終章 うみねこお父さんの昇天

終①




–––––––––––––––––––––––––––––––––––––



「では行きますよ」

「はーい⭐️」


「「せーの!」」


 ‥‥‥‥‥‥



–––––––––––––––––––––––––––––––––––––



 

 瞼を開くと、朝焼けの空が広がっていた。地平線から太陽が半分顔を出している。

 陽の光が柔らかい。まさに一面は桃源の世界だった。

 長い夢から目覚めるようにして意識が戻ったばかりだったので、忽然と現れたその風景にすっかり心を奪われて呆気に取られてしまう。


 ‥‥どういうことだろうか?


 目の前に広がる風景は、実に美しく平和な景色だった。しかし、––––––––。

 私は今の今まで妻と居間にいたはずだった。

 それで、妻と会話をしていて、––––––––。

 

 ふーむ。どうにも頭が回らないようだ。

 今さっきまで居間で腰を落ち着かせていたはずだった私が、なぜか現在は一面が空ばかりの場所で、プカプカとあてもなく漂っている。状況がイマイチ把握できない。


 もしかすれば夢でも見ていたのだろうか?

 だがそれにしては妙に生活感があって、やたら物語性のある夢だったような気もする。

 いや、あれを夢だというのなら、今現在の私のこの状況こそが非現実的すぎるものではないだろうか。

 なんで私はこの状況を違和感なく受け入れているのだ? 

 一瞬の内に背景が様変わりして、空を遊泳しているのだぞ?

 演劇の暗転じゃあるまいし、これはどういう仕掛けなのだ?


 ‥‥ヤレヤレ、ジジイになると頭がしょっちゅう故障を起こして困る。私は心の中でブツクサと自分の頼りにならないポンコツ頭に対して不平を言い。頭が回らぬのならタバコでも吸おうと、胸元に手を伸ばしたのだが、そこで『ああ、そうだった』と気づく。


 ––––そう言えば、私は死んでいたのだったな。


 タバコを取ろうと胸元をまさぐっていた手は、探せども探せども目当ての物をいつまでも得られず、霊の体となって虚しくなった自分の胸を貫通していた。それでようやく状況を理解したのだった。

 


          ⚪︎



 頭をこんがらがせて寝ぼけたようになっていたのは、さっきまで生きていた頃の妻と会っていたような気がしたから、自分もまだ生きているものだと錯覚して、記憶を混乱させてしまっていたからのようだ。 

 しかし一旦落ち着ついてしまえば、自分を見失うことはない。私というものが既にこの世と離れた存在であることがよく分かる。そして残念ながら妻も––––––。

 それから私は、昨日から自分の身に起こった様々なことを思い出し始め、ようやく頭の整理がつきかけていた。


 

「パンパカパーン」

「パンパカパッパッパーーン〜⭐️」



 そこへ突然、明るい声が二つ飛んでくる。

 聞き覚えのある黒服の二人の声だった。

 

「おめでとうございます。うみねこ様、合格です!」

「ウミちゃん、おめでとー⭐️ 合格だよー⭐️」


 相変わらずこの二人は、出会い頭のテンションが高い。

 ヤレヤレ、何が『おめでとう』だ。

 こちらは頭に少々ボケの兆候が出始めていて、めでたくも何ともない。


「やー、一時はどうなることかと思いましたが、本当に良かった」

「バンバン、パフパフー⭐️」


 さて、確かこの二人とはクルーザーに乗る前に別れたはずだったから、会うのは1日ぶりということになる。私が何かの手続きの最中に姿を消したものだから、察するにあれから随分探していてくれたのではないだろうか。

 いや、大人しく待とうとは思ってたんだよ。でも暇を持て余しているところに、何もない空間から、忽然と釣り竿やクルーザーが出てきてしまうという謎の奇跡を目の当たりしてしまえば、釣り人なら誰だって目の色を変えてしまうだろう。それで一も二もなく、思わず竿を背負って海に出航してしまうというのが釣り人の抗えぬ性というものだ。

 そういう訳でたいへん仕方のないことだったとは言え、やや申し訳なさを思い。なんとも気まずいので、一言謝罪をしようかと思ったのだが。そうしたこちらの心情などお構いなしに、黒服の二人組は現れて早々にお気楽全開の調子で、何かアホなことをやっている。


「「からの〜」」〜⭐️


 うーむ。

 二人は顔を見合わせて溜めを作り、既視感があることをやっている。

 これは流行っているのだろうか?


「「なんと私たち、天使なのでした!!」」〜⭐️


 などとサプライズしてくる。

 ジャジャンーンと効果音が流れてきそうな勢いで、二人は一瞬で衣替えをし、黒いスーツ姿から純白のスーツ姿に変わる。

 そして二人の背中からは美しい白翼が羽ばたいていた。


「驚かれましたか。実はそうだったのです」

「ヘイヘイ、センパーイ⭐️ ウミちゃん、ビビってるよー⭐️」


 おお、なんと! 

 一瞬で衣装が変わったぞ!

 おおお、それでどうやったのか知らんが、背中から翼も生えてきておる!

 すんごい手品だ。ビビった!


 ぱちぱちぱち。

 私はやんややんやと手を叩く。


 テレビなどの映像で大道芸の類を見れば、変に見慣れてしまっているために何をやられてもそんなものかと無感動にスルーしてしまうが、こういうものは実際に目の前でやられると全然違うな。感動してしまう。

 

「という訳でして、我々天使があなたを迎えに参りました」

「そう⭐️ 私たちは天使の送迎係なの⭐️ 天国の入り口まで送ってあげるからね⭐️」


 ヤレヤレ、年寄りを驚かせよって。

 腰が抜けかかったわい。

 で、なに。天使だって? 

 それに私を迎えに来たとな?


「このような場でありますので略式ではありますがお祝いをさせて頂きました。我々、天の国一同は、あなたをお迎えできて幸いです」

「おめでとー⭐️ パフパフー⭐️」

 

 だとすると‥‥。

 私はしばし考え込み、彼らが言わんとしているその意図をようやく理解する。


 ‥‥‥そうなのか。

 ならば先ほど言われた言葉に合点がいく。

 それで『合格で、おめでとう』なのか‥‥。

 では、それは本当に大きな祝福の意味を持つ言葉だったのだな。


 ––––実感はないが‥‥。

   そうか、私は人生をやり遂げたという訳なのだな。



          ⚪︎



 かつての私にとって人生とは、あてのない目的地を目指す旅路であり、長い長い苦役の道のりを、理由を知らされないまま進まされて、やがて漠然とした終わりへと至るものであった。

 しかし今こうして人生の終着の手前に立って初めて、人生には何よりも優先して目指さなければならない明確な目的地があったのだと知れる。


 生きていた頃は自分の死の先にあるもののことなど深くは考えて来なかった。生きるのに忙しくて、死んだ後のことなどは常に後回しにしてきた。実際は、自分の魂の生存に関わる恐ろしく切迫した問題であるのに、危機感や真剣味をもって、【その場所】へ行こうなどとは考えて来なかった。

 

 なのに私は幸運だった。そこまで鈍感で、己の魂などに頓着してこなかったにも関わらず、いくつかの偶然と幸運が重なったおかげで、こうして【その場所】へ迎えられようとしている。


 もうじき私の人生の歩みは終着する。

 私は天国へ至ろうとしているのだった。







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