第27話 恫喝
◆
「ここは見通しが良すぎる。少し移動しよう」
ミズキを促し、二人で山の斜面を上っていく。少し進むと丁度いい起伏があり、僕とミズキで身を潜めた。
「アオイ殿とツルミ殿は今?」
「そろそろ小屋へ来るはずでした」
落ち着かないミズキの声と、かすかに聞こえる鈴の澄んだ音はいかにもチグハグに思えた。
僕は口を閉ざし、斜面の下を見た。さっきまでいた小屋が見えている。
最初、猟師がやってきたのかと思った。木立を抜け、一人の男が出てきたからだ。その腰に鈴が吊るされ、音が鳴っている。
しかし鈴の音は一つではなく、二人目の男、三人目の男が進み出てくる。
身なりも猟師ではない。着古された着物を着ていて、腰には刀を帯びている。
男の数は増えていく。四人、五人、六人。
一人目が小屋に到達し、中を検め始めた。後続はさらに増えた。七人、八人、九人。
声が交わされ、九人が小屋を中心に周囲に視線を巡らせ始める。ミズキの頭を引っ込めさせ、僕も斜面の陰に隠れた。
「ミズキさんは逃げたほうがいい。迂回すれば、山を降りられる」
「先生はどうするんですか?」
体の状態が整ってきたとはいえ、あまり激しい動きを長時間、続けることはできない。
「足手まといになります。なんとか、うまくやりますから」
そんな、とミズキが言った時だった。
「アイリ! そばにいるのだろう!」
大音声は木立を激しく震わせるようだった。
僕とミズキが斜面からわずかに顔を出して眼下を確認した。ミズキが、あっ、と小さく声を漏らした。
声は、木立から進み出てきたリリギの声だったが、リリギは誰かを引きずって歩いている。
それは、アオイだった。すでに血まみれで、自力で歩くことはできないようだった。リリギはそのアオイの体をものでも扱うように乱暴に自分の前に投げ出した。
「アイリ! 出てこい! ここにいるのが誰かわかるだろう!」
ミズキが動き出そうとするのを僕は引き止め、彼女の口をそっと手で覆った。
リリギが声を張り上げている。
「出てこなければ、この男はここで殺す! それでいいなら隠れていればいい!」
僕の思考は冷静だった。
リリギは僕が生きていると察知するのは、時間の問題でもあった。クズリバの街の誰かにアオイやミズキ、ツルミの姿が目撃されてしまえば、不審に思われる。それが悪党の耳に入れば、三人は後をつけられたりもするだろう。
小屋を転々としたことである程度の追跡は逃れられても、完全とはいかない。
問題は、これがクズリバ氏の意思によるものなのか、リリギの個人的な復讐、敵討ちなのか、ということだ。もしクズリバ氏の意思だとすれば、ツルミが隠し持っていたナムト氏が打った刀の存在が知られたことになる。そんな刀があるとして、クズリバ氏が僕を放っておくとも思えない。
何もかもが悪い方向へ転がり始めたようだ。
僕は声を上げようとするミズキを抑え、現状をどう好転させるか、考えを巡らせた。
ここで悪党どもをある程度切れば、連中はそのまま逃げ出すかもしれない。しかしリリギが見ている前では、死ぬとしても僕に向かってくることも考えられる。
何より、アオイを救出する必要がある。そのためにはリリギに接近しないといけないが、あまりにも距離が遠すぎる。このまま身を潜めて、すぐそばをリリギが通りかかるところを襲えるだろうか。だが、おそらくその前にリリギの仲間が僕やミズキの存在に気づきそうだ。
斬り合いでは解決できない。
何か、方法は……。
僕が答えを見出せないうちに、リリギがアオイを蹴倒し、左手で刀を抜いた。
「アイリ! 出てこい!」
さっとリリギの左手が走り、悲鳴が上がった。
リリギが刀でアオイに切りつけたのだ。アオイはうずくまり、震えている。その背中に赤い染みが広がっていく。
僕はすぐ隣のミズキが必死に飛び出そうとするのを、抱きとめるようにして抑え込んだ。
「ミズキ、冷静になれ」
ミズキは暴れるのをやめなかった。
そしてついに僕を振りほどき、起伏から飛び出すと、斜面を駆け下りていった。
僕はそれを見ているしかできない。
リリギの仲間たちが一斉に刀を構えるが、ミズキが一人で出来てきたことに緊張をわずかに緩めた。
ミズキは、リリギのすぐそばまで行った。リリギは笑っているようだ。
「お前に興味はない。アイリはどこにいる?」
「し、知らない……」
リリギが鼻で笑い、僕がいるあたりを斜めに見やる。僕の姿は見えていなくても、おおよその場所は既にわかっているということか。ミズキが出てきたところを見ていたのだから、当然か。
すぐにでも別の場所へ移りたかったが、ミズキが気になった。
ミズキの無謀の結末を見なくてはいけないと思った。
「お、お父さんを、放して」
震えるミズキの言葉に、できないな、とリリギは言ったようだ。しかし心変わりしたように、言葉を続けた。
「だが、お前が代わりに人質になるなら、このおっさんは解き放つ」
ミズキは躊躇ったようだ。
僕は心の中で、やめろ、と唱えた。やめろ、ミズキ、逃げるんだ。
ミズキは沈黙し、何事か、リリギに答えた。声が小さかったが、ミズキがリリギの提案に同意したのはリリギの様子でわかった。ミズキが両手を挙げ、ゆっくりとリリギに近づく。リリギはうずくまったままのアオイの襟首をつかんで引っ張りあげると、ミズキの方へ突き飛ばした。
次に起こったことは、予想できたことだった。
リリギの刀が、よろめくアオイの背中を一突きにした。切っ先は胸から飛び出していた。
ミズキが呆気にとられた様子でそれを見て、次には間合いを詰めたリリギに殴り倒されている。そこへリリギのそばにいた仲間が飛びかかり、乱暴に拘束する。
お父さん! とミズキが叫んだが、誰も答えない。
アオイは倒れこんだまま、もう動かなかった。
「人でなし!」ミズキが組み敷かれたまま叫ぶ。「地獄に落ちろ!」
リリギは愉快げに笑っている。そして仲間が引っ張り上げたミズキの顔面をしたたかに殴りつけた。
「素直なのはいいことだが、損をすることもあると学んだな」
ミズキが何か言おうとしたが、もう一発、拳が彼女を捉えた。血飛沫が飛び散るのが僕の位置からも見えた。
「しゃべるのは俺が知りたいことだけでいい。アイリはどこにいる?」
僕は決断を迫られていた。
戦うか、逃げるか。
しかし選択肢は、一つしかない。
(続く)
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