協力③
レッスン場は、静かだった。
他のメンバーはまだ来ないかな、と思いながら星哉は隅の方に座る。皆が来るまでどうしようか、と考えて、スマホがまたバイブ音を鳴らしたので開いた。メッセージの送り主が陽太であることを確認し、嬉しくなるのと同時にいやなことを思い出してふーっ、と深く息を吐く。
星哉の気分を沈ませているのは、昨晩母親から送られてきたメッセージだった。
星哉の母は、三年も一人暮らしをしている息子の事を相変わらず信頼もしていないのか、よく連絡してくるが、昨日の連絡はいつもと少し毛色が違った。
曰く、奏ちゃんが今度東京に行くから、部屋に泊めてあげて欲しい、との事だ。
彼女はとても絵が上手い。何度も賞を取っているし、芸大に入らないか、と高校の先生に勧められていたことも、話を聞いて知っている。芸術的センスに秀でているわけではない星哉にとっては羨ましい限りだったが、如何せんそれを自慢げに話してばかり来るので、すっかりいやになってしまった。本人を前にそれを態度にでも出したらきっと怒られるだろうから、おくびにも出さないけれど。
だが、芸大へは進まずに、奏自身は、地元の国公立大学の法学部に入った。
自分の母親と、奏の母親は似ているから予想がつくけれど、多分親の言うことに従ったのだと思う。
正確に言えば、似ているわけではない。近いのは、尊敬、だろうか。奏の母が、どうやら星哉の母の育て方に感心して、真似をしているようだ、というのは子どもながらにも感じていた。親同士の話す内容や、会話の節々からどうしたってそういうことは伝わるものだ。
幼い頃はなにも思っていなかった。けれど、今となっては奏も可哀想だと思う。
全く同じ教育を施されているわけではないだろう。けれど単純に、楽だろうなとも思わない。
ただ、その反動なのか、彼女本来の性格なのかはわからないが、マウントばっかりとってくるからどうしても彼女が苦手なのには変わらない。
その奏が、どうやら東京の偉い先生に、絵を学ぶことになったらしい。
大学進学と共にやめたのかと思っていたが、どうやら絵を描くのは続けていたようだ。一人暮らしを始めたこの三年ですっかり疎遠になっていたから知らなかった。帰省すれば時々母親から話を聞くこともあったけれど、あまり気にしていなかった。
そして、その絵が見初められて、一月に一回だけでもいいからこちらで学ばないか、と言われたようなのだ。
奏は、その誘いに乗ることにしたらしい。
奏が、どんな気持ちで地元の国公立大学への進学を決めたのかはわからない。安定した職につきたかっただけかもしれないし、やりたいことがあったのかもしれない。
だが、もしも星哉と同じならば、気持ちはわかるような気がした。
好きなことを選ばせてもらえなくても、望んだ道に進めなくても、まだ好きな事を続けていたい。
だから東京まで来て、職には関係ない絵を学ぶのだと言われたら納得はできる気がした。
しかし、泊まるというのはまた話が別だ。
いくら幼なじみとはいえ、星哉も年頃の男性だし奏も女性だ。全くもって恋愛感情はないし、むしろ苦手であることに違いはないが、世間的にどうなのだろうかと思うのも事実だった。
だが、星哉の母の書き方ではどうにももう決定事項のようだった。奏にも、更には奏の母にもとっくに了承はとっているのだろう。だから尋ねるのではなく、お願いするような書き方をする。
そして、星哉にとって、母のお願いというのはほぼ絶対だった。
幾通りも断りの言葉を考えて、メッセージ欄に打つまではした。けれど、最後どうしても送ることが出来ない。あとひとつのボタンがどうにも重たくて仕方がなかった。
このメッセージを送れば、おそらく母からは電話がかかってくるだろう。それは星哉をおそらく咎めるもので、きっと最後にはもう決めたことだから!とでも言って電話を切られて、日時ばかりが送られてくるのかもしれない。
星哉が正論で言えば言うほどきっと母は逆上する。どれほどの理由を並べ立てて説明しても、無駄なのだ。自分が正しいと信じて疑わない人だ。もともと気の強い女性でもあって、そうなればもう、目も当てられない。
自分の母の行動が手に取るようにわかることが憎らしかった。
そして、ならばもういっそ泊めてしまった方が楽だと思う自分にも、嫌悪感を抱く。
どうするか散々迷った末に、星哉はわかった、とLINEを送った。送っても気分は晴れないが、少しだけ楽になる気がした。そのことに、だから自分は今でも母の言いなりなのだとまた憂鬱になる。
踊りというのは気分を映すらしい。レッスンがはじまっても星哉のダンスはどこが重かった。昨日見たアイドルのように、軽やかに踊りたい。疲れを感じさせない踊りがしたいと思っても、現実はそうはいかない。気分と同じように身体は重いし、疲れは明らかだった。
やっぱり、スーパーアイドルの真似なんて、僕には無理かな。
そう思った瞬間ふっと身体が落ち込んだ。いつもの踊りに戻る。そこに安心している自分がいることが、恨めしかった。
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