第28話 躊躇い
◆
「さあ、出てこい! ここでこの娘を殴り殺してもいいのだぞ!」
言葉と同時に、鈍い音がしてミズキがリリギの仲間もろとも跳ね飛ばされた。ふらふらと起き上がろうとした彼女を、倒れている仲間には一顧だにしないリリギが強く蹴りつけ、再び倒れたところを今度は踏みつけた。
僕は呼吸を整えた。
立ち上がり、起伏を越え、僕は斜面を下りていく。
最初にリリギの仲間が気づき、刀を向けた。リリギを含めて全部で十人。おそらく全員がここに集まっているのだろう。
リリギが「出てきたな」と舌なめずりしそうに笑うと、自分の足元で踏みつけにされているミズキに刀の切っ先を向けた。
「アイリ、刀をよこせ」
低い声に、しかし僕は応じなかった。ただゆっくりと歩を進め、リリギへ近づいていく。自然とリリギの仲間が密集し、四人が僕の前に立ちふさがり、残りの五人はリリギのそばに寄った。
切るしかない。
しかし、一瞬で全員を切る術などない。
この勝負はすでに僕の負けと決まっている。
それでも決着をつけないといけない。
「刀をよこせと言っている! 足を止めろ! この娘を殺すことに、俺は躊躇ったりはしないぞ!」
僕は足を止めなかった。
むしろ、腰に帯びている刀の柄に手を置いた。
ミズキの顔が見えた。
殴られてひどい有様だ。血まみれで、どす黒く肌の色が変わっている。歯も折れているようだ。
彼女の視線が僕を捉えた。
死にたくない。助けてくれ。
そんな思いがありありと見て取れた。
僕はいったい、どんな顔をしているだろう。
どんな目で僕はミズキを見ている?
視線を逸らした。
考えている時ではない。
答えは出ているのだ。
目の前に四人が刀を向けている。
僕はゆっくりと刀を抜いた。
そして、切り込んで行った。
僕が刀を抜く、そして襲いかかってくると想像していなかったはずがないが、二人は何もしないうちに切り倒された。残り二人は抵抗しようとしたが、剣術の腕はないも同然だった。僕に刃を掠めさせることもできないまま、首筋を切られ、胴を裂かれてから脳天を割られて崩れ落ちた。
木立の中に場違いなほどの静寂がやってきた。
完全なる沈黙。
や、とリリギが震える声を発した。
「やれ! 殺してしまえ! 殺して刀を奪うのだ!」
僕はリリギの方に向かって歩を進める。向かいから五人が一斉に向かってくる。
横へ走る。横へ横へ。
五人が方向を変えるが、最初の段階でほぼ横並びだったせいで、僕からすれば五人は縦に並んでいるようなものになった。
身を翻し、最初の一人に向かう。
こちらの斬撃を打ち払おうとする刀をかわし、一度、振り下ろした刀を跳ね上げる。刀が宙に飛ぶ。切り離された腕が一緒だった。
二人目は一人目が倒れるより先に切りかかってきた。しかし見え透いた斬撃を避けるのは容易い。返しの一撃で首を断ち割られ、倒れた。
三人目と四人目は呼吸を合わせて同時に向かってきた。
一人の斬撃を避けたところへ、もう一人の斬撃が来る。
仕方なく刀で受け、手首の捻りで切っ先を旋回させ、それに巻き込むようにして相手の刀を絡め取った。そのまま横へ流せば、勢いのついた相手の刀は手から離れた。素早い一撃で、頭から首、胸を切りおろして倒す。
四人目は即座に突っかかってきたが、もはや絶命して立ち尽くすのみの三人目に背中を向けた僕の動きよりは遅かった。
踏み込んだ僕が交差した瞬間に胸を断ち割り、交差の直後にさらに背中を断ち切っておく。よろめいた勢いのまま、つんのめって倒れた。
最後の一人は、完全に気を飲まれていて、棒立ちで僕を見ていた。
リリギが遠くでけしかけている。しかし男は震えているばかり、動こうとしない。
僕が一歩を踏み出した。
男が一歩、下がる。
もう一歩、僕が踏み出した時に男はこちらに背を向けて逃げ出した。木立の中へ、がむしゃらに、無様な様子で逃げ去っていった。
後に残されたのは、僕とリリギとミズキだった。
リリギの顔は怒りのあまりか、赤黒くなっている。震える口元から、低い声が漏れる。
「刀を寄越せ、アイリ」
僕は答えなかった。
対話の時はすでに過ぎた。
今は刀がものを言う時だ。
一歩、また一歩と、僕はよどみなく歩を進めた。リリギに、ミズキに近づいていく。
リリギの手が震え、その手の刀もまた震えた。
「この娘を、殺すぞ! それでもいいのか!」
殺す?
僕の思考は一つのことしか見ていない。
リリギを殺す。
そのためには誰が死んでも、構いはしない。
ミズキは見えた。
しかしもう、彼女のことは考えなかった。
僕は刀を振りかぶった。
リリギが雄叫びなのか、悲鳴なのかわからない声を上げ、刀を突き出した。
僕にではなく、ミズキにだ。
切っ先が、音もなくミズキの背中に沈んだ。
目を見開き、ミズキが僕を見て、何か言おうとした。
その口から言葉の代わりに血が溢れる。
僕は足を止めず、刀も止めなかった。
リリギが絶叫する。
ミズキの背中から血の筋を引きなから抜かれた刀が僕に向くが、遅すぎる。
一撃が、リリギの頭を両断した。
あっけないほど簡単にリリギは沈黙し、仰向けに倒れた。
僕は刀から血を払い、鞘に戻した。
そうなって初めて、僕はミズキのそばに膝をついた。
ミズキはまだ息がある。荒い息をしながら、体を震わせてる。
「すまない」
僕の言葉にミズキは何か答えようとし、しかし言葉にはならない。咳き込み、血飛沫が飛んで僕の頬に散った。
少しずつ呼吸の間隔が長くなり、体の震えもなくなる。
ミズキの口は何度も、同じように動いた。
ごめんなさい、と言っているようだ。
謝る必要はない、とでも言えればミズキは楽になれただろうか。
謝るべきは僕の方だったが、僕には謝ることはできない。
全ては僕の独善、傲慢を押し通した結果だった。
リリギに刀を渡したところで、その時は僕もミズキも死んでいただろう。アオイだって助かりはしない。
僕はただ、自分が生きる道を選んだ。
ミズキが助かればいいという思いは、それが不可能と分かった時点で躊躇なく捨てていた。神がかりの幸運があればミズキが助かるかもしれなかった。しかしそんなものに頼るわけにはいかないし、それを計算に入れることもできない。
こうしてミズキの命が消えていくのを前にすると、胸が痛む。
それでも僕には謝罪を口にすることも、涙を流すことも許されはしない。
ミズキを死なせたのは誰でもなく、僕なのだ。
ミズキの呼吸がついに止まり、瞳から光が消えた。
僕はそっと瞼を閉ざしてやった。
木立には、生きているものの気配はほぼ絶えた。
僕もまた、本当は生きていないとその静けさは訴えているようだった。
(続く)
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