第4話 どこまでも加速する想い



「ごめん! 本当に、ごめんね」


「こんなに食べられないよ、千鶴ちゃん」


 目の前に並べられた、豪華定食とケーキの数々。


「いいから。わたしからのせめてもの気持ち! ね?」


「じゃあ……」


 向かいの席で千鶴ちゃんに懇願されて、とりあえず、おかずを口に運ぶと。


「ああ、よかった」


 それを見て、安堵の表情を浮かべる千鶴ちゃん。


「反省してるからね。ちゃんと」


「もう、大丈夫だって。ケーキの方は、半分食べて」


「そう?」


 うれしそうに、千鶴ちゃんも手をのばす。


「それより、心配してたんだよ。あれから、学校にも全然来ないんだもん」


 ちょうど、一週間も。


「あ、うん。ずっと、ヒロくんのところにいてね。ヒロくん、離してくれないんだもん」


 ヒロくんというのは、もちろん、一緒に帰っていった先輩のこと。


「そ……そっか」


 なんとなく、いろいろ想像してしまって、うつむく。


「でも、よかったじゃん。優貴、整くんのとこに泊まれて」


「ううん。よかっただなんて……」


 早朝、一柳くんと二人でコンビニの前で話したときのことは、今でも映画のシーンみたいに頭の中に残っているけれど。


「だけどさ、本当に何もなかったわけ?」


 ケーキを頬張りながら、わたしをひやかすような目で見てくる、千鶴ちゃん。


「そんなの、何もないに決まってるよ」


 一柳くんにも失礼だと、口に出そうとしたとき。


「佐野さん、いじめないでよ」


「…………!」


 びっくりした。本物の一柳くんが、わたしの真横に立っていたから。


「だめだよ、千鶴ちゃん。約束してたのに、佐野さんを置いて、先輩と帰っちゃ」


「優貴、ちゃんと許してくれたもん」


 千鶴ちゃんが、すねた表情を一柳くんに見せる。わたしも、千鶴ちゃんくらい、自然な自分を出せたらと考えてしまう。


「それ、おいしそう。一口もらっていい?」


「あ、それは……」


 わたしが口をつけちゃったからと言おうとしたんだけれど、全く気にしないようすで、一柳くんは唐揚げをひとつ口に入れた。これくらいのことで、いちいちドキドキするのは変だって、わかってるんだけれど。


「やっぱり、似合う」


 不意に、一柳くんに顔をのぞき込まれた。


「えっ?」


「髪型」


 そう言って、にこりと笑う。


「あ……ありがとう」


 全て見透かされてるみたいで、恥ずかしくてたまらない。


「じゃあね。特に用があったわけじゃないから」


「ふうん。優貴の顔、見にきただけなんだ?」


「千鶴ちゃん……!」


 わたしがどんなにうろたえたところで、一柳くんは動じるわけもなく。


「まあ、そんなところ。またね」


 わたしの頭に軽く手を置いて、一柳くんが去っていく。その先には、嫌そうに顔をしかめている、人見くん。そういえば、一柳くんと人見くんの仲がいいのはわかったけれど、どういうつながりなんだろう? 中学とか、小学校が同じだったとか?


「さすが、女慣れしてるよね」


 一柳くんが遠ざかったのを見計らって、千鶴ちゃんがつぶやいた。


「ヒロくんに聞いたんだけどね、女の子とっかえひっかえだって」


「そ……」


 受け入れる準備がなかった言葉。多分、考えたくなかったことだから、無意識に考えないようにしていたけれど。心のどこかで、彼女がいても全然おかしくないとは思っていて。でも、だからといって、とっかえひっかえとまでは。


「行くんなら、本気で行かないとね。中途半端に遊ばれて、捨てられたりしないようにさ」


「だからね、千鶴ちゃん。わたしは、そんなんじゃないから」


 必死に首を振って、ごまかしながらも、ショックを受けている自分がいる。


「まあ、あの顔じゃねえ。一回でもいいなんて子、いくらでも寄ってくるだろうし」


「一回って、そんな……」


 あまりに自分の感覚とかけ離れていて、正直現実味もない。


「とにかく、よかったあ。優貴が怒ってなくて。さーて、行かなきゃ」


「あの、千鶴ちゃん」


 満足そうに立ち上がった千鶴ちゃんに、人見くんのことはもう大丈夫なのか、一応聞いておきたかったんだけれど。


「じゃあね。ヒロくんの部屋に戻るから、3限は出ない。明日も来ないかも」


「あ、う、うん」


 人見くんのことなんて、すっかり忘れているに違いない、千鶴ちゃんに手を振った。






 なんだか、大学というところに、まだなじめない。周りが軽いのか、わたしが重すぎるだけなのか。


 高校のときは、よかったなあ。純ちゃんと、好きなアーティストの話をしたり、他愛もない冗談を言い合ったり。たまに面白がられて、人見くんのことをからかわれたりもしたけれど……。


