人間嫌いの勇者
池田大陸
第1話 匠真
「ゴブリンはここか……」
自宅でパソコンのキーボードに指を走らせながら一人の青年が呟いた。
だが最近、そんな匠真に唯一の楽しみができた。
ゴブリンを狩ることだ!!
今から2年ほど前、ダンジョンと呼ばれる異世界への門が突如世界中に現れた。
ダンジョンの出現は、間違いなく人類の歴史上最も重大な出来事の一つだろう。
これは歴史上初めて別次元の世界と繋がったという意味もあるが、もう一つ人類への脅威という面が大きい。
それまで、人はこの地球上で生態系の頂点に君臨していた。
どれだけ獰猛で巨大で狡猾な獣であっても、人類の銃火器類をはじめとする科学力や技術力の前にはまるで無力である。
人は危険な生物がいればその頭数を調節することもできるし、その気になれば絶滅させることもできてしまう。それが人間だ。
しかしダンジョンの出現によりその常識は揺らいだ。
ダンジョン内には人類にとって未知の生物が存在したからである。
まず初めに、出現した穴からはダンジョンの象徴ともいえる
ゴブリンと呼ばれたその獣人は、鋭いツメと牙、そして醜悪な姿をした生物であり、またたく間に人々を恐怖に陥れたのである。
……ただ不幸中の幸いとでも言うべきか、ゴブリンの体格は小さく、手足も細く、そして力も成人男性より弱かった。
なので、もし遭遇して逃げられないような場合は投石や金属バット等でのフルスイングが推奨された。
それから約2年が経った現在、ダンジョンから出てきた1000匹近くのゴブリンは、町中ではほとんど姿を見せなくなっていた。
出動した自衛隊によって討伐されてしまったからである。
そして最終的に自衛隊のD管(ダンジョン管理部門)がその穴を管理し、出入り口の穴は封鎖されることになった。
しかし、ダンジョンが出現した当時の匠真にとってそんな混乱などどうでもよかった。
彼は少年の頃からその発達障害という自身の特性に苦しめられていて、それどころではなかったのだ。
匠真の悩みの大半は“人間関係”という誰しもが持っているありがちなものだったが、発達障害の匠真の悩み方は常人の比ではない。
彼らの自殺率は健常者の3倍以上というデータもあるほどで、とにかく集団の中で生活するだけでも猛烈に心身が消耗されてしまう。
具体的な人間関係の悩みの一つに、友達というものがある。
「友達が欲しいな。でも、どうやって作ったらいいんだ?」
ごく普通の願いではあるが、彼の願いが叶う事はなかった。
「友達なんて勝手にできるさ」
――いわゆる陽キャ的な人間がたまにそんな
……といった具合で匠真は憤る。
匠真の持つ発達障害(ASDとADHD)の一般的な特徴……それは興味、形式などに強いこだわりがあったり、奇妙な日常動作だったり、感覚過敏、過集中、物を片付けるのが苦手、コミュニケーションが極度に苦手……といったものがある。
特定の環境においてはその特性が優位に働く場合もあるが、通常の社会においては適応が難しくなる場合が多い。特に人間関係において。
そんなあるとき、匠真に転機が訪れる。今から一ヶ月ほど前のことだ。
学校からの帰り道だった。
匠真は人通りの多い道を嫌っていつも狭い路地を使うのだが、そのとき――。
「ギャギャッ……!」
道の奥から何か動物のような声が聞こえた!
よく見てみるとそれは――――ゴブリンだった!?
――討伐されたと聞いていたのにまだいたのか!!
「ギャギャギャーッ!!」
ゴブリンは後ろの匠真の足音に気付くやいなや、即襲いかかってきた!
匠真はUターンして一旦逃げ、そして曲がり角を曲がってすぐのところにあった電柱の後ろに隠れる。
「あ、あれがゴブリン……」
自身の鼓動が早まるのを感じながら、匠真は恐怖していた。
人間がゴブリンに殺されたというニュースを思い出し、自分の身にハッキリと死の危険が迫ってきているのを実感し戦慄する。
しかし匠真は咄嗟に作戦を思いついた。おそらく成功するだろう……その予感とともに息を潜めながらゴブリンの足音を待つ。
――――来た!
匠真は走ってくるゴブリンの足元めがけてサッと自身の足を出した。
「ギェッ!?」
声を上げて前に倒れ込むゴブリン。そんなゴブリンの頭にすぐさま何発かの蹴りを放つ!
「ハアッ、ハアッ……」
やがてゴブリンは動かなくなった。た、倒した!?ゴブリンを、倒した!?
「……」
倒れて動かなくなったゴブリンを眺めたまま匠真が息を整えていると――。
ゾクッ……!?
心の中でまったく予期しないような変化が起こった!
それはゆっくりではあるが徐々に、そして確実に湧き上がってきた。
匠真の心の奥底から、得体の知れない高揚感のようなものが湧き上がってきたのだ!
