白薔薇の咲く街で

燈栄二

1. He is not smiling for me.

目を閉じていても、朝日が昇ってきたことが分かるほどのまぶしさを持った朝。


アルバートは夢に中に戻ることを選ぼうとしていた。まだ同居人が起こしに来る気配もない。


もう少し夢の続きを楽しもうか、なんて思ったところで、階段をのぼる足音が聞こえてくる。


「おはようアルバート、起きてる?」


滑らかなシルクを思い起こさせるような心地の穏やかな声。


アルバートは起きてるよとは返事しつつも布団にくるまり、朝の訪れへと背を向けていた。


だがその声の主、オリバーはそんなアルバートには慣れているという様子で、朝食のメニューを話し出す。


「今日の朝食はトーストとスクランブルエッグ、焼いたベーコンも用意してるよ。君の好きなね」


オリバーのその言葉にアルバートの頭は少しだけ現実へと戻された。


「紅茶は?」


「ミントティーだよ。新鮮なミントが手に入ったんだ」


一日のはじまりを飾る紅茶が何かを確認すると、満足したのか、アルバートはゆっくりと体を起こした。


「おはよう、アルバート」


眠そうに目をこするアルバートにオリバーはそう言って微笑む。しかし、アルバートに見つめられると、拒むように目をそらしてしまう。


光を失った右眼が余計なもののように思えて。


「頼む、車いすを持ってきてくれ。早く摘まれたばかりのミントの香りを堪能したい」


オリバーはアルバートに軽く謝ると、部屋の隅に大人しく置かれている車いすをアルバートのベッドの方へ持っていく。


アルバートはオリバーの手を借りながら車いすへと腰掛けた。


「毎朝すまないな」


「これくらい、当然のことだよ」


きっと今日のミントティーは気に入るよ、と嬉しそうに語るオリバーの話に相槌をうちながらも、アルバートの新緑色の目は、彼自身の足を見つめていた。


置物と化した右足と、膝から下を失った左足。


でも時には、本当は両足があって、子供の頃のように野山を駆け回ることも不可能じゃないのではないか、と思ってしまう。そんな夢もよく見る。


「ちょっとアルバート聞いてる?階段降りるけど大丈夫?」


「すまない、まだ寝ぼけてたみたいだ」


もう、しっかりしてよね、と言いながらオリバーはアルバートと共にゆっくりと階段を降りていく。


ダイニングのテーブルの前にアルバートの乗る車いすを置くと、オリバーはトーストにスクランブルエッグ、さらに朝日を反射するほどに脂身の乗ったベーコンを、綺麗に皿に盛り付けて用意する。


「どう?だいぶ上手くなっただろう」


オリバーは自慢するようにアルバートへ言うと、青い花の描かれたティーカップにミントティーを注いでいく。


「火傷しそうなほどの紅茶を膝にかけられたときのことが昨日のように思いだせるよ」


「あの時はまだ、左目だけの世界に慣れてなかったからね。でもそのことは謝っただろ」


オリバーはため息をつく。本当に呆れているというよりは、アルバートをからかっているだけというものに近いが。


そんなオリバーに、アルバートは冗談だよと話を切りだし


「でも早いな。戦争が終わって三年か。街も復興してきてるし、サンモリッツではまたスポーツの祭典だろう」


ラジオで聞いた内容を話してみる。もう十年くらい前の話になるだろうか。ある国が戦争を始めた。


一度大きな戦争が起こり、世界は平和へと進んでいくと思ったさなかだった。戦場は世界中に広がり、極東まで戦い一色。


そんな大きな戦争は三年前、何とか終結を迎え、二度とこんな戦争は起こさないように世界が動き出している。今度こそ世界平和を実現するために。


「俺としては、お国のために頑張った俺たちにもっとご褒美が欲しいよ。目も足も、返してくれないのかな」


ツン、とミントの匂いが香る部屋の中で、オリバーはそう吐き捨てる。


顔もまともに見たこともないような偉い人の言うことばかりを聞かされて、地獄のような場所から命からがら生還した。


どうして視力を失ったのかもよく思い出せない。ただ、強い光を見たことだけが記憶に焼き付いている。


「どこで落としたのかもわからねーもんは、国も返せないんだよ。それにしてもこのミントティーなかなかに美味いな。毎日飲みたいほどだ」


「流石にこのクオリティのものは毎日だせないよ、我慢して」


分かってるよ、とアルバートは返して、トーストにかじりつく。小麦の香ばしい香りが鼻に抜ける感触を楽しみながら、話題を変えて、今日は何する、なんて話をしてみる。


「そうだね……暖かくなってきたし天気も良いし公園でも行く?」


「ピクニックか? まあ悪くないか。せっかくだし、サンドイッチでも持って行こうかな。それでいい?」


オリバーの提案にアルバートは頷くと、カリカリに焼けたベーコンを頬張った。




玄関側のクローゼットから服を取り出し、リビングで着替えるアルバートに対し、オリバーはキッチンでサンドイッチを紙に包んでいた。


「大丈夫、俺はちゃんと笑えてる」


言い聞かせる。片思いの相手が自分を見てくれない。ロマンス小説で何千回でも見られるような展開の真っ只中。置かれる方も災難だ。


この世界は決して優しくなどない。片目を奪われた時には気付いていたが、心まで返してもらえないとは。


いっそのことアルバートという男をさっぱり忘れてしまえたら。だが脳を切る手術をしたっていいと思えるほど、覚悟は決まっていない。女々しい奴。


「俺はオリバー。アルバートの昔からの友人だ」


バスケットにサンドイッチをつめると、エプロンを外す。部屋着は外出にとってラフすぎる。


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