第21話 罠
◆
肩口を刃が掠めたが、気にしなかった。
男の一人に組み付き、その手首を掴み、即座に捻る。相手が抵抗したが、最初の捻りは誘導だ。本命の逆方向への捻りに男が抵抗しようとしたが、僕の動きのほうが早く、男の手首が異様な音を立てて変形した。
もちろん、その間に他の二人がぼんやりと見ていることなどない。
一人が背後から切りかかってくるのは気配でわかっていた。しかし剣の筋まではわからない。視界の外だ。
とにかくまずは目の前にいる男を捌くことだった。
刀を横へ流しながらさらに間合いを詰めて密着した次に、足を絡めて骨折している手首を引きずり、姿勢を崩す。
男の体を振り回し、立ち位置を入れ替えた時、俺の背中を狙った斬撃が来た。
その一撃は、僕が振り回した男と衝突し、不自然に刀が体に食い込んだ。絶叫が上がるが、構っている理由はない。
もう先は長くない男から刀を奪いたいが、痛みのせいだろう、強く柄を握りしめていて刀を手放す様子はない。
即座に方針を変え、鋭い手刀を男の手首に叩きつけた。僕もしびれたが、ついに刀が手からこぼれた。
三人目の男がこちらを伺っていたが、突っ込んでくるのがわずかに出遅れた。僕の行動に気を飲まれたものらしい。そうでなければ、仲間が同士討ちになったことで足が竦んだか。
どちらでもいい。流れがこちらに向きつつある。
貴重な間を使って、地面に落ちかかった刀をすくい上げる。
構えらしい構えもなく、目の前でか細い悲鳴を発している男と、その男の体に食い込んだ刀を抜こうとしている男、二人をまとめて刀で一突きにする。胸は骨があるせいでそんなことはできないが、腹ならなんとかなる。
手前の男に鍔のすぐそこまで刀を押し込めば、切っ先は奥の男の背中から飛び出す。
力任せに突き込んだものを即座に満身の力で引き抜き、改めて一人目を切り倒すと、二人目はすでに刀を手放し、血で染まった腹を押さえてよろめいていた。これも一撃で首から胸を切り裂いて、倒しておく。
二人が倒れたことで、あと二人を切ればいいということだ。
手の中の刀の具合を確認するが、目視で確認することはできない。視線はリリギともう一人を見ている。
奪った刀の長さは僕が使っていた蛇紋よりやや短い。重心も違う。何より柄の感触が違和感しかない。
それでも技を使うには問題なさそうだ。すでに切れ味が悪いのはわかっているが、二人くらいならやりようもある。
「情けねぇな」
リリギが二人の仲間が死んだことを特に気にした様子もなく、片手に構えもせずに刀を下げたまま言う。
「冷静になれば簡単に殺せたものを、焦るからこういうことになる。ほら、さっさと仕留めちまえ」
最後の言葉は一人残った部下への言葉らしい。
叱咤されたから、というよりは、ここで退けばリリギに殺されると思ったのだろう、男はじりじりと間合いを詰めてきた。しかし踏み込むことは出来ないようだ。目の前で二人が切られては、仕方がないというものだ。
僕は僕で、余裕はさほどなかった。浅手だと思ったが肩の傷がいやに痛む。集中するのが難しい。
「さっさと行け! 殺せ!」
リリギの怒号に、男が喚きながら突っ込んできた。
すれ違いざまに切れる。
そう思ったが、僕の体は不自然によろめいた。踏み込めない。
なんだ?
素早く足を送り、次こそ踏み込めたが、遅すぎる。目の前に自分の頭を断ち破ろうとすると刀があり、跳ね除けようとしたが刀に普段の半分も力が入らない。受け止める形になり、しかも押し込まれる。片手を峰に当てて、渾身の力で押し切ろうとする男の力に対抗する。
混乱が思考を乱すが、その思考も靄がかかっている。
失血しているわけではない。肩の傷は些細だ。
それなら、毒か? 刃に毒を塗っている?
