第14話 簡単な真実
「うぇ...ゴホっ...、ふっ...さっすが。“悪魔”なんて呼ばれてただけあるねぇ」
脇腹を抑えながら顔をしかめ起き上がったのは芙蓉であった。数メートル先に柊さんの背中が見える。
瓦礫を背後に倒れ込む彼は、僕が操作をする人物であるかのようにみえた。つまるところそれほど現実味がないということだ。
「しーさんに教えてもらうんだな、自惚れるなと。人の家族に手を出すものじゃないと」
「そーゆーの、キモいけど?」
「かっこよかったら守れるのか?」
柊さんは彼を背にすると僕らの方に歩き出した。拳ひとつで、凶器を封じたのだ。地面に落ちている脇差のような刀、柊さんはいつもと何も変わらない落ち着いた呼吸が見て取れた。その様子とは裏腹にドタドタと人が駆ける音に皆辺りを見回す。
「ふよーくん!ふよーくーん!!どこいったんだー!」
遠くから聞こえた聞き馴染みのある声に砂埃が舞う視界不良の中、目を凝らし声の主を探す。数十秒後、走ってきたオレンジ色の髪をした子は芙蓉が視界に入ったからか即座に駆け寄った。
「ひ、ひーらぎ!おまえ!!」
「どっちが先に手を出したかおまえならわかるだろう」
「っ!ふよーくん、なんで!」
「敵の言うこと信じるのか?ひでー弟子だなぁ」
「そーじゃないけど...でも、だいじょーぶなの?」
「俺がこんな程度で大丈夫じゃないわけないだろ?」
芙蓉は軽やかに身を起こした。先程の苦しそうな声とは打って変わって、出会った時と同じ調子。そしてやってきた子は恐らく杏だ。しかし、あの喋り方、声、ぼんやりと視界に映る垂れ目の優しい顔、紛れもないキョウさんであった。
「う、うつぎくん?!」
目が合うとキョウさん否、杏は立ち上がった。その懐かしい声になんだか込み上げるものがあった。
「きょ、うさん...じゃなくて、杏、さん」
ずっと会いたかった人だ。こんな世界になる前の僕を唯一知っている人。僕は立ち上がってそちらに向かう、柊さんが僕を制するが自分でも何を考えているのかよくわからなかった。
「会話したいなら、してくればいい。手を出してくるようなら止めるが」
「少しだけ、話を...したいです...」
「わかった」
柊さんは僕の前から下がると僕の背中を見つめていた。そんな視線を感じていた。
「こ、こっちきちゃだめだ!」
「ぐ...杏お前!俺を差し置いて喋るなんてずるいだろ」
「杏さんは、その...全部、知ってたんですよね」
「...わりーけどしってたよ。同じクラスになったのも、
「そう、だったんですね。でも、キョウさ...じゃなくて杏さん、手紙くれて...」
「いちおー、その、言えることはなかったけど...騙したかったわけじゃなくて...。ごめん。おれは、おまえに助かってほしかった」
「ありがとう、ございます...。あの、これからは...これからは学校で会えないんですか?もう、委員会の話し合いをしたり、掃除したり一緒に...できないんですか?」
喋りながらボタボタと水滴が落ちたことがわかった、おかしかった。ここでやっと僕は「これまで」が無くなったことが辛かったのだと気が付いたのだ。止まれと思えば思うほど流れ出す透明なものが恥ずかしくて苦しくて、どんどんたくさん溢れてきたのだ。
「うつぎ...。おれは...おれ、おまえと喋れたのたのしーとおもってたよ、やれって言われたことだけど、おもしろいと思ってた...。だけど、おれには、おれには何も決める権利がないんだ」
杏さんは泣き出す僕をみて困惑したように肩をすぼめた。
「空木くん、そっちはゴリラみたいなのしかいないからさあ〜こっち来なよ」
杏さんに介抱されながらピンク色の髪をかきあげると芙蓉は言った。なんと空気が読めない奴だ。
「はぁ。ふよーくんってたまにバカみたいだよな。うつぎ、おれ、その、本当は女じゃねーし、今は敵かもしれないけど...その、うつぎがいいんなら友達のままでいてよ!」
「え─もちろん、もちろんです...!」
