第5話

「す、すまん、文太さん。でも、これでも俺は文太さんのことを一生懸命育ててきたんだよ」

「具体的には?」

「それは、例えば」

「答えるのが遅いです、明美さん」

「了解」

 明美は茂雄の前に立ち、すっかり頭皮が薄くなった頭を思い切り叩いた。

「あ痛っ」

「うるさいんだよハゲ親父っ。いつも谷間見てるのバレてんだからな」

 明美は茂雄を罵倒しながら、両手で太鼓のように頭を叩いた。

「明美さん、司令が出てないのに叩いちゃだめですよ。死んでしまいます」

「ごめんね、文太」

「誰にでも失敗はつきものです。改善していきましょう」

「はい」

 茂雄は強く頭を叩かれた衝撃で幸子が文太を拾ってからの人生が走馬灯のように思い出された。

 後輩から引き抜かれ、六十歳を超えた歳で仕事にまい進するうち、家に帰ることがめっきり減ってしまった。その間に文太を中心としたグループが出来上がっていた。いつのまにか幸子も健介も文太の司令をトップダウンにして動いていた。義理ではあるが母親や兄をうまい言葉の言い回しであごを使って奴隷のように使っている文太を叱ったことがすべての始まりだった。すっかり文太に服従している幸子や健介は文太の指示通りに茂雄を罵倒、殴打し、アパートに監禁した。仕事は身体が動かなくなったという理由で退職させられた。すでに会社は上場する一歩手前まで成長しており、最大の功労者だった茂雄は億を超える退職金をもらうことができた。その金は文太や幸子、健介に明美にすべて行き渡ったことは言うまでもない。最初は抗っていた茂雄だったが、毎日罵倒され、殴打されているうちに完全に心が折れて隷従するようになった。

「あの、文太さん」

「どうしたのお父さん」

 茂雄は視線を彷徨わせた。最近は視界がぼやけていて眼鏡がないと誰かがわからない。

「そろそろ、手足の拘束を解いていただけませんか?」

「だってお父さんが悪いことしたからそうなってるんでしょ?」

「そうだよ父さん、俺は今でこそ社会に出て働けるようになってるけど、引きこもりのときはお父さんが無言のプレッシャーを与えてきたからああなってたんだよ」

「それは母さんもだったじゃないか」

「母さんも確かにそうだったけど、ちゃんと謝ってくれたよ。父さんだけは『もっと早くからこうしてはたらいてくれりゃあな』みたいに嫌味ばっかり言ってさ。文太、お父さんのこと一発殴っていい?」

「ダメだよお兄ちゃん、過去の憎しみで人を殴ったらきりがないよ。僕たちはお父さんと違って前を向いて生きていかないといけないよ」

「確かに、文太、お前はなんて聡明なんだ」

「みんなのおかげだよ。お母さん、お兄ちゃん、明美ちゃんが育ててくれて、それにお父さんが反面教師になってくれたからこそ、今の僕がある」

 茂雄を除く人間たちが鼻をすすり、拍手で文太を讃えている。茂雄だけは叩かれた頬の痛みを誤魔化すために歯を食いしばっていた。

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