第20話 嘘

       ◆


 食堂が見えてくると、表にいた数人の男性が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 口々にミズキに声をかけるが、ミズキは頷くばかりで声はなかった。恐怖が蘇ったのだろう、頬を涙が伝い、袖でそれをぬぐってもまた涙は流れた。

 僕は少し離れたところで様子を見たが、男性たちは僕に丁寧に礼を言い、勝手に食堂の中へ連れ込んだ。彼らはしばらく僕の周りにいた後、食堂の中で待ち続けていたらしい老人と何やら話してから去って行った。

「アオイに顔を見せてやりな」

 帰る時期を逸した僕が見ている前で、老人はミズキにそう言い、ミズキは店の奥に消えた。

 そうして店にはまた僕と老人だけになった。前と違うのは外が騒がしいことだ。その雑音もしかし、遠く聞こえた。

「孫娘を取り返してくれたことには、礼を言う」

 老人が頭を下げるのに、いえ、と僕は短く応じた。

 そんな態度をとったのは、老人の様子に咎めるような色があったからだ。ミズキを取り戻したことを咎めているのではないだろう。

「一つ、確認したい、アイリ殿」

 老人の声は低く、しかし平板だった。恫喝する口調よりも一層、迫力はあった。

 やはり普通の食堂の老爺ではないのだな、とそのときに確信が持てた。

「なんでしょう」

「ナクド先生を、お切りになった?」

 僕は、躊躇うことなく顎を引いて肯定した。

 それで質問への答えには十分だった。老人は深くため息を吐き、首を大きく左右に振った。

「アイリ殿がクズリバ様の館へ去った後、騒ぎになったのです。ミズキを探していたものが聞きつけて、ここへ飛び込んできました。私は、アイリ殿は無実だと、なんとか嘘を通しました」

 驚きもしないが、意外ではある。

「どうして、僕のために嘘を?」

「どうしてでしょうな……」

 老人の視線が、店の奥に向いたがそこに人の姿はない。ただ暖簾が垂れているだけだ。それでも老人は、無事に戻ったばかりの孫の方を見たのだとわかる。

 悲しみと、切なさの混じった眼差しだった。

「もしアイリ殿がナクド先生を切ったなら、あの子はどう思うか。それを考えたのかもしれません」

「隠し通せるものでもありません」

 自分自身を追い詰めるような僕の指摘に、でしょうね、と老人が力なく応じた。

「今ではないほうがいい、それだけのことかもしれません。アイリ殿は、この街を出て行かれるのでしょう?」

「そのように、クズリバ様からも伝えられました」

「刀のことは、残念でしょうが、どうかこのまま街を出て行っていただければ……」

「そのつもりです」

 申し訳ないことです、と老人が深く頭を下げた。

「孫娘を取り戻していただきながら、私にはできることが何もございません。それどころか、恩人を追い払うしかない。申し訳なく存じます」

 いいえ、と僕は答えた。もう整理はついている。

「全ては僕から始まったこと。僕がここへ来たことが、どうやらみなさんの平穏を乱してしまったようだ。こちらこそ、かたじけない」

 老人が不意に顔を上げて、僕の顔を見た。頭を下げる寸前に、その表情を見ることができた。

 どういう感情だろうか、と僕は頭を下げているうちに考えた。

 困惑、もしくは、否定。僕の言葉は、どうやら実際とは少しは違うらしい。

 僕が原因のはずだが、それだけではないのだろうか。

 ナクドが僕に刀を向けたことが解せなかったことが思い出された。わからないことは多い。しかしいちいち、全てを解明するような余地もない。さっさとこの街を出るのが肝要のはずだ。

「ミズキさんには挨拶ができませんが、どうか、気になさらないようにとお伝えください」

 僕がそういうと、老人はまだ何かを逡巡するような顔で、しかし確かに頷いた。

 だから、ここで全てが途絶えて終わるはずだった。

 数人の男が食堂に踏み込んでこなければ。

 あっという間のことだった。

 踏み込んだのは三人で、僕を取り囲む動きの中で一人が老人に飛びかかり、勢いのままに蹴倒した。老人は椅子から転げ落ち、何が起こったのかわからないという顔で視線を巡らせた。

 僕はもう少し冷静だった。

 クズリバが僕をそのまま逃すわけがない、という思いがあったからだ。

 しかし僕には得物がない。

 僕を囲んでいる三人は、身なりこそどこか粗末だが、すでに抜かれている刀はそこそこ切れそうだ。男たちの目つきは残忍で、容赦しそうにもない。むしろ今すぐ僕に切り掛かって斬殺しそうな雰囲気なのに、そうしようとしないのが不思議だった。

 三人が僕を囲んだまま、沈黙した時、四人目が店に入ってきた。

「ここにいたか」

 野太い声と、大柄な体。

 わずかな血の匂いが漂う。

 入ってきたのはリリギだった。すでに片手に抜き身の刀を下げていたが、左手に持っている。右手首から先は、無くなっていた。

 右手首は僕が切りつけたところだった。

「まさか昨日のことを忘れて逃げだすつもりじゃあるまいな?」

 僕は答えなかった。そんな余裕はない。

 武器もなく、味方もなく、四人なりを相手にしなければここで僕は殺される。あるいは老人やアオイ、ミズキも。

 どこかに隙か、勝機を見出す必要があった。

 床から起き上がろうとした老人が、やめろ、と言おうとしたのか、何か口走ろうとしたが、その時には老人はもう一度、強烈に蹴り倒されていた。その細い体が奥に通じる暖簾の方まで転がっている。

 リリギが低く笑った。

「悪いがな、爺さん、もうこの店で手加減はしない。ここにいる男を叩き切ったら、そのまま全員、あの世へ行ってもらう。それから店を検める」

 店を検めるという言葉は理解が難しい。この店から銭を奪うという意味だろうか。小さな食堂にそこまでの大量の銭があるとも思えない。

 しかし銭があろうが、何があろうが、その時には僕は死んでいる。

 生き残る術を考えるべきだ。

 足の位置を変えると、囲んでいる三人のうちの二人がわずかに間合いを詰めた。待て、とリリギが止めなければ、どうなっただろう。

 僕はリリギを見た。リリギも僕を睨みつけていた。

 自分の片手を奪った相手を見る目、というだけには見えない。

 リリギの瞳に激しい怒りが揺れている。視線はそれだけでも人を殺せそうなほど強かった。

「自分が何をしたか、わかってんのか、お前。いや、わかっちゃいないだろうな」

 僕はちらりと視線をリリギの右手に向けたが、リリギは鼻で笑った。

「俺の手なんざ、どうでもいい。いや、どうでもよくないが、今はよしとしてやろう。自分がどうしてなぶり殺しにされるか、わからないままじゃ成仏もできまい。教えてやろう」

 お前が死ぬのはな、とリリギが口元を歪めながら、言葉にする。

「ナクドを殺したからだ」

 ナクドを、殺した……?

 疑問が思考を支配し、リリギの顔に嗜虐的な表情が浮かび。

 僕の直感が今だと命令し。

 僕の体が滑るようにこちらに刀を向けている男の一人に向かった。

 刀が体を掠めるのに構わず、肩からぶつかっていく。

 怒号が食堂の中で爆発した。



(続く)

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