第一章を読み終えた時、何故このお話が無料で読めるのだろう……と愕然としました。そしてそれは、第二章第三章と読み進めるにつれどんどん膨れ上がっていき、全てを読み終えた今、確信いたしました。
この物語は、カクヨムという器ではあまりにも窮窟すぎる。もっと。もっと私たちの手の届かない、そう、指の先でさえ触れられぬほどもっと遠くに羽ばたくべき物語なのだと――。
物語の主役は、歳の離れたふたり。
親から見捨てられたセジと、円環を絶たれた顕花です。
喪失という癌に蝕まれ、苦しみ、痛み、それでも尚、他者を求め息をするふたり。
死臭さえ漂うリアルな毒々しさ。そして、齎される一滴の薬。
痛みは消えることはない。その記憶が癒えることはない。しかし痛みと共存し、新たな道を模索することはできる。丁寧に紡がれた文字の端々からは、そのような力強いメッセージを感じました。
そしてそれは、決して誰かに魅せるわけではない。
ただ生きるためにそうするのだと。
ただ、それだけのことなのだと……。
生き物の死を描いた物語というのは往々にして美しくなりがちです。しかし本来「死」というのは醜いものです。だからこそ、死にたくない、生きたいと足掻く時、生き物は身の内から強い光を放つのだと、そう思います。
この物語は、誤魔化しが一切ありません。醜く足掻き、死と真っ向から向き合うことで「命のビオトープ」を見事に描き切っています。だからこそ、こんなにも胸を打つのでしょう……。
読みながら、何度も目の奥が熱を持ちました。心が千々に引き裂かれそうになりました。しかしそれと同時に、とても優しい気持ちになりました。誰かに優しくありたいと、そう思いました。
皆さまもぜひお読みください。
そして、この物語を在るべき場所に一緒に届けましょう。
とても素晴らしいお話です。
このお話を紡いでくださった作者さまに心からの感謝を。本当に、ありがとうございました。
赤札の貼られた欠陥品は「いらない」もの。でも、必要な環境や養分がバランスよく揃えば、生き延びる。
毒は薬。効果は症候群。呪いは祈り。
傾きすぎれば、腐って枯れる。
無意識に自分をすり減らしてしまっていたら、そのことに意識を向ける。自分の意思は、己の内側を助け得る。
序盤で感じたそのようなことが、ずっと頭にありました。
感想をハッキリと言葉にはめたくない作品だなぁと思います。だから、受け取ったものは自分だけのものにして、大事に両手で包み込むことにします。
目に映るもの、手に取るものの描写が詳細で生々しかったです。物語はじわじわと染み込んできて、時間差で「あっ」となることもありました。このレビューを書いている最中も「赤札と禁色、聴色」について考え始めましたし、レビューを書いた後もまたなると思います。
「スライスされた丸鉛筆の断面のようなもの」とか「ばつばつとした音」とか。好きだな、と思う表現が本当にたくさんあって、そういったお気に入りをせっせと心にしまい込んでいくのも幸せでした。この作品を読もうと思ったのも、キャッチコピーがすごく素敵だと思ったからでした。
作品から伝わってくる気迫がすごくて圧倒されました。
この作品は「実話」だと思います。
主人公はピリカという店に通っている女性だ。「ピリカ」とはアイヌ語で一般的に「美しい」と訳されてきたが、現在では「良い」や「好ましい」などの拡大解釈もされている。そのピリカではよく観葉植物が売られていた。主人公は値下げされ、廃棄処分寸前の観葉植物を購入しては家に持ち帰っていた。まるで、処分されるはずだった命に、自らの手で息を吹き込むように。
そんな中、主人公の女性はツバメのタトゥーを入れた青年に出会う。祖父母の育てられたという青年は、ピリカと言われながら育ち、タトゥーのこともシヌエと言われたという。シヌエもアイヌ語で「私を染める」という直訳になるが、意訳すると「刺青(文身)となる。どうやらピリカで観葉植物を買いとるところを見られていたらしい。主人公は青年に観葉植物の器の移し替えの方法や応急措置の仕方、水の頻度などを教える。これをきっかけに、主人公と青年には縁ができてしまった。そのせいで、青年のバイト先の女性に絡まれるなどの面倒事も増えた。
しかし、女性の体にはある秘密があり、それを誰にも言えないままになっていた。そして青年の方も、突然アルバイト先に来なくなった。
一体何が?
若い男女の関係性というと、恋愛やそれに近いものを想像するだろう。しかし、この作品は静謐という言葉が一番似合う。題名もアイヌ語で「オンネ・トー」と分解でき、「オンネ」は「古い」と訳され、「トー」は「湖」と訳される。最初は「古池の森」と意訳して拝読していたが、作品の雰囲気は「古池」よりも「湖畔」が似合うと思い、それをレヴューの一言紹介文とした。
純文学を長編で書くのは難しい事だと思う。それを難なく書く文筆力に圧倒されながら拝読した。この作品を拝読していると、雨の明確な描写がないのに、静かに降る雨のカーテンの向こう側から主人公たちを見ているように感じ、物語の中の人々の息遣いや音も滲んで聞こえる気がした。しかしセリフだけは明瞭だ。とても不思議な心地で、今までの作品でも味わったことのない感覚だった。
是非、御一読ください!