嬉し恥ずかし行きがてら

 ひとまず私と螢川くんは、海浜公園に行く前に、一旦ショッピングモールの休憩スペースに行った。


「別に帯を結び直すだけだから浴衣が乱れることはないとは思うけど、念のため抑えておいてくれ」

「わ、わかった……」


 やらしいことはなく、螢川くんは真剣に私の帯を巻き直し、「苦しくないか?」とその都度聞いてくれた。浴衣は着物みたいにたくさん詰め物をしないけれど、昔ながらの結び方だったらとにかく綺麗に着ることに重きを置き過ぎて、歩き回ることやだんだん浴衣が乱れていくことを考慮していないんだ。

 帯を「とりあえず留めたけれど」と結んでくれたので、私は休憩スペース設置の鏡で帯を見ながらくるると回る。お母さんが結んでくれた太鼓結びも可愛かったけれど、こちらはリボンみたいな形に留め直してくれている。


「可愛い! 螢川くんすごい!」

「い、いやあ……女性用は本当についで程度に習っていたから、まさかそれで本当に結び直すことになるとは思わなくって……苦しくないか?」

「うーんと」


 さっきよりも歩幅を考慮しているせいか、いつもの通りに歩いても浴衣がずれてくることもなく、歩きやすい。


「すごい、歩きやすい。ありがとう螢川くん」

「ああ。でも浴衣だといつもよりもどうしても歩幅が狭まるな。もうちょっとしたら日が完全に落ちるし、危ないから……そのう」


 途端に螢川くんは口元をごにょごにょとさせはじめた。それに私はキョトンとする。


「螢川くん?」

「あー……今日は一応、制汗剤撒いてきたし、汗もそこまで掻いてないと思うし、よかったらだけれど。手を繋いで海浜公園まで歩かないか? それで朝霧さんが嫌がるなら……考えるが……」

「ピャッ」

「ああ……嫌だったんだったら、別に……」

「待って! 待って! 私もものすごく汗掻いているから」


 私は慌てて浴衣の裾で自分のどれだけ拭いても湧いてくる手汗を拭き取ってから、手を出した。


「はい、どうぞ」

「本当に嫌じゃないか? 嫌なら遠慮せず……」

「嫌ではないんです。ただ私の手汗が原因でお付き合いしてひと月も経たずにフラれるのが嫌なだけです」

「俺は多分自分から朝霧さんをフるような真似はしないけど」

「知ってます。わかってます。ただ私は尋常じゃなく馬鹿らしいんで、その馬鹿さ加減にそんなに早くに愛想尽きてほしくないだけです」


 私がそう言うと、螢川くんはおずおずと手を取って軽く握ってくれて、私は思わずぎょっとして螢川くんを見上げた。螢川くんは困惑していた。


「あのう……朝霧さん」

「手っ、大きい! 私よりもこんなに大きいとは思ってなかった!」


 自分の身長は平均値だ。それに対して螢川くんは170はとうの昔に越えている。それより大きくなったら、私よりもそりゃ手だって大きくなるんだ。私が勝手に「すごい!」「大きい!」とはしゃいでいたら、とうとう螢川くんが根を上げた。


「朝霧さんっ、頼むから……俺もそろそろ、恥ずかしいから……」

「あ……ごめんなさい。勝手に興奮して……」

「いや、そうじゃなくってな……俺も初めての彼女だから、どうやってデートするのが正しいのかとか、本当によくわからなくってな……どういう距離感で詰めていけばいいのかわからないから、調子に乗って朝霧さん傷付けたくないし……」


 それに私は頭が爆発しそうになるのを必死で堪えた。

 男の子だ。でもよくよく考えると、螢川くんはヒーロー然としている言動は取っているものの、私と同い年なんだから、私の馬鹿さと同じ程度には馬鹿なことだってするだろうし考えるだろう。

 私は螢川くんの手をきゅっと握り返した。


「とりあえず、ふたりで距離感どこまで詰めるかは、話し合いしよう。もしどっちかが嫌がったら、一旦止まってみるとか」

「うん……もし俺が本当に駄目だったら、とりあえず殴ってもいいから止めてほしい」

「螢川くんを殴るようなことはしないよ? 私のほうが馬鹿なこと言い出して呆れられそうだし」

「俺は皆が思っているほど朝霧さんは馬鹿ではないと思うんだよな……あんまり俺の好きな人のことを馬鹿馬鹿連呼するのは辞めてほしい」


 その言葉に私は何度目かの爆発を頭に思い浮かべた。

 お付き合いってすごい。お付き合いって本当にすごい。いや、すごいのは螢川くんなのか。私は螢川くんのなにもまだ知らないのではないか。

 元々優しい人が、付き合ってふんぞり返ることもなく、ずっと優しいを継続しているって。でもあれだ。優しい人から優しさの搾取はよくない。私だって螢川くんにいい彼女面してみたい。なんか考えよう。なんか。

 ……なんも思い浮かばないけど!

 結局は私は海浜公園に着くまでの間、螢川くんと手を繋いで歩いているだけで、勝手に興奮してべらべら捲し立てていた。

 おかしい。もうちょっといろいろ考えて動ける人間だと思っていたのに、なにしゃべっているのかなんにも思い出せないし、どれだけ螢川くんが好きかを語っていたような、もっと自爆したようなこと言ったような、不安感が拭えない。

 ただ螢川くんは海浜公園に着いてから、ヘラリと笑ったんだ。


「なんだか……ここまで褒められたことないんだけどなあ」


 そのこそばゆい笑みに、私は何度目かのドッカーンという爆発を頭に思い浮かべていた。採石場もびっくりだ。

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