第8話 萩による事件の記憶
事の発端は10年弱前に遡る。
初めこそ一人の少年の記憶といった非常に曖昧なものであったが事実が少しずつ判明してきた今、記憶も侮るものでは無いと思い知らされた。
柊との出会いは凍えるような、風が冷たく吹き荒れる冬。小学3年生の出来事だった。
その日も確か、どこかの孤児院で集団失踪が起こり、学校が休みだったので両親と共に現場へ向かい、駐車場に到着したところだった。車から降りると父はいつも通り先を歩いたが、俺に来るんじゃない、車にもどれと言った。大人の事情があったのだろう。教育に悪い死体の山が。ただ当時の俺はそんなこと知る由もなく、拒まれたと思い少し不貞腐れながら駐車場へと戻ろうとしたときだ。視界の隅で裸足でよろけて歩く子供が見えた。たまらず、駆け寄ったのだ。
赤い髪のその子はびくりと肩を動かしたが、敵じゃあないことを示したかったので、ゆっくりと大丈夫と唱えながら近づいた。掠り傷と複数の痣。手入れされていないボサボサの髪、痩せた細い四肢、走ったような荒い息。その小さな子供に触れる距離にいるとわかった俺はゆっくり手を差し伸べた。その子は小首を傾げ俺を見上げたが確かに触れた、か細い手をしっかりと握り俺ははどうしたの?と聞いたのだ。逃げろと言われた、とその子は発した。風に乗って焦げ臭い臭いが鼻を突いた、遠くには黒煙が見えた。
ふと、名を呼ぶ声が聞こえ振り返ると慌てた形相の母と父が走ってきた。俺は先程出会った子の温かい手を握りながら先程のことを説明をする。両親は頷くと薄着の子供に声を掛け、この温度で冷えきらないよう車へ向かった。
「やだ、火事かな。遠くないみたい」
「センターの方角だ」
母は不安気な声色で、父は見渡しながら確信めいた口調で言った。車に乗り込むなり母はボロボロな子に名前を聞いていた。
「ヒイラギ、名前はヒイラギ」
掠れた声が続いた。俺はその子の事を確か大丈夫かなと様子を覗うようにして見ていた。
「ヒイラギ、ね、もう大丈夫だよ。怖くない。」
大きくボロボロのTシャツの様に見えたそれは数年経って思えば手術着に近い。そこから車でうちに帰ったのだ。父も母も子供が好きだった。俺の事はもちろん、どこからか連れてくる子供たちを不安にさせないようにそれはいつも気にかけていた。俺は学校がない日や、終わった時はいつも両親について行っていた。尊敬していたし、同じ子供の俺がいると、孤児は安心することが多かった気がしたからだ。両親は傷の状態や予防注射や感染症等がないかを確認するため柊を入院させ、毎日面会に向かった。
数日で判明したが、彼はセンターから脱出してきた少年だった。そのような子はこれまでいなかった。というより、この存在でやっとセンターがこれまでしてきたことの一部が明らかになったのだった。幼い為質問攻めをするわけにもいかず、状態的にもメンタルケアに重きをおかれていたのだろう。カウンセリングのカルテが十数枚と3回の催眠療法の記録が残っている。柊は意外にもあまり大人に怯える様子もなく、外見の状態に反して退院は早かった。当時の血液検査の記録によると特段の異常値はなかったものの、免疫グロブリンと呼ばれるものが平均をかなり上回る数値であった。回復力が早いことにも関係していたのだろう。
体が小さいからほんの子供だと思っていたが、同い歳だということは家に来てから知り大層驚いた。そうして椿、水仙に加え柊と共に過ごすこととなった。椿と水仙は大人しい子であったが、柊はそうではなかった。新しいものに貪欲で、特に言葉を知りたがった。彼の置かれた境遇に対しては十分喋れる方だと思ったが、あまりに知りたがるものだから絵本を渡したのだ。読み書きは得意ではなかったようなので毎晩五十音を教え、両親に相談して1冊本を読んだら感想を書くように伝えた。
