迷路に潜む怪物

クロノヒョウ

第1話




 出張で訪れた小さな町。ここは俺が産まれてから小学校三年生まで住んでいた町だ。記憶はほとんどない。クラスで仲がよかったメンバーが何人かいたが名前もよく覚えていない。

 懐かしさも感じられず人もまばらな繁華街を歩いた。ここも過疎化が進んでいるのだろうか。ほとんどの店はシャッターがおりていた。そこにぽつんとあった小さな灯り。俺はのれんをくぐってドアを開けた。

「いらっしゃい」

 静かで薄暗い店内のカウンターに座ってビールと適当なつまみを頼んだ。ボックス席には作業着姿の男が三人、カウンターの端にスーツの男が一人、客はそれだけだった。特に大将と話をすることもなく、俺は会社や得意先に明日の仕事の確認のメールをしながら酒を飲んでいた。だがいつまで待っても会社からの返事が一切ない。もう一度メールを送ろうかどうしようかとスマホを眺めていた時だった。

「奥村?」

 いつの間にか俺の隣に座っていた男。全く気づかなかった。突然声をかけられたのだ。しかも俺の名前を知っているとは。

「えっと」

「俺だよ俺。五十嵐」

「五十嵐?」

 酔いがまわっているのだろうか。頭の中の記憶を呼び起こそうとしたが何も思い出せなかった。

「まあ、忘れてるのも無理ないよな」

「悪い。ちょっと飲み過ぎた」

 移動の疲れもあったのだろう。そう思いながら俺は店内に目をやった。大将も作業着の男たちもスーツの男も皆知らんぷりだ。まるで俺たちが見えていないかのようだった。

「なあ、覚えてるか? 奥村たちあの遊園地によく行ってたよな?」

「遊園地?」

 そう言われてみれば、俺が転校するちょっと前だ。すぐ近くにある遊園地の中に新しく迷路ができたとかで俺たちはよく遊びに行っていた。

「あの迷路か。懐かしいな」

 ということはこの五十嵐という男も一緒に行っていたのか。

「ちょっと今から行ってみないか」

「今から?」

 五十嵐は立ち上がると俺の腕を引っ張った。

「おい、今からって、もう夜だぞ」

「いいからいいから」

 俺は五十嵐に引きずられるようにしながら店を出た。

「えっ」

 やはり俺は相当酔っているようだ。今店を出たばかりのはずなのに、どうやってここまで来たのか俺たちはあの懐かしい遊園地の中の迷路の前に立っていた。

「行こうぜ」

「あ、おい、ちょっと待てよ」

 迷路の中に入ろうとする五十嵐。周りを見ると真っ暗でもわかる、ここはもう閉鎖して遊具も何もかもぼろぼろの荒れ果てた遊園地だ。

「五十嵐?」

 取り残された俺は急に怖くなって急いで五十嵐の後を追った。いったい何がどうなっているのか。

「おい、五十嵐?」

 暗闇の中、触れている壁の感触だけを頼りに先へ進んだ。そうするうちに俺の中で徐々に記憶がよみがえってきていた。そうだった、ここは迷路といってもお化け屋敷のように途中に作り物の幽霊や井戸や骸骨、お墓や棺桶などの怖がらせるアイテムがたくさん置いてあるのだ。そして確か、最後に鏡張りの部屋があるはず。そこまで行けばもう出口だ。

 俺は作り物の幽霊たちを通りすぎなんとか鏡張りの部屋までたどり着いた。四方の壁は全て鏡だ。この壁のどこかを押せば扉になっていてくるりと回るはずだ。俺は必死で壁を押し扉を探した。だがどの壁もびくともしない。どうなっているんだ。暗闇に目が慣れてきて鏡に映るたくさんの自分の姿にゾッとする。自分がどこから入ってきたのかももうわからなくなっていた。閉じ込められた俺は鏡を何度も叩いた。

「誰か、五十嵐!」

 その瞬間、鏡が明るくなったかと思うとさっきの居酒屋の風景が鏡の中に映しだされた。

「おい、みんな! ここだ!」

 俺は必死で叫んだが、相変わらずさっきと同じで皆知らんぷりだ。

「おい、どうなってんだよ。助けてくれ」

 すると鏡は元に戻り、今度は違う光景が映しだされた。小学生くらいの男の子が何人かで歩いている。俺はまた鏡を叩こうとして手を止めた。見覚えのある顔に見覚えのある場所だ。そうだ、これは俺たちの姿だ。小学校三年生の頃の俺たちがこの迷路を歩いている姿。そうだ。俺たちは学校帰りによくここに来ていた。俺は全てを思い出した。

「まさか」

 あの日、俺たちについて来て怖がって泣いていた五十嵐を脅かしてやろうと俺たちは五十嵐を置いて走ってこの迷路から出た。そして遊ぶのに夢中になって五十嵐のことは忘れたまま家に帰ったのだ。

 夜になっても帰ってこない五十嵐。連絡網がまわってきて親に五十嵐のことで何か知らないかと聞かれた俺たちは遊園地で別れたと言った。捜索が行われ翌日五十嵐は変わり果てた姿で発見された。この迷路の井戸の中で。あやまって落ちたのだろうと。

「五十嵐、悪かった。ゆるしてくれ」

 なぜ忘れていたのだろうか。俺たちが五十嵐を置き去りにしたばかりに五十嵐は。

「待ってたよ。奥村くん」

「五十嵐?」

 小さな男の子の声がした。

「五十嵐、ごめん、ゆるしてくれ」

 俺は何度も謝った。だがもう五十嵐の声が聴こえることはなかった。俺はここに閉じ込められたのだ。きっともう出られないのだろう。なぜなら俺の足もとにはさっき居酒屋にいた男たちが倒れているからだ。作業着を着た三人。これは小野と橋田と安岡だ。スーツの男は近藤。大将はきっと小笠原だ。あの日ここに来たメンバー。五十嵐は俺たちが戻ってきてくれるだろうとずっとここで待っていたんだな。この迷路でずっと。

「ごめんな、五十嵐」

 そう言うと突然息が苦しくなり俺は立っていられなくなった。五十嵐を置き去りにしたこと。それを忘れてしまっていたこと。五十嵐をモンスターにしてしまったのは俺たちのせいだ。全て俺たちの。

「ごめんな」

 俺は泣きながら何度もそう言った。意識が薄れてゆく。きっと俺はあの居酒屋に入った時点でこの五十嵐の世界に足を踏み入れていたのだろうな。いや、この町に来た時からすでに迷路は始まっていたのかもしれない。


           完



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