第3話 人為的損傷 弐


車の中、僕は酔いかけていた。

萩さんにされた説明は要約したら竜胆さんや柊さんが言ったことと変わらない。わかり易さは段違いだったが身体は脳より飲み込みが遅かった。結果が現状だ。


─思い出してほしいんだ。この県から出たことが、君の人生にあった?─


考えてもいなかった。でも、今自分考えてみると確かにそのようなことは無かった。遠足や社会科見学が県外のときはいつも決まって熱が出ていた。小学校の修学旅行は日光に行く予定だった。だが確か栃木間で暴力団の銃撃戦があり延期となった後、関東域に大型台風が直撃。僕の住む地域は台風の目に入り被害はなかったものの、茨城、群馬、中でも栃木県の損傷は酷く中止が決まった。


あれ、でも町田にはいったことがある。あそこは東京だ。上手く思い出せないけど緑色がアクセントの電車に揺られた感覚は存在する。確か横浜線。最も、僕の記憶が勘違いを起こしていると言われたらそれまでだけど。小学生の頃だ。証拠のある切符なんてとうに捨ててしまっただろう。


「空木くん顔色が大変だよ、休憩する?」


竜胆さんは心配そうに僕を見つめていた。隣に座っていることを忘れるほど酔っていたのか。

間近で見る少女の長いまつ毛、大きな瞳、柔らかそうな頬。やめてくれ!僕は綺麗な顔の人が苦手なんだ。ましてや女の子 死んでしまうところだった。そんな死に方なら幸せなのかもしれないと頭の片隅で囁く何かがいた。


「どぅアっ、だっ、大丈夫です!お゛ウッ」


車の揺れと同時に胃から出たがってるなにかがいたがどうにかこらえた。竜胆さんが止まってあげてよー、と運転している人に話しかけているのが聞こえる。そして、あろうことか僕の背中をさすった。


「ひぃ!?」


触れられている、女の子に。無理だ、無理だ無理だ。絶対に今日が命日だ。どこかで狂喜乱舞している自分が気持ち悪いが、喜ばないことも気持ちが悪い。などもう自分が一体何がなんなのかわからなくなる。そもそも、こんなに女の子に気を使われているなんて僕は存在してはいけない。そう、間違いない。

再び胃から強い主張がくる。このままゲームオーバーしよう。敗因は女性慣れメーターの低さだ。記憶データの引き継ぎができれば来世は女性慣れメーターに重きを置こう。さようなら空木良定。案外人生悪くなかったぞ。


僕が社会的死を確信した時、車は停り竜胆さんがビニール袋を広げてくれていた。


「大丈夫戻しちゃいな、楽になれるよ。1回降りようか」


ふと脳裏を懐かしく、思い出したくない物が巡る。



─小学生のとき体調が優れず休み時間の教室で嘔吐してしまった事があった。あの時は皆に汚いと醜い物をみる目で見られた。トラウマになって今の今まで忘れていた。だが今、僕の隣にいる少女は善意に満ち溢れている。あれは県民性だったのだろうか。時代だったのか。そんなことを思い出している暇などない。



「あ...りが...す」


流石に迷惑はかけられない。正気に戻った僕はビニール袋を奪い取るよう車から飛び降り、即座に身を丸くして我慢していた物を吐き出した。


共にかなり、色々な感情がすっきりした。


「はい、飲みな?」


後ろから着いてきてくれていたらしい竜胆さんは僕に水の入ったペットボトルを渡してくれた。所謂吊り橋効果なのだろうか。竜胆さんが輝いてとてもかっこよく見える。真剣な眼差しと優しく差し出された水。それは飲料メーカーのCMの様に、僕という視聴者を虜にした。

女性が男性を好きになる瞬間はこういった感じなのだろう。確かに僕は今、女性の気持ちを味わった。


「ぁ、ありがとうございます。。。」


涙ながらペットボトルを受け取り口から水分を流し入れる。涙で滲んだ景色は今朝までの街並みとはかけ離れた荒廃した土地であった。

瞼を擦り景色に目を凝らす。


こんな廃墟さながらの街が存在するなんて、まるで軍艦島のそれじゃないか。九龍城とか、兎に角そういった例えが一番しっくりくる。僕の生きていた世界では教科書やネット、廃墟モチーフのゲームでしかみることのなかった景色に圧巻される。やはり、皆が言っていたことは本当なんだとどこかで疑っていた脳や身体がやっと、やっと信じたみたいで先程までより少し頭がスッキリしていた。