「何だよ? おまえかよ」


「あ」


 前を見て、ぼんやりしてたから、気がつかなかった。わたしの隣に座ったの、人見くんだ……!


「そんなに嫌なら、他の席に座ればいいのに」


「ここしか、空いてないんだよ」


 周りを見渡すと、たしかに席は埋まっている。でも、舌打ちなんかして、大人げなさすぎる。無視して、講義のノートを用意すると。


「整は、いないよ。残念ながら」


 わたしの態度が気にくわなかったのか、さらに意地の悪い口調。


「そんなこと、見ればわかるよ」


 やっぱり、わたしが一柳くんに惹かれているのは見え見えなんだ。


「女のとこ」


「それも、驚かない」


 人見くんの方に顔は向けないで、答えた。


「ふうん」


 嫌だなあ。数カ月前のわたしには、人見くんの隣で授業を受けるなんて、夢みたいな話だったけれど、今は苦痛でしか……と、そのとき。


「あ」


 純ちゃんからのメールの着信音。先生がまだ教室に入ってきていないのを確認してから、中を開いてみると。


「え……?」


 予想もしなかった内容に驚く。エレベーターの扉に挟まれ、右足を骨折しちゃって。今、バイト先の近くの病院にいるという、純ちゃん。どうしよう? すぐ、純ちゃんのところに行ってあげたいけれど……。