なんとか頭上の刀を受け流そうとした時だった。
「ちんたらやっているんじゃねぇ」
リリギの酷薄な声がした時、僕の脇腹がざっくりと裂けた。
悲鳴をあげたのは、僕の目と鼻の先にいる男だった。
僕を殺す寸前の刃は力を失い、今度こそ流すことができた。
僕は間合いを取るが、足取りが怪しくなってしまう。舌打ちすることもできない。
一方、僕を殺せたかもしれない男は自分の腹を押さえて、唸り声を上げている。腹は真っ赤に染まっていた。僕の刃がつけた傷ではもちろんない。
僕はリリギを見た。
リリギの左手の刀が、血で濡れている。
仲間ごと、僕を殺そうとしたのだ。
愚かなことを。
リリギを睨めつけるが、リリギはまったく平然としていた。
「さっさと殺せと言っただろう、間抜けめ」
そう言ったかと思えば仲間を蹴倒し、リリギは僕の前へ進み出てくる。刀を構えるが、リリギの左手一本の打ち込みに跳ね飛ばされ、手からもぎ取られた刀は食堂の壁に刺さった。
「どうだい、何もできずに殺される気持ちっていうのは」
僕は何も言わずに、リリギを見た。肩は今や冷えている。脇腹は逆に灼熱だ。どちらにも共有しているのは、そこから力が抜けてくような感覚があること。
複雑なことを考える余裕がなくなり、思考が単純になる。
リリギを切る方法を、その思考が描き出そうとする。
何も方法はない。
策があればと思うが、思い描けない。
リリギが愉快げに笑っている。
「ナクドを殺した罰は受けなくちゃな。まさかこの俺が敵討ちとは、柄でもないが、まんざらでもない気分だよ」
敵討ちか。
リリギとナクドには関係があったわけだ。
普通なら気になるし、想像もするところだが、毒に侵され、血を刻々と失っている今はそんなことは無理だった。記憶に刻むだけで、無視する。
ここから逆転する方法は?
リリギから刀を奪う。不可能。
逃げる。不可能。
僕が切った男の刀が床に転がっているからそれに飛びつく。刀を取っても、切られる。つまり不可能。
状況を覆す方法は思いつかない。
それでも思考がきっかけを探し、緩慢に巡る。
アイリ先生、という声が遠くで聞こえた。
何かが飛んできた。
僕のすぐそばで。
自然と掴んでいた。どうして掴めたのか、自分でもわからなかった。
まるで吸い込まれるように、それは僕の手に収まったのだ。
掴んだ瞬間、刀だとわかった。自分が鞘を掴んでいることもわかる。視線が最低限の動きで確認。かなり古い。鍔はなかった。
傷んでいる柄を掴みざまに、抜く。
この時、リリギはまったく躊躇しなかった。僕に向かって突き出すように刀を走らせている。
僕の手元で鞘から解放された刀が、鋭く翻る。
リリギの刀を跳ね除ける。
力が足りずにやはり肩を刃が掠める。
痛みも傷の程度も意識に上がらない。
手元で刃を翻し、リリギに切りつける。
さっとリリギが間合いを取って、斬撃を逃れる。もし万全なら踏み込んでいって切り捨てるところだが、もう足の感覚は曖昧だった。
全てが溶けて一つになろうとするように輪郭が失われつつある視界で、リリギが驚きと喜色を顔に浮かべる。
「やはりあったか! こいつはいい! その刀を探していたんだ!」
刀を探していた。
これも記憶に入れて、今は忘れる。
僕は一歩を踏み出した。
それに対して、リリギは後退する。
大した間合いではないはずが、遠すぎるほどに遠い位置にリリギがいる。
「あんたの役目はもう終わりだよ、アイリ。お前は早晩、死ぬことになる。その刀は俺のものになる。楽しみだよ」
そう言ったかと思うと、腰の後ろから何か、壺のようなものを取り上げた。ずっとぶら下げていたのか。その陶器の壺が、地面に叩きつけられ、割れる。液体が飛び散った。
鼻先をかすめた匂いからして、油だ。
そう思った時には、リリギがそこへこれも携帯していたらしい、火縄のようなものを投げた。
炎が小さく上がる。
あばよ、とリリギが表へ出ていく。
待て、と僕は言ったはずだ。
しかし足は出ず、よろめき、後ろに倒れた。
背中を打ち付け、息が詰まる。
煙の匂い。火の爆ぜる音。誰かの声。
視界が暗くなる。何も見えなくなっていく。
僕は瞼を閉じ、細く息を吐いた。
息は小刻みに震えていた。
(続く)
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