第5話 叶わぬ恋に身を投げたら



 昨日のことを思い出しながら、学食で一人ぼんやりしていたら。


「ほら、これ」


「えっ?」


「長谷川から」


 横から、いきなり、人見くんに小さな包みを差し出された。見ると、純ちゃんの家の近くにある、わたしの好きな焼菓子のお店のパッケージ。


「昨日の礼だってさ」


「ありがと……あ、人見くん」


「何だよ?」


 すでに立ち去ろうとしていた人見くんが、面倒そうに振り向く。


「純ちゃん、大丈夫そうだった? 途中、つらそうじゃなかった?」


「そんなの、見てわかっただろ? いちいち、聞いてくるなよ」


 わざとらしく、ため息をつく人見くん。また、このわたしと純ちゃんへの態度の差……!


「そのわりには、あんな心配そうにしてたくせに」


 残念ながら、純ちゃんは、人見くんなんて好きじゃありませんけどね。


「あ?」


「何でもな……」


 と、そこで学食に入ってきた、一柳くんの姿を発見した。


「何だよ? 急に黙って」


「…………」


 結局、昨日言われたのは、冗談なんだよね? あのあとも普通に話をして、別れただけだし。ただの冗談だったのか、からかわれただけなのか……なんて、考えているうち。


「優貴」


「え……は、はい?」


 こっちに近づいてきた、一柳くんに呼ばれたことに気がついた。というか、今、名前で優貴って呼ばれなかった?


「整?」


 げんそうな顔を向ける人見くんに、一柳くんがさらりと伝える。


「昨日から、つき合うことにしたんだ」


「…………!」


 やっぱり、冗談じゃなかったんだ。一柳くんの発した言葉に、頭の中が真っ白になる。それと同時に、ひしひしと感じる周りからの視線。


「一柳くん、わたし……!」


 やっぱり、無理があるし、申し訳ない。そう言おうとしたんだけれど。


「何言ってるんだよ? いいところがひとつもない、こんな妙な女とおまえがつき合うわけがない」


「……彼女だもん」


「あ?」


 あまりにひどすぎる人見くんに、勝手に言葉が出てきた。


「わたしは、一柳くんとつき合ってるんだもん」


「そういうわけだから」


 一柳くんが、わたしの肩に手をかける。


「優貴をかまうのも、ほどほどにしろよ」


「嘘だろ……」


 あっけに取られている人見くんを残して、一柳くんに肩を抱かれたまま、学食を後にした。


「おもしろかった」


 外の空気を吸うなり、いきなり笑い出す、一柳くん。


「のるね、佐野さんも」


「ごめんなさい。つい」


 人見くんの態度に、自分を見失っちゃって。


「見た? さっきのあの玲の顔」


「見たけど」


「ん?」


 わたしがいちばんドキドキさせられるのは、一柳くんのこういう子どもみたいに無邪気な笑顔かもしれない。でも。


「……昨日、人見くんは、昔から一柳くんのものを欲しがるとか言ってたよね」


「ああ、うん。言ったね」


 ずっと楽しそうな、一柳くん。


「過去に、その……女の子のこととかで、人見くんと何かあったの?」


 一柳くんが、何の得にもならないわたしの相手をしていることが、どうしても不自然に感じられて。以前の確執に起因する何かに、わたしを利用するつもりなんじゃないかとか、かんぐってしまう。そうだったら、悲しいから。