なぜそんな反応が起きたのかは全く分からない。
「ふっ、ふっ……ふはっ……」
こらえきれず声を漏らしてしまった。それほどまでに匠真は意味不明な興奮状態だったのだ。
周囲に人はおらず、もはや笑い出すのを止められなかった。
「……ふっ」
「ふははは!あはははははっ!!」
いや、これは決して匠真が狂っているなどという話ではない。
この笑いはおそらく、辛く苦しい毎日に
本当に不思議なことだが、今この瞬間だけは確かに自分の心が満たされている……心の底から笑っている!そう自覚することができたのだ。
これは非日常への飢えなのか、はたまた現実からの逃避なのか……それは分からない。だが匠真の心は久しくも確かに踊った。それだけは間違いなかった。
しばらくそんな幸せを噛み締めていると、匠真の頭の中にとある言葉が浮かんできた。
《――生き物を傷つけてはいけません。あなたも傷つけられたくないでしょう?》
おそらく匠真が子供の頃、誰かに言われた言葉であろう。
「そりゃあそうだ。だって自分も叩かれたら痛いもんな」
そう納得した匠真は今まで誰とも争わず、そして誰も傷つけずに生きてきた。
それが正義であり優しさだと信じて……。
自分の納得したことには異常なほどにこだわる。これはASDの特性の一つであるが、別の見方をすると呪いのようでもある。
しかし今、自らの手でその呪縛を解いてしまった……。
いや、違う!アレは人じゃない、ゴブリンだ。人を殺す生き物だ。だからこれは駆除だ!快楽のためじゃなく必要な駆除なんだ!!
そう何度も繰り返し纏わりつく背徳感を振り払い、匠真は再び笑った。
なんだろう……まるで今までずっと自分を縛っていた鎖から開放されたかのような、この清々しさは!?
「ははっ……ふははははっ!あはははははははっ!!」
人がいないことを確認して、匠真は高らかに笑い続けていた――。
そのとき、誰かがさっきの曲がり角から小走りで走ってきた!
「あ、飛田……君?」
匠真はギョッとして目を見開きその人物を見る。それは匠真のよく知っている人物だった。
――
その女子は匠真と同じクラスに在籍している。
非常に可愛らしい見た目をしていて誰からも目を惹かれる女だ。それこそ都心の街を歩くと芸能事務所からスカウトされるほどだとか。
さらに性格も明るく愛嬌があり誰からも好かれている。
クラスのカースト的な物差しにおいても常に上位に君臨している。そんな同級生。
……だが、喜屋武は匠真にとって二つの意味で厄介な存在である。
以前、クラス内で彼女と少しだけ話をした。何か聞かれてそれに答えただけだった気がするが、それだけだ。
ただそれだけのことで彼はクラスの男子達から殴られることになったのだ。ただ話をしているところを見られただけで――。
「おい飛田。お前、喜屋武と何話してたんだ!?」
そう言われて素行の悪いクラスメイトに囲まれ、人気のない校舎裏へと連れ出される。そして殴る、蹴るの暴行を受けた。
「生意気なんだよ!」
「死ね!!」
匠真はこういったことは慣れていたが、慣れているだけでもちろん平気なわけではない。体は耐えられても心は痛む。
――こ、これが『嫉妬』か……なんて醜い奴らだ。
そうだ……あの女とは関わらないようにしよう、喋らないようにしよう。嫉妬に狂った卑しい奴らにこんな目に遭わされるぐらいなら!
そういう意識を持つようになった。
それともう一つ、匠真が喜屋武と関わりたくない理由がある。
彼女を見ていると、匠真の劣等感が一々刺激されるのだ。
彼女は成績も運動神経も並より少し上程度だが、それに関しては匠真が特に思うことはない。だが一つ、匠真とは圧倒的に違うところがある。
喜屋武は常に人から好かれている!!
そう、ここが匠真と正反対なところだ。
自分は大抵の人間から嫌われ疎まれ、それによって苦しんでいるというのになぜアイツはいつもあんなに人から好かれて幸せそうに笑っているのだ!?
ふざけるな!!
そんな憤りを感じさせるのが、あの喜屋武なのだ。
だが匠真にも良識はある。そんな感情は逆恨みでしかない。それは分かっている。
それに、匠真にとって珍しいことに彼女は匠真を嫌っていないように見える。
そこだけはありがたいのだが――。
しばらく喜屋武と目を合わせる匠真。やがて喜屋武の方から口を開いた。
「ねえ、飛田君は――」
「喜屋武!」
匠真は何か言いかけた喜屋武の言葉を遮ってその可愛らしい顔を睨んだ。
「俺のことは誰にも言うな。クラスの人間にも、誰にも!」
一瞬だけポカンとした表情を浮かべたあと、すぐに笑顔に戻る喜屋武。
「うん、あの――」
喜屋武が何か言いかけたが、匠真は構わず走り去ってゆく……。
匠真は基本的に場所移動に関しては常に全力だ。
歩くのではなく走る!自転車なら全力で漕ぐ!
その方が早く目的地に到達するからだ。それがこの飛田匠真の価値観。
そして体力の限界に達したらやっと歩みを止め、息切れが回復するまで休息を取り、そしてまた全力で走り出す。
「こんなんだからダメなのだ、周りの人間に合わせないと……」と、少し思うときもあるのだが、自分のペースを崩して人に合わせ続けるというのは彼にとって苦痛でしかないようだ。
しかしその後、そんな彼の人生はダンジョンによって大きく変化することになる。
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