第3話 時計職人の村

「すごい……この村、職人さんが多いんですね」


 複数の家の煙突から、もくもくと煙が立ち上っている。

 それだけで、この村に工房が多いことは一目でわかった。

 さらに、カンカンと金属を打つ音が、あちこちから響いてくる。


「――おや、旅の者かい」

「はい。二人で旅をしています」


 声をかけてきたのは、薄汚れた作業着を身にまとった老人だった。

 無骨な腕、煤のついた手。どう見ても職人そのものだ。


「若い嬢ちゃんが二人旅とはな……おや、杖を持っているね。魔法使いか」

「はい。それにお師匠様は若くはありません。どちらかと言えば――おばあ」

「――お姉さん」

「そう、お姉さんです」

「お姉さんか。背丈はあまり変わらないが」

「よ、余計なお世話だいっ」


 クラウの背丈は、十歳のアーリィとほとんど変わらない。

 童顔でもあり、並んで歩けば本当の姉妹に見えても不思議ではなかった。

 この調子なら、いずれ簡単に追い越されてしまうだろう。


「――あの、すみません。一つ伺ってもいいですか?」

「ああ、なんでも聞いてくれ」

「この村、工房が多いのはわかるんですけど……その――」

「――掛け時計、だね」

「はい……」


 掛け時計は本来、時刻を確認するために家の中に置くものだ。

 外に設置する場合でも、せいぜい村や街の中央が一般的だろう。

 だがこの村では、なぜか各家の屋根に、それぞれ時計が飾られていた。


「外に出してる時計はな、職人の腕前を見せびらかすためのもんさ」

「つまり……他の職人と競っている、ということでしょうか?」

「ああ、小さいのに鋭いね。その通りだ。職人なんてのは、頑固で負けず嫌いばかりだ。俺の時計の方が正確だ、いや美しいってな。もっとも――」


 老人は肩をすくめた。


「時計なんて、時間が分かれば十分なんだがね」


 一方で世の中には時計好きもいる。

 見た目や材質、精巧さを重視する者だっているのだ。


「――要するに、自己満足だね」

「お師匠様、職人さんの前でよくそんなことが言えますね」

「ははっ、その通りだよ。俺達は自己満で作ってる。だからこそ、自分が一番だと思う時計を、堂々と飾るのさ」


 見渡せば、装飾を削ぎ落としたものもあれば、もはや時間が読めないものもある。

 どれもが、職人の癖と意地を主張していた。


 だが、アーリィにはそれ以上に気になるものがあった。

 視線の先――村の中央。


「あの……中央の時計台だけ、動いていないように見えるんですが」

「ああ、あれか……大昔の職人が作った時計だ。見た目は簡素だが、中身はとてつもなく複雑でな。ワシらの腕じゃ、どうにもならなかった」

「え……こんなに職人さんがいるのにですか?」

「そうだ」


 村で最も目立つ場所にある、シンプルな時計。

 時を示すのに最適な場所にありながら――

 その針だけが、止まったままだった。


「……別の時計を設置しよう、とは考えなかったんですね」

「その時計を置いた人物がな。この村にとっては職人の神様みたいな存在だったらしい。だから、そんな発想にはならなかった」

「でも、残したからこそ、わざわざこの村にあの時計を直そうって職人が遠くからやってきたりもする」

「へえ……それは、すごい話だ」


 老人はどこか哀愁を滲ませた声でそう語った。

 遠い記憶を呼び起こすように、視線は過去へと向けられている。



 老人と別れた後、アーリィはクラウの顔を見つめて問いかけた。


「お師匠様……あの時計、魔法で直してあげることはできないのでしょうか?」

「――いけないよ、アーリィ」


 村の職人たちを思っての言葉だった。

 だが、クラウははっきりと首を振る。


「この村の時計は、この村のためのものだ。部外者である私達が、安易に手を出すべきじゃない」

「でも……直してあげた方が、神様みたいな職人さんが作った時計が動いているって噂になって、人も増えて、村が栄えるかもしれないじゃないですか」

「それも、一理ある。アーリィの言う通りだよ」


 しかし、その言葉は肯定ではなかった。