「え? そっか。そんなこと、考えてたんだ?」


 とたんに、一柳くんが声を上げて笑い出した。


「笑いごとじゃなくて、真面目に」


「いとこなんだ」


「えっ?」


「玲とは、いとこ。小さい頃に、おもちゃの取り合いをよくしてたとか、そういう次元の話。俺の父親と玲の母親が兄妹なんだよ」


「そう……だったんだ」


 いとこ。急には、結びつかない。顔も、特に似ていると思ったことはなかったし。


「女関係、男関係にだらしのない兄妹でさ。多分、玲の女嫌いは母親の……」


「待って……! そんな話、わたしが聞いちゃっていいの?」


 我に返って、一柳くんを遮る。


「うん。言ったでしょ? 協力してあげるって」


「だけど」


 今、わたしが好きなのは、人見くんじゃないから。


「だけど、何?」


「一柳くんは?」


「ん?」


 わたしの顔をのぞき込む、一柳くん。


「一柳くんも、お父さんのせいで女の子を見る目が変わっちゃったの?」


 はぐらかしつつも、適当な女の子と遊んでいるのは、きっと本当。そんなお父さんの存在のせいで、女の子と真剣に向き合えなくなったとか……。


「佐野さん」


 一柳くんが、ニッコリと笑った。


「気に入ったから、協力してあげるとは言ったけど」


「う、うん」


「関係のない俺のことは、干渉しないでほしいな」


 顔は優しいんだけれど、有無を言わせない空気。


「ご……めんなさい」


「べつに、謝らなくていいよ」


 関係のない……つまり、このわたしが一柳くんの彼女になるというのは、当然ながら、人見くんの前だけということ。


「あ。ちょっと待ってて」


 着信音を確認すると、テーブルの上の iPhone を手に取って、一柳くんが話し出す。


「え? 今から? うん、いいよ」


 話している相手は多分、遊び相手の女の子。なんとなく、一柳くんの口調でわかる。


「じゃあ、すぐ出るよ」


 出会った頃みたいな、今にして思うと、少し営業っぽい印象を受ける話し方。


「というわけで」


 電話を切るなり、一柳くんは立ち上がった。


「またね、佐野さん。千鶴ちゃんにも、ちゃんと信じさせておくんだよ?」


「待って、あの……」


 呼び止める間もなく、早足で去っていく、一柳くん。本当に遠いなあ。






「聞いたよ! 優貴」


「一柳くんのこと?」


 千鶴ちゃんが講義に出ているなんて、ひさしぶり。


「そんなの、決まってるでしょ? ね、どっちから?」


 自分のことのように興奮してくれる、千鶴ちゃん。


「……一柳くんの方から、なんとなく」


 もう、どうでもいい……というよりは、一柳くんの厚意を無にするのが怖いだけだったり。


「へええ。やるじゃん、優貴。でもさ、優貴を選ぶなんて見直したよ、整くん」


「どうなんだろうね」


 あいまいに笑って、ごまかそうとした、そのとき。


「…………?」


 殺気に似た何かを感じて、目線を斜め後ろに移した。


「……あ」


「何? どうしたの?」


「ううん! 何でもない」


 思ったとおり、人見くんの視線。絶対に意識されるようになるっていう、一柳くんの言葉どおり。でも、あれは明らかに、前以上に険悪な空気。


「人見くんじゃん」


 あっけらかんと人見くんに手を振る、千鶴ちゃん。


「あはは。無視されちゃった」


 わたしにも、千鶴ちゃんの無邪気さを分けてほしいような。


「もったいないなあ。せっかく、あんな格好いいのに。女嫌いなのかな」


「そう……なのかもね」


 話を聞いてしまって、少し思うところはある。そういう家庭の環境のせいで、中性的な純ちゃんに惹かれたのかなあとか。それも、わたしには関係のない話だね。


「千鶴ちゃんは? 相変わらず、先輩とはうまくいってるの?」


 なんて、聞くまでもない気もするけれど。


「うーん……最近は、グダグダかな」


「そうなの?」


 学校を休んでまで、一緒にいるのに。


「ヒロくん、ちょっとテクニック不足なんだよね。あっちの方の。持続力も、いまひとつだし」


「…………!」


 いきなり、そんな話?


「まあ、そこのところは愛で補ってるっていうか。整くんは? 上手でしょ?」


「や、その……」


 千鶴ちゃんの声、周りにも人見くんにも全部聞こえているはず。


「えっと……あ、先生! 先生来たよ、千鶴ちゃん」


 こんなときの対処法、一柳くんに教えてもらうわけにいかないし。この先、どうしたらいいの?






 一回、千鶴ちゃんとは別れて、次の教室への移動中。


「優貴」


 一柳くんの声に、視線が集まる。


「あ……戻ってきたんだね」


「うん。このあと、今日は飲み会があるでしょ?」


「そうみたいだね」


 千鶴ちゃんも先輩と参加するっていうし、わたしも出るつもりでいるんだけれど。


「どう? 玲は」


「どうって……すごい顔してた」


「へえ」


 楽しそうに笑う一柳くんの体からは、数時間前とは違う甘い香り。


「もっと、一緒にいてあげればいいのに」


「え?」


 一柳くんが、不思議そうに聞き返す。


「だって、本当の彼女……じゃないの?」


「彼女じゃないよ」


 どうして、そんなことを言うんだろう?


「でも、昨日も今日も会ってるんでしょ?」


 ただ、会って話をしてるだけじゃないことなんて、わたしでもわかるよ。


「やってることは同じだけど、違う子だよ」


 笑みを浮かべたまま、その表情を崩さない、一柳くんの気持ちがわからない。そんな話を普通にされてしまう、わたしが圏外だということくらいしか。でも。


「かわいそう」


「べつに、かわいそうなんかじゃないよ。わかってて、俺に会ってるんだから」


「違う」


 わたしには、わからない。


「女の子じゃなくて、一柳くんのことだよ」


 どうして、こんなに綺麗な瞳の一柳くんが、そんなふうになっちゃったんだろう? やっぱり、家庭環境が関係しているとしか思えない。


「あ……ごめんなさい」


 黙っていた、一柳くんと目が合った。何も考えずに、無神経なことを言ってしまった。


「……これだから」


 乾いた笑顔で、一柳くんが口を開く。


「よっぽど、幸せに生きてきたんだね。佐野さんは」


 今のは、わたしが無神経だったのかもしれない。でも、それでも。


「たしかに、わたしは普通の家庭で、何の不自由もなく育ってきたけど」


 それは、否定できない。


「だけど……だからって、人の心の痛みがわからないように思われるのは、すごくつらい」


 純ちゃんにも、そう思われてるのがわかるから、多少なりとも、わたしも傷ついてきているんだよ。


「…………」


「一柳くん?」


 なおさら、嫌な気持ちにさせてしまったかと不安になったんだけれど。


「そうだよね」


 目の前の一柳くんが、ふっと表情を緩めた。


「バカみたいだね、変な被害者意識持って。無神経なのは、俺の方だよ」


「違う、わたしが……」


 何も知らないくせに、心に土足で入り込むようなことを言っちゃったから。


「本当に素直なんだね、佐野さんは」


「……ごめんなさい」


 どう応えたらいいのか、わからない。


「嫌みじゃないよ。さっきも、少しドキッとした」


「え……?」


 そっと顔を上げると、わたしの大好きな、少年みたいな笑顔の一柳くん。


「行こうか、優貴」


「…………!」


 ただでさえ、ドキドキして、どうにかなりそうなのに。平然とわたしの右手を握って、一柳くんが歩き出す。わたしの気持ちをわかっていて、わざとやっているんじゃないかとも思う。でもね、もう関係ない。だって、完全に手遅れだもん。



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