第9話 絶望
誠一郎は櫻井さんの言葉も通じず、何も口にする事はなかった。今までの楽しい時間がこんな簡単に崩れてしまうと思わなかったからだ。確かに坂本さんから小鈴の寿命が1年だという事を聞いていた。でもALSと聞いて、彼女のアイデンティティである歌も歌えなくなるという事に絶望していた。そして食事もうまく摂れなくなりどんどんやせ細っていく。それでも彼女は、屋上で歌い続けていた。
「やめて…。そんな事をしたら自身が辛くなってしまうよ。」
誠一郎は2度目の手術が近づいていた。体力をつけておかないといけないというのに、絶望しその気すら起きない。ただ彼女を失いたくないという気持ちしか持っていなかった。
そして1週間が経ち、その日は手術日だった。
「田中君。手術室に行くよ。」
「…やめてください。俺の体がどんどん良くなっていっても彼女の体はどんどん悪くなっていく。この前お互いの気持ちを言葉にしあったというのに。あと半年…?そんなのないじゃないですか。」
意気消沈している誠一郎に言葉を返す事が出来なかった櫻井さん。その姿は運命を恨んでいるかのように見えた。しかし前に進ませてほしいと両親から伝えられた櫻井さんは誠一郎の手を掴む。すると同時に誠一郎は櫻井さんの顔面を殴っていた。
「やめてください!!もういいんです、彼女が治らないなら俺も治らなくていい。このまま後遺症を残して余生を過ごす方がましだ!!」
「いい加減にしなさい!!前に言ったでしょう?君の体が治る事を彼女が望んでいるって!このまま手術しないで彼女が死んでしまったら後悔するのは君自身なんだよ!!」
病室でお互いの気持ちをぶつけあう二人。その言い争いは病院中を駆け巡り、今日手術日だから応援しようと病室の前に立っていた小鈴はその発言をもろに受けていた。
「誠一郎君…。やめてよ、そんな事を言われたら傷つくじゃん。」
小鈴は誠一郎の病室の前に来て後悔していた。自身の病気を知ってしまった事に対する後悔ではなく、その病気を知った事で前を向く事が出来なくなった誠一郎に。そしてその日は結局手術が行われる事なく、小鈴もその場から立ち去っていた。
・・・
「どうしたらいいんだ俺は…。彼女を失いたくない。目の前から消えるのが怖い。こんな気持ちは初めてだ。このまま一生過ごしていたい。」
掛け布団を握りしめ、孤独に泣く誠一郎。助けてくれる人がいないと勝手に感じ取ってしまった誠一郎はその後も手術を拒否し、結局1か月が経過していた。その間、小鈴に会う事もせず、ただ時が過ぎ去っていった。
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