何度も見た優しい笑顔を久しぶりに見て、僕はとても安心をした。首を何度も何度も縦に振って杏さんから離れた。こんな世界で、友達ではなかった人と友達になったことが、できたことが嬉しかった。柊さんは僕の顔を見ると安堵した様子で竜胆さんの方へ踵を返した。
「そうだ、芙蓉、お前は小隊長だろう?シオンに伝えてくれ、萩の前に現れろと」
「あーんで俺が柊くんの言うこと聞かなきゃいけないのさー?それに君もよく知ってるはずだ、しーさんは俺の言うことなんか聞きゃしないねぇ」
「ほぉ、隊長といっても大したことないらしい」
「はーん、正面切ってやるか?ガキみてーな身長!モテない!あとバカそうなチビロン毛!」
「もうふよーくんいーよ...やられてるのに悔しくないの?」
「うるせー!杏は余計なこといわなくていいんだよ」
ジタバタと駄々をこねる年上であろう少年を目に杏さんは力で僕らから引き離してくれた。
そんなよく分からない別れ方をして僕ら三人は歩き出した。
「ああ、会ったら伝えようと思ったことを完全に忘れていた」
柊さんは眉をひそめしょぼくれた。
「まあまあ柊はどうせ近い内にまた嫌でも会うだろうし?収穫はあったし!ねえ、空木くん?」
「っ!はい。僕来れてよかったです!あ、でも竜胆さん大丈夫でしたか...?」
「ん?何が?」
「その、お怪我は...」
「あぁ!あたしは全然!柊が合図してくれたし...ほんとゴメン。いーっつも守ってもらってる」
竜胆さんは柊さんに向き、手を叩きギュッと目を瞑ると謝罪をする。
「謝ることねえよ。それが役目だからな」
「その、僕のことも守ってくださってありがとうございます」
「感謝されることじゃないんだ、気にしないでくれ。あれだ、杏と喋れてよかったな」
「...はい、杏さん、全然変わらなかったです。学校となにも変わらなかった、見た目が違うだけでした」
僕は彼のことを思い浮かべながら学校にいた時のことを同時に浮かべた。僕が竜胆さんたちと出会った日、全てが変わった日。あの時に見たキョウさんの瞳が、真実だったのだろう。
ひとつわかっただけで、まだまだ知らないことだらけだ。それでもこのことは僕の中で大きなことだった。これまでの人生から落っことされて、砂地に着地し、衣食住を得たものの、頭の中はずっと枯れ果てて潤いがなかった。何一つ道のわからない足場の悪い砂漠を歩いているような。それはゲームがないせいじゃない。孤独を、なにか感じていたのだろう。ずっと、独りだったくせに。きっとずっと、知らない世界を拒絶していたかったのだ。
まだ涙はダラダラと流れていた。きっとキョウさんと、今までの人生に別れを突きつけられたことが受け入れ難かった。しかし、彼女が彼女で無くなり彼になっても、僕を知っている味方がいるんだと思うと竜胆さんや柊さんとは違う安心感が産まれた。いつ会えるかなど分からないけれど僕は先程の言葉を頭に浮かべ袖で涙を拭った。
同時刻─
「はぁ。全く彼等は一体何がしたいんだろうね?俺たちが思い通り死なないことが随分堪えてるみたい」
「いい大人なのに恥を知りませんよね、馬鹿馬鹿しい。変は─革命は起きないと思っている...、実に愚かしいこと」
二人は廃屋となった建物に身を潜めていた。少年はスナイパーライフルを窓から覗かせながら、少女は首を捻り退屈そうに掌を見つめそう言った。
「本当だよ。今引き金引けばさっき漏らしたガスと反応して結構大きな爆発になることも知らないであんなに集まっちゃって...そういえば空木君は大丈夫かな、戦うゲームが好きなことは知ってるけど」
「残酷ですけどね。気が付いたら大丈夫になっていると思います...、悲しいことに」
「...まあ、そっかぁ」
暫しの無言が続く。しかし二人は気に留める様子は無い、いつものことであるから。気まずさを憶えているのかはお互い知らない、そこまで踏み込むことを躊躇している。萩も花月も人の心に繊細であったから。
「この周辺は避難が早かった様ですが...ここといい随分綺麗な状態ですね。数ヶ月前まで人が暮らしていたほどに」
「うん、この辺に拠点が無いことはわかりきっているどころか、きっとこの周辺を拠点にしていただろう」
