第9話 あやふやな過去

深く陥った暗闇から光を探り瞳を開く。

視野に入る見慣れない天井とカーテンに飛び上がるように起きる。辺りを見渡し、どうやって寝入ったかを思い返し、昨日の出来事が夢ではなかったことを悟った。


デジタル時計に目をやると8:32と示していた。


「遅刻...じゃないのか」


一瞬出た冷や汗と、飲み込みきれない現実が脳味噌だけでは処理ができないようで、声として漏れだした。にしても、随分眠ってしまった。休日以外こんなに寝ることなんてないのに。寝起きこそかなり良いと思うが、二度寝をしたくてたまらなかった。ところが寝ていても何も始まらない。怠さを押し切り萩さんに借りた部屋着の上から持ってきたパーカーに袖を通す。まだ少し肌寒い。ステンドグラスの灯りを消し、扉を開いてリビングへと向かった。


「おはようございます...」


引き戸を覗きながら僕は様子を伺うよう言った。


「空木さん、おはようございます」

「おはよぉ〜!」

「おお、よう、元気か?」


既に花月さん、竜胆さん、柊さんがいた。随分と出遅れてしまったみたいだ。三人は円卓を囲んでおり、どこかの地図のような大きな紙を広げていたが僕が来たからか花月さんが片付けてしまった。


「ではそろそろ朝ごはんにしましょう、空木さんアレルギーはお持ちですか?」

「あっ、いえ、ないです!」


花月さんは一度頷くと席を立ち、キッチンへ向かった。竜胆さんは眠たそうな欠伸をした後、僕と目が合うとにこやかに手を振った。僕は顔が熱くなり堪らずペコペコと首を下げた。


きっと三人の話に入らない方がいいだろう。そう思い長机の方に座る。すると柊さんがこちらにやってきた。


「昨日は眠れたか?」

「はい!もう、それはすごく」

「そりゃあよかった。休めてなかったらって二人も心配しててよ」


柊さんは、竜胆さんと花月さんがキッチンのカウンター越しに二人で話し込んでいるのを確認しながら言った。きっと、脚色しているのだろう、僕には分かる。


「突然悪いんだけどな、レンジュって聞いたこあるか?」

「え、レンジュ?ですか?いやあちょっと...」

「だよなあ。ありがとう」


突然の質問に戸惑ってしまったが、柊さんはえらく考え込んでいる様子だった。とはいえ、レンジュ?そんなものを僕は知らないが...。


「じゃあさ空木、おまえは...昔のこと思い出せなかったりしないか?例えば_思い出そうともしなかったり」


...僕が思い出せないこと?幼い時のことは殆ど覚えていない。自我が定着する前のことなんて皆覚えちゃいないだろう。しかし、思い出そうともしないという部分が僕の何かに引っかかった。正しくつい最近それを味わったような。


「とても大切なことを忘れたりしていないか、小学校何年からの記憶があるんだ?」


そうだ、確かに僕は、両親の死にかなり無関心だった。事故という風にしか聞かされていない、これまでは勝手に車だと思っていたが別の乗り物の可能性だってある。だがそれがなにかのヒントになるというのか。ワクチンセンターや改造人間だったか。それに関係があるのだろうか。


「僕は...そうですね、両親どちらも死んでるのに過去について考えたことがなくて...。丁度昨日不思議に思ったんです。小学校何年からの記憶は...考えたこともなくて、その...」

「!思い出せるか?」

「柊!」


突如大きな声で僕らの会話は制止された。

花月さんがキッチンから眉をひそめてこちらを見ている。竜胆さんは困った様子で僕らと花月さんを交互に見ていた。


「まだ空木さんは来たばかりでしょう?信頼関係を築く前に嫌われてしまったらどうするんですか」

「悪い、その...うん、今すぐである必要は全くねえんだけど」

「空木さんごめんなさい、彼は少し先走るところがあるんです」


花月さんはキッチンから声を張り上げて僕に謝った。柊さんは僕に謝るとそれは困った顔をして頭をかいていた。


「いや、大丈夫です!その、僕も、気になることたくさんありますし...!」

「なんでも彼に聞くといいですよ、でも嫌なことは遠慮せず嫌と言ってくださいね」

「うんうん!あたし達の中じゃ柊が一番空木くんのこと知ってるし!」


花月さんに釘を刺されたように見えた柊さんは目を細めて小さなため息をつく。でも萩さんが昨晩寝る前にしてくれた話は彼らにも関わっていることだろうし、それに僕の思っていた世界が崩壊してしまった今こうして僕に歩みよってくれる人がいることはとてもありがたいことだ。