あっという間に家中の絵本を読破し、字も大方書けるようになり、感受性も持ち合わせていることも見受けられたので今度は漢字ドリルを共にやることにした。柊の人生には漢字はあまり関わりがなかったようで、どういうものか理解するのに時間を要したもののゆっくり、自分のペースで覚えていった。
あちこち回っていた両親も柊の成長度合いに喜び、市が運営する学習教室ではなく普通の小学校へ通わせる決断をしたのだった。穏やかな彼は攻撃性など危惧する必要もなく、勉学への心配は多少あるものの通常のクラスに転入することとなった。母は児童養護施設や児童相談所どちらに属していたのか未だ分からないが、融通を利かせ小学生の間は俺と同じクラスになるようにしていたようだった。平和な学校であったから、柊が算数ができなくともなんともないと思っていた。しかし事は予想外に始まる、彼の低すぎる身長がかえって目立ち、くだらないいじめが発展しかけたのだ。同じクラスでよかったと心から思った。
柊が転入してくるまでは、校庭で皆と遊ぶか、図書室で家に置いてない本を探すことばかりであったが、気が付けば家にいるみたいに柊と一緒にいる時間が増え一緒に図書室にいったり、教室で休み時間に自学をするようになった。
「なあ、めぐり。おれはどこから来たんだ?」
人気の少ない木曜日、いつもより長い昼休みの教室。柊から突然の言葉だった。
「うん?ああ、父さんと母さんが知りたいの?」
「ちがう。たくさん子どもがいたんだ、シオン。俺にねことばをいっぱいおしえてくれた子どもとか」
「たくさん子ども...たくさん、いるの?」
「ああそうだよ、いっぱいいる。数字が書いてある」
「どこに書いてあるの?」
「首に、書いてある」
「柊には書いてないよ」
「あ?でも、1っていわれてたんだ」
「みんな数字でよばれるの?」
「うん、シオンが4ってアイツらいってた。あ、シオンにも書いてなかったな。数字」
過去について柊が話し始めた。俺はこのあともしばらく柊の質問に答えながら質問を繰り返した。他の大人たちは知らないことを、きっと柊が初めて誰かに話すことを、俺を信用しているから喋る言葉をひとつ残らず零してはいけないと耳を済ませて聞いた。
彼から聞いたことの大筋は、子供たちには番号がふられていて十数人はいること。数人ごとに部屋が設けられており柊は4番の“シオン”という子と向かいの部屋であったこと、“シオン”に言葉を教えてもらったこと、注射をされること、注射針がいくつもダメになってひどく怒られたこと、入ってはいけない部屋に入ったこと、怒られたこと、痛めつけられなくなったこと“シオン”と一緒に人を殺したこと。なにが本当かわからないが柊は覚えた言葉で只管に説明をしていた。嘘には、思えなかったんだ。ふと、聞かれてはまずかったのではと辺りを見回したが、特に俺たちの会話を聞いてそうな人はいなかった。
「柊、父さんと母さんに言っても大丈夫?」
「なにを?」
「今聞いたこと」
「ああ、だいじょうぶ」
柊は沢山話したからかすこしスッキリした面持ちに見えた。
「でも、ほんとうは人をころしたら、ダメなんだよな」
・・・なんとも言えない表情をしていた。表情が全く無いように感じられたのだ。だから少し怖くなった。しかし、本当に怖かったのは柊の方だろう。
学校帰りにすぐに母に話した。できるだけ柊が言っていたことをそのままに。しかし、人を殺した話は本当か分からないから言わなかった。
俺がこの話を母に伝えた事は間違ってはいなかった。
けれども、今思えばもう少し違う伝え方をすれば父さんも母さんも死なずに、あいつらに殺されずに済んだのではないかと後悔する毎日だ。
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