浴衣と祭りと恋心

 家に帰ると、私は螢川くんに借りたマンガをキリのいいところまで読んでから、お母さんに浴衣の場所を聞く。


「今年は着ないと思ってたけど」

「今度花火大会に行くから。浴衣用意しておこうかと」

「あらあら。まあまあ」


 お母さんはそれで察したらしい。


「ずっとフラれ続けてたのに、ようやっと上手くいったの。しかもひとりの子とこれだけ長く続いたの初めてねえ」

「……お母さん、そもそもフラれ続けているから、同じ土俵に乗ってもらえたの今回が初めてだよ。だから続くもなにもないよ」

「でも今まで付き合う前にデートしたことも、そこから交際に発展したこともなかったでしょ。早くて半月で失恋してたのに、三ヶ月以上もったのは初めて見た」


 お母さん、私がフラれ記録更新し続けていたののストップを喜んでいるのか、けなしているのかどっちなんだ。

 私は思わず突っ伏している中、タンスの上のほうから箱を取り出し、その中に入っていた浴衣と帯一式を取り出してきた。


「この季節だったら、浴衣は結構暑いと思うんだけどね。大丈夫?」

「平気。夜だし。ただ暑いし足下もおぼつかないから、下駄より履き慣れているサンダル履いていくかも」

「今時浴衣と言ったら下駄って時代でもないでしょ」


 そう言いながら出してきてくれた浴衣は、ちょうど露草が描かれたシックなもので、帯も金色に白い百合が描かれているおしゃれなものだった。試しに着せてもらいながら、帯も留めてもらう。


「帯に関しては、苦しくない程度に留めるとしたら太鼓留めだけど。他におしゃれな留め方探す?」

「私、浴衣はさすがにひとりで着替えたりできないから、これでいいよ」

「そーう? まあ夜だからってそんなにたくさん食べないなら大丈夫か。トイレ気になるんだったら、大福食べてから行きなさいね。舞台のお供だから」

「うん、わかった。ありがとう」


 舞台って長丁場にトイレ行かないようにするのに、そういうことしてたんだなと思いながら、私は頷いた。

 螢川くんは可愛いと言ってくれるのかな。似合うと言ってくれるのかな。

 付き合いはじめて、本当にずっとうきうきしているけれど、お付き合いってなにをすればいいんだろうと、未だに悶々としている。

 手を繋ぐ? 暑くない? 夏場だったら手汗でベトベトしない?

 キスをする? 今夏場だよ? 暑くない? くっついたら制汗剤どれだけかけていても流れそうで怖い。

 でも送り迎えしてくれるって言っていた。それはちょっと、お付き合いっぽい。

 世の中の恋愛って、どうやって回っているんだろう。そもそも私はフラれ記録を更新し続けていただけで、全然恋愛偏差値が上がっていない。雑誌では過激な恋愛やドラマティックな事件が目白押しで、程々の日常の送り方なんて書いてない。どうすればいいんだろうと、私はずっと悶々とし続けている。


****


 髪はどうしようと考えた結果、横結びにして、かんざし風髪留めで留めた。なんとなく和風っぽい。浴衣を着て、財布はどうしようと考えた結果、「屋台で電子マネーは使えないでしょ」というお母さんの当たり前なひと言により、がま口財布にちょろちょろと小銭を入れておくことにした。それを巾着に入れて提げておく。

 夕方になったら気温が下がる……とかは残念ながらなく、外に出た途端に湿度を含んだ熱風が冷房で知らない間に冷え込んでいた体をあっという間にぬくめてくれて、暑い。汗で早くも制汗剤も日焼け止めも、本当に汗で流れない程度に気を遣ってやった最低限の化粧も流れそうで嫌だった。

 もうちょっとしたら待ち合わせ時間だけれど、螢川くんはまだかな。迎えに来てくれるって言っていたけれど。そう思ったら。


「朝霧さん!」

「螢川くん……わあ」


 思わずめまいがした。

 螢川くんもまた、浴衣を着ていたのだ。白い布地に黒い墨を伸ばしたような模様が書き連ねてあり、帯も黒い。履いている草履も大きくて、背が高い螢川くんの身長が余計に伸びたような錯覚を覚えた。

 似合うよう。普段のヒーローを意識しているような私服もものすごく似合うけれど、今日みたいな花火大会用の浴衣もものすっごく似合うよう。私はジタバタしたいのを堪えて、彼を凝視していたら、螢川くんは私の格好を上から下まで見て、途端に顔をボッと赤くした。なに。


「あのう……螢川くん、浴衣似合うね?」

「そ、それは朝霧さんもものすごく似合うと思うけど。うん。その……可愛い」

「かわ……」


 可愛い。言ってほしいなあ、いつかは言ってくれるかなあと思っていたけれど、いざ螢川くんの口から直接聞いて鼓膜を震わせてくるのを直に浴びたら人はどうなってしまうのか。私は今にも気絶しそうになりつつ、ぐっとサンダルで固めた足でアスファルトのぬくいままの地面を踏みしめた。

 まだ花火大会の会場の海浜公園にすら辿り着いてないのに、気絶はいくらなんでも早過ぎる。


「それじゃあ、行こうか」

「うん。花火大会、楽しみだなあ」

「そうだね」


 初めての彼氏。初めての夜遊び。初めての浴衣デート。あまりにも初めて尽くしで、どこをどうすればいいのかわからない。

 私はひょこひょこ歩くのに、ふと螢川くんは気付いた。


「もしかして……浴衣の帯きつくないか、朝霧さん」

「ええ?」

「歩きにくそうだから。帯、どこかでやろうか?」

「えっ……? そもそも螢川くん、着付けは」

「うーんと、どんな格好でもアクションができるようにって、基本的に服の着付けはひと通り習うから」

「な、なるほど……」


 よくよく考えたら、着物でアクションは、殺陣がなくても鉄板中の鉄板だった。私は帯なんて全然ひとりで結べたことがなく、「お願いします……」と言った。

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