「何だよ? いきなり、ガタガタ震え出して」


 面倒そうに、人見くんに声をかけられた。


「純ちゃんが……」


「え? 長谷川?」


「そう、純ちゃん。純ちゃんの足が、事故で……今、病院にいるんだって」


 きっと、一人で心細がってる。


「どこの病院?」


「あ……多分、純ちゃんがバイトしてる店がある、市ヶ谷」


 心配そうに身を乗り出す、めずらしくまともな反応の人見くんに戸惑いながら、返事をすると。


「何、ぼんやりしてるんだよ?」


「え……?」


 いつのまにか、荷物をまとめて立ち上がっていた人見くんに、ぼう然とした。


「行くんだろ? おまえも」


「あ……うん!」


 そうだ。心配しているより、行ってしまった方が早い。


「ありがとう、人見くん」


 あわてて、人見くんを追いかけながら、お礼を言ったんだけれど。


「いいから、急げよ」


「ごめん」


 真剣な表情の人見くんに、煩わしそうに遮られてしまった






「純ちゃん!」


 病院のロビーのソファに座っている、純ちゃんの足元が痛々しい。右足が、包帯で分厚くグルグル巻きにされている。


「優貴、ありがと……で、どうして、人見までいるの?」


 ほっとしたような笑顔をわたしに向けてから、不思議そうに人見くんを見上げる、純ちゃん。


「あ。もしかして、同じ学校だったのが縁で、つき合うことになったとか? おめでとう」


「な、何言ってるの? 純ちゃん」


 怖くて、とてもじゃないけれど、人見くんの顔が見れない。


「違うの。ちょうど、隣の席に人見くんが座っててね。純ちゃんのことを伝えたら、心配してくれて」


 ののしられる前に、先に事情をしっかり説明しようとしたんだけれど。


「この程度かよ」


 わたしの後ろにいた人見くんが、ぼそりとつぶやいた。


「事故で足が……なんて、おまえがあんなに震えてるから。車にでもぶつかって、歩けもしない状態なのかと思っただろ?」


「だって……」


 わたし、嘘はついていないはず。でも、一応。


「わたしの言い方がまぎらわしかったんなら、ごめんなさい」


 小さくなって、人見くんに謝っておく。たしかに、心配させすぎちゃったかもしれない。


「謝る必要ないよ、優貴」


 そこで、純ちゃんが、人見くんに反論する。


「だいたい、何? この程度って。エレベーターの扉に当たって、指にヒビまで入ったんだよ? ものすごく痛かったんだから」


「そもそも、エレベーターの扉で怪我なんかするか? 普通。どんな乗り方したら、そんなことになるんだよ」


「急いでたんだから、しょうがないじゃん」


 やっぱり、仲いいよね。目の前で繰り広げられている、純ちゃんと人見くんのやり取りを見て、再確認する。


「こういうときくらい、いたわれないわけ?」


「見かけ倒しで、昔から鈍いんだよ、おまえは」


 いつもと同じように、人見くんの言葉はキツいんだけれど、微妙に空気が優しいというか。


「とにかく、送ってく。歩きづらいだろ? そんなんじゃあ」


「いいよ、人見くん!」


 はっとして、声を上げた。


「最初から、わたしが送っていくつもりでいたから」


 そうじゃなきゃ、わたしが来た意味がない。


「おまえがいて、何の役に立つんだよ?」


「それは……」


 人見くんの表情は、わたしに向けるものだけ、さっきまでとは全然違って、冷たい。


「なんで、そんなにえらそうなのよ? あんたは」


「イライラするんだよ、この女」


 そんなこと、とっくに知ってる。でも、純ちゃんの前でまで、そんなふうに言うことないのに。


「大丈夫。ありがとね、優貴」


 純ちゃんが、いつものように笑顔を見せる。


「たしかに、人見とは家近いし、今日は人見に送ってもらうよ。優貴、まだ授業あるんでしょ?」


「うん……」


 こんな非常事態に、ひねくれてもしょうがないんだけれど。


「立てるか?」


「ん。悪いね、人見」


 肩を貸して、純ちゃんを支えてあげる人見くんを前に、やりきれないような気持ちになった。


「優貴も、ありがと。本当に」


「お大事にね、純ちゃん」


 もう一度、わたしを安心させるように、純ちゃんが笑顔を向けてくれた。もちろん、人見くんは、わたしの方なんか見もしなかったけれど。






 今日は気持ちも落ちているし、学校には戻らないで、さぼっちゃおうかとも考えたのに。結局、することもなくて、午後の講義に出席しにきた、つまらない自分が嫌になる。


 とりあえず、次の時間の教室を確認しておこう。校門の前で立ち止まって、半分あきらめたような気持ちで、手帳を開いた。2棟、か。手帳を閉じて、目的の教室の方向に歩き出す。


 それにしても、高校のとき、あんなに人見くんのことを見ていて、なんで気がつかなかったんだろう? 人見くんが純ちゃんを好きなの、一目瞭然なのに。今となっては、何てことないけれど。そう、何てことない。そのはずなのに……。


