第6話 そして私は猫になる
「私が恋のキューピットですって?
笑わせないでよ」
能天気に飛び跳ねるナース姿の天使に、私は冷たく睨みつけた。
私は死ぬまでにどれほどの苦痛を感じて来たと思っているの?
手のマメは何度も破けて血が出た。
成長期に過度なトレーニングを積んだせいで足に激痛が走っていた。
友情よりも練習を優先した結果、私の味方をする友達がいなくなった。
ただ頑張っているだけなのに、後輩からも先輩からも目の敵にされた。
そして、そんな努力が成就の直前で打ち砕かれたんだ。
それなのに、死んでからも人の幸せのために働けですって?
閻魔様に舌を引っこ抜かれるのが怖くて引き受けかけた責務だったけど、一瞬でやる気が無くなった。
むしろ、胸の奥で燃え盛る怒りが、口から溢れてきそうになる。
「智樹くんの恋なんて、放っといても勝手に成就するんじゃないの?」
あんなに格好良くて、熱烈なファンもいる。
私とは正反対の幸せ者のために、どうして私が死んでからも苦労しなきゃいけないわけ?」
「加奈ちゃん?
どうしてそんなに怒っているの?」
「そりゃ怒るよ!
私の人生って、どこまで他人のためのものだったの!?」
私の人生なんて、彼女が知るわけがない。
それなのに、気が付いたらすべての不満を極限まで煮詰めて、彼女にぶつけていたのである。
子どもっぽい仕草が目立つくせに、私が全部言い終わるまで何も言わずにいてくれた。
勢いに任せた叫びを終え、私は肩で息をしながらわずかに落ち着いた頭をゆっくりと下げる。
「ごめんなさい。
あなたに言っても仕方ないのに」
「どんな人生を歩んできたか分からないけど、大変だったんだね」
「まぁね。
子どもに見えるだろうけど、色々あったのよ」
私は再びその場で体を投げ出し、大の字になった。
「そういうことだから、私はその責務を放棄するわ。
閻魔様にもそう伝えておいて」
「本当に、智樹くんを助けてくれないの?」
どこか悲しそうな声色に、私は思わず目を向けた。
さっきまでのおちゃらけた表情はどこかへ消え、私を心配するような視線を突きつけられる。
「そんな目をしないでよ。
人に恨まれるのは慣れてるから」
「それは慣れてるとは言わないよ。
痛みに鈍感になろうと意識しているだけ」
ナースはそっと私の隣に体育座りで腰を下ろすと、私の頭へそっと手を伸ばした。
誰かに頭を撫でられたのなんて、いつぶりだろう。
最後に撫でられたのは、まだ私が五歳の頃。
父の病院の、とある一室だった。
「痛みって、つらいよね。
チクチクだったり、ジンジンだったり。
私は痛みに慣れることなんてなかったよ?」
「その割には、かなりの石頭だけどね」
「えへへ。
お母さん譲りなんだぁ」
ナースは寂しそうに微笑むと、智樹くんの顔が載った手配書を眺めた。
「信じられないと思うけど、加奈ちゃんが智樹くんの恋を成就してあげないと、死んじゃうんだよ」
「彼が死ぬ?
たかが一回の失恋で?
どんだけ心が弱いのよ」
「ううん、たかが一回じゃないの。
最後の一回になるの」
彼女の言葉が、妙に重く感じる。
たしかに私も、これまで中学ではかなり酷い仕打ちを受けて来たが平気な顔で卒業した。
それなのに、高校で知らない子にちょっとキツイことを言われただけで、私は全てを束成すことを選んでいる。
人間、何が吹っ切れるキッカケになるかは分からない。
あんなに人に好かれる性格でも、腹の奥に実はどす黒いものを抱えているのだろう。
「それでも私には関係ないと思うのは、私の性格が悪いのかな」
「性格が悪い人は、そんな質問してこないよ」
気休めにしかならない言葉だったけど、少しだけ私の荒んだ心に染み込んでいった。
「それにね加奈ちゃん。
何も私たちだって、この責務を丸投げしようってわけじゃないのよ!」
「というと、何か手助けでもしてくれるかんじ?」
「そう!
責務をこなすのに都合の良い姿を、一時的に与えてあげるの。
その姿で現世に戻っても、みんなを驚かせるだけだからね」
たしかに、現実の私は睡眠薬を飲んで死んだんだ。
そんな人が、ケロッと街中を歩いていたらすぐにネットに晒されてしまう。
同級生たちも、私のことなんて知らないはずなのに心霊現象だと言って騒ぎ出すんだろうなぁ。
「その姿って、どんな姿?」
「それは~、これ!」
「え、ちょっと待って――」
パチン、と軽快な音を立ててナースが指を鳴らした。
その途端、私の身体はボンッと真っ白な煙に包まれる。
突然のことで咳き込んでいる私は、すでに自分の身体に変化が起こっていることに気付いた。
体の重さや、腕の長さが全然違う。
伸ばしていた足も、どこか不自然な感覚に陥っていった。
少しずつ晴れてくる煙が無くなると、ナースがニコニコしながら手鏡を見せてくれた。
そこに映っているのは、どこか生意気そうな顔をした真っ黒な猫だったのである。
「え、なんで猫がここにいるの?」
私が喋ると、鏡に映った猫も一緒になって口を動かした。
驚いて目を見開くと、鏡の中の猫も目をひん剥いている。
「もしかして……これが、私?」
「クッソ可愛い」
喜々として熱を帯びた私を見つめるナースに、私はどう返事をすればいいか分からなかった。
てっきり、見た目の違う人間になるのだと思っていたのでこれは予想外。
手を動かすと、肉球がムニムニと動いた。
可愛いけどさ。
「これでどうやって恋のキューピットをやれっていうのよ……」
これじゃあどのみち失敗して、閻魔様に舌を抜かれるんじゃないかな?
そう思いながら、何故か三本あるフワッフワな尻尾の揺らめきを眺めることしか出来ない私だったのである。
無数の星を待つ君は、届かぬ先に手を伸ばす 2R @ryoma2
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