「それでもね――自分達で直すからいいんだ。直せないという事実すら、この村にとっては意味がある」

「……私には、よくわかりません」

「何事も、完璧である必要はないさ。ほら、完璧な私だって、たまにはだらけているだろう?」

「お師匠様は、いつもだらけています。完璧なところを見たことがありません」

「…………コホン。――ともかくだ」


 クラウは咳払いを一つして、言葉を続けた。


「職人には、職人なりの歴史がある。アーリィの善意は立派なものだが、善意が必ずしも喜ばれるとは限らない。そのことを、頭の片隅に置いておくといい」

「……はい」


 歯切れの悪い返事だったが、アーリィはまだ幼い。

 今は理解できなくてもいい――クラウはそう思っていた。



 ◇◇◇



「時計台の時計を――オーバーホールするぞおおお!!」


 クラウたちがこの村に滞在して、一週間が経った頃のことだった。

 宿屋の外へ出ると、広場の方から職人らしき男の大声が響いてきた。


「お師匠様……」

「ああ。面白い場面が見られそうだ」


 秒針が止まったままの、あの時計台の時計。

 職人の神様と呼ばれた大昔の名工が作ったとされる逸品が、今まさに解体され、修理に挑まれようとしていた。


「挑戦者は――カラクリ時計店の息子、レックスだあああ!!」


 前へ進み出たのは、まだ年端もいかない少年だった。

 せいぜい十代後半といったところだろう。

 集まっている職人たちは中年以上ばかりで、その中で彼だけが際立って若い。


「わあ……解体するだけでも、元に戻せる気がしません……」


 時計の中身を目にしたアーリィは、思わず息をのんだ。

 部品は細かく複雑で、どう修理するのか想像するだけで頭が痛くなってくる。


「だが、見てみろ――あの少年の手は止まっていない」


 レックスはぶつぶつと何かを呟きながら、次々と部品を外し、並べていく。

 その手捌きに淀みはなく、一度として迷う様子もなかった。


 約一時間後。

 ようやく解体が終わり、これから部品の点検と修理、そして再組み立てへと入る。


「お師匠様……疲れてきちゃいました」

「正直だね。私も疲れた」

「正直者はお師匠様です」

「まだ時間がかかりそうだ。昼食にしよう」


 ちょうど昼時だった。

 二人は村の店へ向かい、食事を取ることにした。



 ――ドッ、と歓声が上がったのは、食後のパフェを口に運んでいる最中だった。


「お、お師匠様っ!」

「行ってきなさい。私はパフェを食べてから向かうよ」

「は、はいっ!」


 アーリィは一人、店を飛び出し、時計台のある広場へと駆けた。


「動いてる……動いてる……!!」


 時計台に据えられた、あのシンプルな時計。

 確かに止まっていた秒針が、今ははっきりと時を刻んでいる。


 一度散った人々も再び集まり、拍手と歓声で少年を称えていた。


「――時計の神様の再来だ!!」


 誰かの叫びをきっかけに、声は瞬く間に広がっていく。


「「レックス! レックス! レックス!」」


 少年の名が、何度も何度も呼ばれた。

 レックスは、恥ずかしそうにしながらも、どこか誇らしげだった。


「――どうやら、私たちは奇跡を目撃したみたいだね」

「はい……」

「アーリィ。少しは、私の言ったことがわかったかい?」


 ――職人には職人の歴史がある。

 部外者が踏み込んではいけない領域がある。


「少年の職人が直したから、こんなに盛り上がったんですよね……きっと」

「おそらくね。私が直していたら、こうはならなかった」

「時計の神様の再来、なんて呼ばれることも……なかったかもしれません」


 アーリィは、ようやくその意味を理解した。


 ――この日から、時計台の時計は復活の意味を持つ『リ』と少年の名の『レックス』を合わせ、『リレックス』と呼ばれるようになった。


 そして約十年後。

 少年の作る時計は『リレックス』の名でブランド化され、最高の価値を持つ時計を生み出す職人として名を馳せることになる――が、それはまた別の話である。




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