「やはり萩もそう思いますか。この攻撃はおかしい、しかし私たちがそう易々と騙されないことは見抜けなかったみたいですねえ」
花月は本棚から一冊の文庫本を取り出し頁を捲る。萩はカスタマイズされたスコープから顔を離すと壁にもたれながら本を読む花月に目を向けた。
「ハムレットって...戯曲だよね?」
「はい。シェイクスピアはこれしか読んだことがありません。最も元本は残ってないのでシェイクスピアを読んだと言うのは間違いかもしれません」
「はは、その言い方花月らしいね。いつ読んだの?」
「小学...4年生頃でしたかね?祖父の家で」
「小学生?俺なんてその頃四大悲劇すら知らないよ...。難しいと思わなかったの?」
「どうなんでしょう。話を鮮烈に覚えているだけで当時は理解できていなかったのではないですか?今ぐらいの年齢の方が考察できて楽しい気はしますね」
「4年生の頃なんて...ロミオとジュリエットがハッピーエンドじゃないことに柊とショックを受けてたよ」
「いえ、私も狂人を演じるハムレットの気持ちなんてわかりませんでしたよ」
「俺も読んでみよう、読書は久しくしてないなあ」
他愛のない会話をする二人は同じクラスのただの学生にみえる。寧ろ害がない時間の彼らはただの年齢通りの学生でしかなかった。
少年少女を異常にするものは争いである。明確化されていた。
「萩、あれは...」
花月の声に再びスコープに目をやる。
「研究員だね...どうしてこんな所に奴らが」
「研究員が外にでるなんて初めての事態です。どうしますか」
花月は興奮した様子で窓の外を睨んでいた。花月に背を向けている萩の表情が見えないだけで恐らく彼も似たような顔をしていただろう。
「様子を見よう。もし被検体を探しにきているのなら躊躇は要らないよ」
「その言葉が聞けて安心しました」
花月はホルスターを身につけると、そこにライフル銃をしまう。
「4、5人...研究員は5人だ。奴らの総数はわからないけれど、こんなにここに連れてきてどうするんだ...」
スコープの先から覗く多数の人影を萩はひとつも逃すまいと網膜に焼き付けていた。コンタクトのみでは見られない倍数の世界をこうして見つめる事は彼の大切な仕事である。優位な場所へ忍び込み、4kから8kスコープで索敵を行う。必要な時に引き金を引けば通常通りの使用も可能であるが無闇に自分の居場所を晒すわけにはいかない。そのため前線では柊や花月といった“戦闘”を得意とする者が担う。それが現在までの形を築いている。
「身分がわかりそうなもの付いていますか?名札みたいな」
「名札は...2人にはついてる。藤城、野村...背中で見えないなここからじゃ」
「3人は直接行って確かめるしかないみたいですね」
「今行ったら目的も何も...」
「チャンスを無駄にする人ではないでしょう?私はしませんよ。もちろん無策に突っ込んだりしません。この場を任せて欲しいのです」
「君を一人にはできない」
「俺を一人にしないでと言えれば行かないことも検討しましたけどね。ということで何かあったら呼んでください」
「花月!」
音の立たないように戸を開き少女は消えていった。
「仕方ない。花月に何も無いように援護することしかできないけど柊に連絡をしよう...」
無線機のチャンネルを合わせ通信を試みる。
「柊、柊聞こえるか?南西方向に研究員と護衛と見られる者十数名、花月が向かった。俺は援護に回る、手伝ってくれ」
[あ?.....了解、萩も気をつけろ。こっちは芙蓉と杏と接触済みだ]
「わかった。竜胆と空木くんは俺が引き受ける」
[やめとけ、なんとかするから。まあじゃあ無事でいろ]
ブツッと切れた無線の音を合図に建物を移動する準備をする。しかし思い出したようにスナイパーライフルを先程の位置に構え目を凝らした時だ。
「空...木...」
その名札を確認した途端こうしてはいられないと萩は急いでこの場所を後にした。
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