「あ、そしたらあの...聞いても大丈夫ですか?」

「ああ、もちろん」

「今の話ってどのくらいその_ワクチンセンターが関わっているんですか?」

「うーん、10割だな」


なるほど、僕の知らない記憶。柊さん曰く知ろうとしていない記憶にワクチンが関わっている。仮説として立てた“僕が神であった場合”だが、僕の記憶外の所で既に何かは干渉しているわけだ。都市構造のみならず、僕自身に直接関与している。つまり、記憶を消す薬なり改変する薬なり...副作用かなんなのかはわからないが、柊さんは僕が記憶を失っていると信じたいようだ。しかし何を知りたいのだろうか。両親の話以外確信めいたことは一つもないが...そうしたらレンジュというものはほとんど確定的になにかの名前だろう。薬か?ワクチンセンター内の部門だろうか。


「僕が記憶を失っているかはちょっとわからないです。だって記憶ってただでさえあやふやじゃないですか。ので、確信的なことは言えないのですが、もし僕が記憶を失っていたら一体どうだっていうんですか?」

「俺にひとつ大きな確信が産まれるんだ。

空木良定、俺はおまえの10年位前を知っている」

「・・・」


10年前、本当に考えたこともない。3歳だぞ、記憶にあるわけがないだろう。でも柊さんからしたら5歳なのか。いや、5歳?そんな年齢、記憶なんて定かじゃないだろう。そもそも思春期のそう確か、第二次性徴が始まる前後は自我があやふやであり、それ以前の記憶は非常に曖昧であるというだろう。しっかりとした自我が生まれない限り記憶を温存することはできない。そんな年齢の記憶が残っている人間は非常にレアケースではないか。そんなもの超記憶力などだろう。完全記憶力...それこそ、ワクチンセンターが欲しがりそうな人材ではないか。全ての物事を漏らすことなく覚えている人間なんて、アニメやドラマみたいで面白い設定じゃないか!


「柊さんは5歳の記憶を持ってるっていうんですか?凄く、記憶力がいいような」

「ああ、ある。・・・なんだ、もしかして、ないのか?」

「ええ!もしかしても何も、記憶力が定着するのは9から10歳くらいからじゃないですか?」

「じ、10歳だと!?じゃあどうやって低学年の勉強を覚えてきたんだ!?」


勢いでガタンと長机に痛々しく膝をぶつけた柊さんは、痛がる様子をみせるどころか大きく目を見開いた。その瞳から来る視線は全身を数回往復した。その柊さんに驚いた僕もきっと同じことをしていただろう。


「ええっと、それは、もちろんその......え...?」


それは考えたこともない指摘であった。然し、確かに、全くその通りだ。僕はそこから何も言えず天井を見つめる他なかった。


「_もしかして、空木くんはそうやって教わってきたの?」


竜胆さんは丸い瞳を更に丸くして僕を見た。間違いない、それだろう。僕のされた教育、僕の当たり前であり、僕の知っている世界の話だ。


「はあなるほど....、そりゃあ厄介だな」


柊さんは腕を組み直し低い声で唸った。

竜胆さんも驚いた様子で僕たちの方を見つめている。遂に柊さんは片手で顔を覆った。


「私たちの場合3歳程から主に楽しいことなど記憶は可能だというのが通説です。4歳あたりから記憶が固着するようになり5、6歳で安定します。本格的に勉強が始まる小学一年生は6歳になる年齢ですね」


花月さんは食パンの上に絶妙な焦げ具合のツナであろう具材を2枚づつ、ポテトサラダが添えられたお皿を僕たちの前に置きながら言った。


「そ、それが僕の知らないこと、ですか...?」

「これだけじゃないだろうな、俺達もさすがに、空木が何を教えこまれてるかまでは知らねえからよ」


僕は堪らず頭を抱えた、どうしてそんな大きい矛盾にこれまで気が付かなかったのだろうか!?それ以前に、言われてみればこんなにおかしなことだがまるで気にしたことがない。