「佐野さん」


「あ……はい!」


 一柳くんの声に、条件反射で大きく返事をする。


「なんだ。沈んでるみたいに見えたけど、平気そうだね」


「うん。わたしなら、何も。いつもどおりだよ」


 でも、そういえば……一柳くん、今日は女の子とデートなんじゃなかったっけ? 少し疑問に思いながら、一柳くんに答えた。


「そっか。気のせいだったなら、よかった。そうそう、佐野さん、玲見なかった? 連絡つかなくて、困ってるんだよね」


「人見くんなら……」


 一柳くんからも、わたしが落ち込んでるように見えたんだ。なんだか、複雑。


「わたしの友達が怪我しちゃったから、一緒にようすを見に行ってたの。人見くんはその子を送ってあげて、自分も家に帰ったんじゃないかと思う」


 改めて、人見くんを本気で好きだったという事実を痛感させられてしまった。


「え? そうなの? あいつ、ドイツ語の辞書……」


「あ。ドイツ語の辞書なら、わたしもあるよ」


 持っていてよかった。バッグから取り出して、困っているっぽい一柳くんに差し出した。


「ありがとう。助かる」


「ううん」


 こんなふうに、人懐っこい笑顔を浮かべてくれる、一柳くんにだって。実際には、全く相手にされていないことを前から理解していたつもりでも、寂しさを覚える。


「それじゃあ、5限終わったら、このへんで。何かおごるよ」


「ううん……! いいってば、そんなの」


 あわてて、首を振る。のめり込めば、のめり込むほど、失恋はつらいはず。それくらい、さすがにわかるんだから。


「警戒しないで、大丈夫だよ。変な下心とかないし」


 そう言って、今度はおかしそうに笑う、一柳くん。


「わかってる……けど」


 だから、そういうのがつらいのにね。






 講義が終わって、さっきの場所に戻ったら。


「お疲れ様。何食べたい?」


 早速、一柳くんが誘いに近づいてきてくれたんだけれど。


「あのね、本当に気なんか遣わないで」


 辞書を貸したくらいで、恐縮してしまう。


「佐野さんの性格、つかめてきたかも」


「…………?」


 いたずらっぽく笑う、一柳くんを見上げた。


「だから、何て言っても、強引に連れてく」


「えっ? あ、じゃあ……えっと、ちょっと待っててね」


 わたしの背中を押して歩こうとする、強引な一柳くんに観念して、夕食を用意してくれているはずのお母さんに連絡することにした。


「大丈夫そう?」


 電話を切ると、一柳くんにのぞき込まれた。


「うん。遅くならなければって」


「よかった」


 そんな一柳くんを至近距離で見ると、千鶴ちゃんが言っていたこともわかるような気がしてしまう。


「絵に描いたような、しっかりした家庭で育った感じだね。佐野さんって」


「そう……なのかなあ」


 自分では特に意識したことがないんだけれど、純ちゃんにもよく言われるっけ。あいまいに返しながら、一柳くんに案内された店の、おしゃれな内装を見回す。


「そういえば、さっき言ってた佐野さんの友達って、女の子?」


「うん。そうなの」


 学校の最寄り駅なのに、存在すら知らなかった、カフェとバーの中間みたいなお店。


「そっか。ショックだったね、佐野さん」


「ど、どうして?」


 アイスコーヒーに口をつけて、ひやかすように笑う、一柳くんに動揺する。


「一柳くんも聞いてたんでしょ? わたしが、入学式の日に人見くんに言っちゃったの。大嫌いって」


「大嫌いだなんて、よっぽど好きじゃなくちゃ、わざわざ言わないよ」


「そ……」


 何から何まで、全部ばれてる。


「あの、でもね。それは、あいさつすらしたことのなかった、高校のときの話だから」


「へえ」


 意地悪な瞳で、ずっとニヤニヤしている、一柳くんに。


「一柳くんは? デートだったんでしょ? 今日」


 とにかく、矛先を変えたくて、話を振ってみる。


「ああ、5限の前までは、一緒にいたんだけどね。すること済んだから、学校に戻ってきちゃった」


「…………!」


 飲んでいた、アイスティーを吹き出しそうになった。


「おもしろい、佐野さん」


「そういう問題じゃ……」


 単に、からかわれてるだけなのかもしれない。だけど。


「本当なの?」


「ん? 何が?」


 くったくのない調子で、一柳くんがわたしを見る。


「女の子、とっかえひっかえっていう話」


「何? それ。玲に聞いたの?」


 顔色ひとつ変えず、楽しそうな反応。


「ううん、えっと……」


「千鶴ちゃんかな。ヒロ先輩経由で」


「……うん」


 ごまかす必要もない気がして、小さくうなずいた。でも、よくよく考えてみたら、そんなことを確認して、どうしようというんだろう?


「本当だったら、何?」


 笑みを浮かべたまま、一柳くんに聞かれる。


「今ね、わたしもそれを考えてたの」


 どのみち、どんなに距離を縮めようと頑張ってみたところで、一柳くんがわたしを見てくれることなんて、あるわけないのに。


「素直だね、佐野さん」


 また、おかしそうに笑われてしまった。さっきから、変なことを言ってるつもりないのに。


「うん。気に入ったから、協力してあげようかな」


 ふっと笑うのをやめた、一柳くんを見上げると、意外な言葉が出てきた。


「昔から、玲は俺のものを欲しがるんだよね」


「え……?」


 いったい、どういうこと?


「だから、佐野さん、俺の彼女になりなよ」


「はい?」


 今のわたし、バカみたいに、目を見開いているはず。


「絶対、玲に意識されるようになるよ」


「や……」


 違うの。人見くんのことなんて、とっくに好きじゃないの。むしろ、一柳くんが……!


「悪い話じゃないと思うけどな。俺と、一緒にいるのも嫌?」


 思わず、ぶんぶんと横に大きく首を振ったら。


「じゃあ、決まりね」


 顔を近づけて、一柳くんがにこりと笑った。


「料理、そろったね。食べよう」


「あ……う、うん」


 一柳くんの考えていることが、全くわからない。でも、確実に取り返しがつかなくなっていく、わたしの心。この先、一柳くんは、ちゃんと責任を取ってくれるの?



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