神奈川県全域は十数年封鎖されていたこと。実験都市であり“僕”という存在を保護観察するために使用されていた県だったと。その為他の地域の元号は平成が31年で終わっており、神奈川県のみで平成という元号は続いていた。

令和が始まるまでの歴史は萩さん達と変わらなかった。織田信長は本能寺で死んだし、新撰組は崩壊したし、第一次、第二次世界大戦も存在したし、津波と原子炉で多くの被害が残った東日本での震災や熊本の地震も存在した。


違うのは平成31年以降の歴史だ。

僕が知っている情報では平成31年の年末、未知のウイルスが某国で出現。年始には各国に広まっていった。日本は政府の対応により平成32年時点で全国の感染者数は4月をピークに減少、平成33年時点では封じ込めに成功した。そう、これはあくまで僕が教科書で習い知っている情報だ。

しかし萩さんはこう言っていた。

平成31年4月を以て平成は終わり、5月から令和時代が始まった。未知のウイルスは令和元年の年末から少しずつ拡大し、留まることを知らず令和16年の現在全世界の死者数は4億人。そんな状況下でも日本の医療技術が高く、とあるセンターが開発したワクチンにより日本人口は1億を切ったもののウイルスは既に後遺症もなく治る病気として認定されていた。

しかし、そのセンターの活躍は脆弱だった政府と良くない方向へ傾く。それは歯止めが効かず、癒着状態に陥り日本政府は事実上崩壊した。このセンターは一見救世主だ。でもどうやら正義とは反対にあるらしい。

現状の日本情勢は極めて危険であり、僕を保護する必要性を感じ今日に至ったという訳だ。


これが大体の“今の僕の頭”で処理ができる限度である。

そして恐らく萩さんもそう判断したのだろう。一通りの説明を真剣にしてくれた後、疑問は逐一聞いてくれと言った。中には当然信じ難い話もあった。おばあちゃんが他人だという話だ。


__僕は一人っ子で記憶もない頃に両親を事故で亡くし、おばあちゃんに育ててもらっていた。おばあちゃんは唯一の家族であったし、いつも僕をそれは可愛がってくれた。僕がいくらゲームをしても怒りはしないし、なにより美味しいご飯を作ってくれる。僕はおばあちゃんが作る卵焼きやお味噌汁が好きだが中でも金平ごぼうは大好物だ。たくさん与えてくれた。当然勉強だってしているが、なんだかどれも解けたって何もわくわくしなくてゲームを職業にしたいとまで思っている。伝えたことは無いけれど、おばあちゃんなら反対することはないだろう。

おばあちゃんと言われてみんなが想像する優しくてなんでもしてくれる、それがおばあちゃんだった。


そんなおばあちゃんが“他人”だなんて到底信じられなかった。



─数十分前のこと。車は僕のマンションの下で止まった。僕は竜胆さんと萩さんと自分の部屋に向かったが誰もいなかった。


僕の部屋だけではない。いつも賑やかな団地の周りには人っ子一人いなかった。ここは学校のように壊されていないが、それは異様と言えた。これまで活気があったのに、映画のつくりもの、まるで世界中の人がゾンビになった様な。そういった雰囲気だった。

そんな時、萩さんは畳んでいた1枚の紙を広げ僕に見せた。


柳 初子 (ヤナギ ハツコ) 57歳 特命保護要員


顔写真は確かに見覚えがあるように見えた。というのも、間違いなくおばあちゃんの若い頃だ。しかし、柳なんて苗字では無い。勿論僕と同じ空木であった。しかもハツコ?字は同じだが「ソメコ」であるはずだ。そして特命保護要員と。1番下には「対象:空木 良定」と書かれている。訳がわからずこんな紙切れ偽物だと思って萩さんを睨むように見た。萩さんは当然僕がそう思うことなんて分かっているような感じだった。


「この資料は約10年前のものだと仮定しているんだけれど...あっちの団地、丸々資料が残っている。血が繋がっている人もいればいない人もいたけれど、特命要員なんて表記はこれにしかなかったんだ。最も、今俺が何を言ったところで信じられる訳がないと思う。唯一の肉親が他人だなんて、信じたくないじゃないか。」


萩さんは眉をひそめながら話した。それは僕の機嫌を損ねないようにするような言い方だったし、己に言い聞かせてるようにも聞こえた。

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