「でも、これでわかった。俺が知ってるのは間違いなく目の前にいる空木良定だ。記憶を無くしてなきゃそんなわけわかんねえ教え方しないだろ」

「うん〜。完全にアヤシイって感じ」

「うぅ、力になれたのならよかったです...」


不甲斐なさと何かに責め立てられる様な苦しさが胸に突っかえる。これから僕は常に自分を疑いながら発言をした方が良さそうだ。運良く柊さんの求めていた答えになったみたいだが、ここにいる以上もっと自分の受けた教育を疑いながら生きていかなくてはいけないのだ。


「過度なストレスを受けると記憶が無くなるのは医学的にも根拠があるものですが...9歳10歳からと教えられているのはあまりにも妙ですね。しかしこれでは空木さんは柊のことを覚えていないようですが、何の話をするつもりだったんです?あ、お味噌汁もありますけど空木さん、飲みますか」

「あっ頂きます...」

「いや、空木は多分俺の事を知らない。俺が一方的に知っているだけだ。だからそこでなにか進展を望んでいたわけじゃあなくてな、俺の知っているヤツなのか確認したかったんだ」

「その...柊さんの記憶の中の僕ってどんなだったんですか...?」

「うーんとなあ、俺達からしたら特別扱いだったんだよ、16番_確か、16番だった。なんっにも喋んねえ、ヤツだった。」


小さい頃からそんな調子だったのか。道理で人と会話するのは大変だと思うわけだ。美味しそうな朝食を前に気持ちはなんだか言葉にならない悲しさに包まれた。虚しいよ、僕は...。いやまて、そういえば柊さんはどこで僕と出会っていたんだろう?特別扱いって一体何なのだろうか。


「そういえば柊さんは、どこで僕と知り合ったんですか!?」

「萩に聞いてないのか?センターだよ、ワクチンセンター。お前はそこにいたんだ」

「僕が...ワクチンセンターに?」

「ああ、そうだ。空木を保護しに行ったのも俺の記憶では、おまえは重要人物だったからだ」


話がややこしくなってきた。少し頭痛を感じ、とりあえず目の前のパンを頂く事にした。考えているようで身に入らない。なったことの無い感覚に陥った。花月さんが柊さんに怒っている声がうっすらと聞こえる。竜胆さんがなだめている。特別扱い、重要人物?僕は一体何者なんだ。落ち着け、仮説を持ってこよう“僕が神であった場合”そう、神であった場合。

僕を神に仕立てあげたい人が以前僕と触れ合っていることに違和感は感じられない。柊さんも孤児だと聞いた。そもそも人体実験は人を選んで行われていたのか?それとも...例えば僕がワクチンAに対して特別な抗体を持っていたとしたら、人類はおろかラットでさえそれが少数だったら僕は興味の対象となる。そういった意味での特別なのか?だから神だとして隔離される。まあ無くはない程度、実験前から特別扱いされる理由はないだろう。ただなんのために教育内容を変更する必要があるのだろうか。萩さんが言っていたように孤児院が狙われていたなら無差別であるし、ただもし人体実験をしているなら失敗個体として死亡する物もいるはずだ。それにしては僕が16番という番号に位置しているのは些か早いのではないだろうか。孤児院が連続で様々な県で狙われていたのなら数十人、いや百人はいたのではないだろうか。なにかそれがヒントになるような気はする。16番、それが何を意味しているのか、それを柊さんは知っているのだろうか?


「柊さんにも番号はあったんですか?」

「ああ、1番。それが俺の番号だ」

「その番号は誘拐された順番なんですか?」

「それがまだよくわかっちゃいねえ、でも俺があそこを出た頃は多分そうだったんだろう」


柊さんが1番_ということは、名目のついた人体実験は柊さんから始まったのだろうか。


「なんで1番なのかは俺にもわからねえ、こればっかりはまだわからねえことが多いけどよ、あの頃、孤児院だけじゃなく子供を狙った誘拐事件もいくつか起きていたらしい。一番有名なのは大企業の社長令嬢が誘拐された話だ、2歳のほんの子供が」

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