第12話 些細な。
この家に来てから1週間が経過していた。
少し慣れたようで、まだどこか見慣れない部屋、6時前に目が覚めゲーム機を起動する。これは僕がここに来て2日目に水仙さんと椿くんが持ってきてくれたものだ。ネット対戦がないのは些か不便であるが、今まで僕と戦っていたのはネットという名をしたCPだったのかもしれない。
水仙さんのやり込まれたゲームデータを眺めながらその下に作った自分のデータを開く。
どうやらこの家で僕は一番早起きらしい。この時間にリビングへ行っても誰もいないのだ。
7時くらいに花月さんがやってくると少々の会話を交わすが、彼女も口数が多い人ではない。あまり長い会話にならず僅かな気不味さが残る。そんな花月さんが作ってくれる朝食を一緒に食べるのがここ数日は続いていた。曰く皆朝ご飯は好きなタイミングで食べるらしい。彼女の作るお味噌汁が僕はとても好きだった、最もそれを美味しい以外の言葉で上手く伝えられないのだが。
8時になると柊さんか竜胆さんがやってくる。竜胆さんはいつも眠たそうに大きな欠伸をしながら、柊さんは一日中表情にあまり変化がない。寝る前も起きたあとも眠そうでもないし、いつも淡々と「よう、空木、起きてたのか」と言われる。アニメで見る親戚の叔父さんみたいだ。
萩さんは大体、昼過ぎから夕方に起きてくる。いつも眠たそうに目を擦っている。所謂夜型なんだと思う。僕は朝が得意で夜更かしが苦手だから萩さんと喋る時間は非常に限られていた。
椿くんと水仙さんには夜ご飯の時間でしか会わない。踏み込めず聞けていないが、何かしら毎日用事があるのは確かだろう。
ここに来て一番喋るようになったのは柊さんだった。キョウさんのこともあって毎日柊さんと喋る時間を僕も設けるようにしていた。なにより、女の人が苦手だから柊さんが喋りやすいというのもあった。
結局、僕が目にしてないから真意は分からないもののキョウさんは
この聞いたこともないタイトルのRPG、端から端まで物を調べるのが7時になるまでの日課のようなものだ。一昨日タンスからとった鍵をいつ使うか考えながら1マスごとに決定を押す。タンスがあればタンスの引き出しの個数押す、なんとなくの癖である。すると小さな家の本棚が動き地下通路が出てきた。
「こういうの、家に取り入れたら幾らするんだろう」
純粋な疑問は空へ消えていった。地下通路を進むと薄暗く広い街に出た。表記は地下繁華街。時計に目をやると7時を過ぎていた。セーブポイントに行き、確認すると僕はゲームを閉じ、部屋を出て階段を降りた。
ガラっと、横に扉を引く。花月さんは既に居て、解剖と書かれている分厚い本を読んでいた。
「おはようございます。体調はいかがですか?」
「おはようございます、特に変わりはないです」
「それはよかった、そういえばお聞きしたかったのですが...洋食より和食の方がお好きでしたか?」
花月さんは分厚い本を両手で閉じる。その厚みから音が鳴った。そして僕に目線をよこす。
「えっいやあそんな、なんでも、あの頂けるだけでありがたいので...」
「私が取っ付き辛い性格なのは自分でも承知していますが、同じ屋根の下、遠慮はしてほしくないのです。前に好物は金平ごぼうって言ってたでしょう?それにお味噌汁が好き。朝食はパンよりご飯の方がよいのではないかと考えてまして」
花月さんの推察通り僕はパンよりご飯が好きである。しかし、人様の家にお邪魔している以上そんなことは贅沢過ぎる話であり、実際あまり考えていなかった。
「ご飯はもちろん好きですが...そればっかり食べてもあの、偏っているというか...毎朝作っていただけるだけで全くそんなこと考えてなくて」
「全く、謙虚なのですね。もっと甘えていいのですよ。食べたいものを食べないと頑張れないでしょう?今日は私の当番なので晩御飯は金平ごぼうにしましょう」
「ええ!そんな、申し訳ないですよ!」
「いいえ、献立にも困っていましたしいい機会です。ただあまり、自分は食べたことが無いものですのでどのようなものが入ってるか教えていただいてもよろしいですか」
