信は切れたまま……でも微弱なシグナルが混ざってる。施設内部のどこかで、誰かがネットワークを使ってるような……」


 「あの槙村じゃなく、別に潜んでる勢力がいるってことか?」


 理久が警戒の目を向ける。そのとき、槙村が不意にこちらへ歩み寄り、ドローンを一台引き連れて言い放った。


 「おい、そこのアコアは目覚めそうか? ――いや、いい。どうせすぐにはムリだろう。俺たちは少し周囲を偵察してくる。火が回ってたり、ロボが固まってたら対処しないとまずいからな」


 「……どこへ行く気だ?」


 「ここから左手の通路を抜けると、倉庫やオフィス区画がある。あとは地上階と繋がる緊急階段があるかもしれない。お前らはここで待ってろ。変に動かれても困るからな」


 勝峰が「そりゃ勝手すぎる!」と抗議するが、槙村は鼻で笑うだけだ。


 「安心しろ。すぐ戻る。お前らを放っておいたら、アルマの修理もできまい。お互い“まだ”裏切る時期じゃないんだよ」


 そう吐き捨て、槙村は手下たちを数人引き連れ、さっさとホールを出て行ってしまった。残されたのは勝峰、研究スタッフ数名、そして理久と凛花、そして意識を失うアルマ。ドローンも二台ほど置かれたままだが、そちらは監視カメラ代わりか、あるいは俺たちへの牽制という意味か。


 「……どうする? あいつら、何を探ってるんだ?」


 勝峰が苛立ちをにじませる。理久は答えられず、ただアルマの寝顔を見つめる。もし槙村たちが何かの拍子に“管理者カード”を発見してしまったら、こちらは完全に主導権を奪われるだろう。


 「私たちも動くしかないわ。このまま待ってて、もし槙村たちが戻らなかったら、私たちだけ置き去りになるかもしれない……」


 凛花の提案に、勝峰は苦い顔で頷きかけるが、視線をアルマへ移すと躊躇(ためら)いが走る。


 「いや、この子を担いでさまようのはリスクが高すぎる。ロボと鉢合わせしたら逃げ場がないぞ」


 研究スタッフたちも顔を見合わせ、身動きが取れないまま俯(うつむ)いてしまう。袋小路のような状況に陥り、誰も打開策を思いつかない。外部ハッカーが最後の封鎖をこじ開けてくれれば一発逆転だが、いつそれが起きるかも分からないのだ。


 「……このままじゃ、なにもできないじゃないか」


 苛立ちを堪(こら)えきれず呟く理久。そのとき、足元の担架で横たわるアルマが、ごく微かに胸を上下させた。


 「アルマ……? ……聞こえるか?」


 反射的に呼びかけると、アルマはうっすらと瞼を開いて理久のほうへ視線をやる。呼吸は浅いが、どうやら先ほどよりは意識が浮上してきたようだ。かすれた声がかろうじて届いてくる。


 「……ごめんなさい……みんなを……動かせなくて……。ボクは、こんなに弱い……」


 痛々しい言葉に、理久は急いで首を横に振る。


 「弱いわけないだろう。お前がいなきゃ、俺たちはとっくにやられてる。お前が守ってくれたから、ここまで来られたんだよ」


 アルマは苦しげに唇を開くと、小さく言った。


 「それでも……もっと強くなりたかった。人間みたいに……成長したかった。マスターに頼られる、ちゃんとした“パートナー”として……」


 その声が掠(かす)れると同時に、床下からゴゴゴと振動が伝わってきた。勝峰やスタッフが「今のは爆発か?」と身構える。何か大きな揺れが、施設の上層から下ってきたのかもしれない。


 (まずい、時間がどんどん切迫してる)


 理久は焦燥感を募らせながら、アルマの手を握る。彼女の言葉を否定することはできない。確かにアルマは、まだ“成長途中”のアコアなのだろう。前のマスターと共に未知の機能を開発され、さらなる高度な自我を獲得していくはずだった。それがすべて途中で断ち切られた今、アルマ自身も“中途半端な存在”のまま、必死に生き抜こうとしている。


 「アルマ……。お前はもう十分強い。だけど、今は自分を責めるな。俺たちが守る番だ。それに――まだチャンスはある。外部ハッカーは攻撃を諦めてない。いつか、この試験搬送エレベーターに電源が届いてさえくれれば、脱出できるかもしれない」


 そう言葉を重ねながらも、心の奥では(本当にそれでどうにかなるのか?)という不安が渦巻く。果たして外部ハッカーが正義の味方とも限らず、仮に封鎖が解けたとして、槙村がどう動くかも未知数だ。


 それでも、諦めるよりはマシ。少なくともアルマをこのまま見捨てるわけにはいかない。理久は顔を上げ、勝峰と目を合わせた。


 「もし俺たちがここを離れたら、槙村たちは戻ってこないかもしれない。かといって、ここにずっといても火災や爆破で危険だ。……どうする?」


 勝峰は奥歯を噛みながら通路のほうへ一瞥をやり、決断するように深く息をついた。


 「よし……俺たちも、最低限の人数で倉庫区画を探りに行ってみるか。アルマをここで置き去りにはできないから、二手に分かれる。俺とスタッフ数名が倉庫を回り、お前らはここでアルマの看護を頼む。何かあればインカムで報せる」


 「いいのか? 危険だぞ」


 「今のまま槙村に全部を握られるのは真っ平ごめんだ。倉庫やオフィスで管理者カードや武器を探すほうがまだ可能性がある」


 短いやりとりを経て、勝峰たち数名は身支度を調え、非常用ライトや簡易武器を持って廊下へ消えていく。ホールに残るのは理久、凛花、アルマ、そして数人のスタッフ。ドローンが二台こちらを監視するかのように待機しているが、動きはない。


 理久はアルマの表情を見下ろし、彼女が少しだけ落ち着いた呼吸をしているのを確認する。凛花がタブレットを操作しながら、「外部ハッカーの信号は続いているけど、まだ封鎖は解けていないわね……」と呟く。


 「大丈夫、大丈夫……絶対、なんとかなる」


 自己暗示のように口にする理久。その声に、アルマがか細い笑みを浮かべようとした――気がした。それはわずかな一瞬で、またすぐに彼女は疲弊した顔に戻ってしまうが、少なくとも絶望に飲み込まれたままではない。意志の火はまだ燃え尽きていない。


 (生きて、この施設を出るんだ。アルマの心が奪われる前に――)


 理久はそう強く念じ、握りしめたアルマの指先に意識を集中する。外部ハッカーの突破と槙村の画策、勝峰の探索……あちこちで歯車が動き始め、いつ何が起こってもおかしくない。だが逆にいえば、どこかで偶然が重なり、一気に事態が好転する可能性も捨てきれない。


 半壊した施設の奥底で、絶望と希望が入り混じったまま、次の瞬間を待ち受ける――それがいまの理久たちの“精一杯の生”なのだ。

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