こうして僕は花月さんに、おばあちゃんが作ってくれていた金平ごぼうの話をした。僕が作ったことがある訳ではないから、なんの味がするかとかそういった話を花月さんはメモを取りながら聞いていた。
「大方想像の物と合致しました、分量は味見して決めて頂くとして...もうご飯炊いてしまいましょう。そのうち柊も竜胆も起きてくるので...お腹はすいていますか?」
「いや!全然あの、待てます!」
「空木さんは早起きでしょう、いつも何時ぐらいに朝ごはんを食べていたのですか?」
そんな他愛もない会話を続けながら花月さんはお米を炊飯器にセットし、これまでこんなに続いたことのない会話をただただしていた。
「そういえば、さっきはなんの本を読んでたんですか?」
「ああ、あれは医学書の一部です。ここ何日か読んでますがまあさっぱり」
「そういえば、花月さんは医療の知識があるってなんか言ってましたよね!」
「まあ...そうですね、大した知識ではありませんが元は医者を目指していたんです、お金になるので」
ふと花月さんは天井を見上げた。
「こんな国になってしまったので、役に立たないことはないんです。でも、医者という職業はきっともう思っていたものでは無い」
「え、えっと...」
「すみません、そんな申し訳なさそうな顔をしないでください」
花月さんは天井から僕に視線を変えると寂しそうな微笑みを浮かべた。
「...妹がいて。空木さんと同い歳なんです。貴方とお話するとあの子が頭を過ぎって」
苦し気なその表情に何も言えないままでいた。花月さんもしばらく口を開かなかった。きっとその子の事を考えているのだろう。遠くを見つめていた。5月の穏やかな風がやけに暖かく優しかった。
「...だから、もっと皆を、私を頼ってください。私は弟が出来たみたいで嬉しいのですよ」
花月さんはこの一週間で初めて見る、優しい顔で微笑んだ。僕は思わず見とれてしまった。その表情はこれまでの彼女の印象である冷たさや厳しさとかけ離れていて、ただ柔らかい風が、優しい時間が流れていくだけ。僕は声に出せずなんとか頷いていた。やがて花月さんは席を立つとキッチンへ行った。僕は円卓からウッドデッキを見つめていた。頬の熱がこの風で飛ばされればいいのになんて考えていた。
「よ、空木。今日も早えな」
「あ、柊さん!」
扉が開くと柊さんはリビングに入りすぐウッドデッキに出た。大きな木材を引っ張り出す。
「これ、空木のベッド。萩が測って切ってたんだけどよ、夜じゃうるさいし中々起きてこねえからもう作っちまおうと思ってよ」
「わー、すごい僕、布団でしか寝ないので新鮮です〜!でっかいんですね」
僕もウッドデッキに出て快晴の温もりを感じながら柊さんに喋りかける。
「俺みたいな身長ならこんなに要らねえけど空木はこれからもでっかくなるだろ。大は小を兼ねるっていうしな」
柊さんの自虐に笑えるほどの仲はまだ持ち合わせていなかったので話をすり替えることにした。
「そういえば、椿くんたちって昼間はどこにいるんですか?」
「ああ、あいつらはこの時間お勉強してるよ。学校はねえけど教えてくれる人と場所はあるからな、萩から聞いてないのか?」
「そうなんですね、萩さんあまり喋る時間がなくて」
「まあ萩は空木が起きる頃に寝てるからな。そりゃあんまり会わねえか」
「柊さんたちは勉強しないんですか?あっあのしてないとかそういう意味じゃなくてその...どういう割り振りで勉強しに行く人と行かない人と別れてるのかなって...」
「んー、俺はまず勉強してももうあんま意味ねえからよ、行ってない。萩や花月はそもそももう勉強なんか必要無いくらい頭がいんだよな」
僕は先程の花月さんを思い浮かべる。
そういえばいつも本を読んでいた。今日はいつにも増して分厚かったから不思議に思って聞いたが。
「花月なんかいつも本読んでるだろ、あの人はな医学書だかなんだかしらんけど全部頭に入っちゃってるんだよ。ずっと医者になるっていってたな。萩は萩で学校があったころは全国学力テストっていったか、それがいつも一位だった。変なやつらだよな、俺には理解が及ばん」
「ええ!そんなに...頭のいい方々...なんですね」
「ああ、参っちゃうよ。二人が話してる時は何言ってるか半分もわかんねえ。俺は小学生で義務教育を諦めた!考えることはそういうことが得意なやつらに任せりゃいいんだ」
柊さんは慣れた手つきで印された場所に電動ドリルでネジを閉めていた。癖なのだろうか、下唇を噛みながらあっという間に側面を閉め終えていた。僕は膝に手を起きながら前に屈むようにそれを眺めていた。
僕も成績の方は悪い点数を取ったことはなかった。そこそこ勉強も理解出来れば、運動もそこそこできて、学校を退屈だと思う理由は友人関係とそこにあった。友人関係以外特に難しくもない人生。しかし、僕の操作されていた世界でない所ではどんな戦いが繰り広げられていたのだろう。僕が思うよりずっと、世界は広いし天才は天才であるのかもしれない。
しゃがみながら無言で柊さんの作業を眺めていた。こういった作業が余程得意なのだろう、滞ることなく進んでいく工程が気持ちよかった。
「おはよー!元気いいねぇ朝から」
ウッドデッキを覗いたのは竜胆さんだった、眩しげにこちらに話しかけている。
「竜胆さん、おはようございます」
「おお、よう」
「萩が作ってた空木くんのベッド?いいね、あたしも柊と萩に作ってもらったの」
「そ、そうだったんですね!」
「もう随分経ったな、空木も別に見てないで竜胆たちと喋ってきたらどうだ?」
柊さんはこちらをみることなく作業を続けた。確かに僕は竜胆さんに聞きそびれていたことがあったが、まさか気付いていたのだろうか。柊さんに続けてベッド作りをお願いしリビングへと戻った。
「空木くん、そろそろ慣れてきた?」
「徐々に、ですが...はじめよりはだいぶ」
彼女は満足気な笑みを浮かべ頷く。明朗で可愛らしい竜胆さんにはその笑顔がよく似合っていた。自分の頬が熱を持つのを感じる。
「そういえば竜胆さん、僕ちょっと聞きたいことがあって」
「うん、なになに?」
「竜胆さんはどうして皆さんと、家族になろうって思ったんですか?」
初めは質問の意味が分からないような表情をした彼女であったが、斜め上を見ながら考えているようだった。
「うーん、家族が欲しかったんだと思う!」
迷いながらも確信めいたその声色はとても明るかった。衝撃のあまり何も言えなかった僕に竜胆さんは続けた。
「あたし、自分の家族をよく知らないから...萩たちから家族にならないかって言われた時嬉しかったんだ。血が繋がってなくてもいいんだって」
そう言った竜胆さんは至っていつも通りの笑顔に見えた。何も変わらない笑顔。
「でも、変な話だよね。突然家族って言われてもさ!花月も良くしてくれたから今があるけど、さすがに男の子しかいなかったら断ってたかもね、一応女子だし?まあ空木くんもこの家で家族になれたらいいかな」
「家族...」
「難しいよね、急に言われてもってカンジだよね今思えば。あんま何も考えてなかったや、多い方が嬉しいと思って」
眉毛を下げて笑いながら心情を話した。僕は何と答えるべきかを考えていた。頭に浮かぶ言葉を探りながら。
「産まれるところは選べないから、いくら頑張ってもね」
変わらない微笑みのまま彼女は囁くように言った。矢先、ご飯の炊ける音で僕たちの会話は終わりを迎えた。お米の香りが空腹に気付かせる。円卓の椅子から立ち上がった花月さんは先程、僕と竜胆さんを眺めるように見ていたみたいだ。
どれほど深刻さを感じようが腹は減る。ただ不思議な気持ちだった。
僕にはまだここで起こっている戦いと、それにおける皆の心情などまるでわからないままだった。ただ一人そこに取り残されている。未だそういった感情であった。僕だけスタートを知らされていない持久走が始まっていたような。だからこれから追いつける気なんてしていなかった。全くしていなかったんだ。
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