4章 うみねこお父さんと愛の試練

4-1 試練の開幕① 心配する夫

「‥‥では––––ウミネコ様。予定外ではありますが、試練に臨んで下さい」

「うんうん、頑張ってー⭐️」


 ‥‥‥‥。

 ‥‥‥‥。


 ヒャヒャヒャ‥‥。

 

 ‥‥‥‥。


「‥‥‥負けないで、愛を示して、ウミちゃん!⭐️ 愛は戦いだよ!⭐️」




 –––––––––––––––––––––––––––––––––––––




 ‥‥‥‥‥聖書を読み終えると、本をテーブルの上に置いた。私は寝転がったまま、体を縦に伸ばす。固まった筋肉が心地良くほぐれてゆく。欠伸を一つする。気づかなかったが、もしかすれば少しだけ眠ってしまっていたのかもしれない。

 ‥‥‥で、時間はどれくらい経ったろう。けっこう時間を潰せたよな?

 確認すると柱時計はさらに時を刻み、21時の半ばになろうとしていた。そうか、そんな時間ったのか。

 ふむ、納得した。難しい本を熟読していて、やはり寝落ちしてしまったのだろう。妻の声を子守唄のように聞いていて、途中でコックリと落ちてしまったのだ。それから‥‥。そうか。夢を見ていたのかもしれない。どうも記憶が判然としないのだが、一度も行ったこともない飲み屋のカウンターに腰掛けていた錯覚がまだある。妙なリアル感が残っているのだ。


 ––––––確か夢の中で私は‥‥‥。

 ––––––常連みたいな顔をしてたっけ?

 ––––––それで、私は窮地に陥っていた気がする。

 ––––––‥‥窮地に? 

 ––––––なんで飲み屋でそうなるのだ?


 もう一度、欠伸をしながら夢の内容を思い出していた。どんな雰囲気の飲み屋だったのか。何を話しいて。誰と飲んでいたのか。うっすらと覚えていたものが、急激に思いだせなくなる。‥‥‥‥ま、夢とはこういうものだな。

 それはさておいて時間は十分に稼いだのだ。さすがに妻のお喋りもそろそろ燃料が切れて終わっているだろうと様子を見てみると‥‥‥–––––––––



「もー、笑っちゃう。ゲラゲラ。–––––でね、ブドウをもらって食べてみたらすっごく酸っぱくてー。ゲラゲラ。––––––今度はあなたも一緒に来なさいよ。ゲラゲラゲラゲラ‥‥」



 –––––––––驚愕した。

 状況は未だ変わらず、絶望のビートが絶頂で奏でられていた。

 いったいどうしたと言うのだ? かれこれ3時間以上もこのままではないか。私はこんなにも腹を空かせているというのに、妻の腹時計は故障したというのだろうか?

 本気で体がどこかおかしいのではないかと心配してしまう。

 最近、私は自分の体が衰えたのを感じる。老いというものを強く自覚するようになってきた。若かりし時は何でも出来たような気がするのに、最近ではあれができないこれができないと諦めることが多くなった。同じく妻の方にも明らかな老いが見え始めていた。長く歩けない。少し重い物を持ち上げられない。耳が遠くなった、などの様子から、まだ体力面で余力のある私が手助けしなければならない場面が多く出てきた。こうも不調が増えてくると、近所の爺様婆様と同じように、じきに二人して病院に頻繁に通うようになり、かかりつけの町医者に小言を言われる日々が待っているのだろう。だが、妻は体が自由に動かなくなってきていても食い意地と喋ることだけは、医療いらずで元気に動き続けるものと思っていた。

 妻にとって『喋る』『食う』は生きると同じ意味であったはずだ。

 これは本格的におかしい。本気で心配してしまう。私は致し方なく、重い口を開く事にした。



          ⚪︎



 この私、漢ウミネコは古い考えの人間で、男は寡黙であれ、口を開く時は大事の時以外にあってはならないと常々戒め、喋る時は侍が刀を抜く時のような自らの進退を決する時だと思っている。

 であるからして滅多に喋ることはないのだが。さすがに妻が身体を壊しているようなら、妻の健康と自分の矜持とを天秤にかけようもない。重い口を開くことにした。

 しかし、いきなり心配事の指摘から入ってしまえば、妻にあらぬ不安を煽ることになってしまうかもしれない。妻は臆病なところがあり、大きなストレスのかかるような想定外のことが起こったりすると混乱する人間だった。なので私はまず妻に取り止めのない事を話しかけ、それから本題を切り出すことに決めた。こうした細やかな配慮をできるのが、良き夫である私なのである。

 依然、絶好調で急上昇に話し続けている妻を優しげに見つめてから、私は少しだけ微笑む。それからおもむろに少し腰を浮かして、尻に力を入れるのだった。

 


 プ〜〜〜〜? (訳:ごはん、まだー?)



 うむ。相変わらず素晴らしい言語操作だ。

 語尾の『〜?』が非常に技術を要するポイントだ。聞いた者の耳にはイントネーションで何かを質問されていることが分かるだろう。

 スズメにはスズメ用のコミュニケーションの取り方があるが、妻にはこのようにもっと分かり易い言語を使うようにしている。



「くさっ!」



 プププププ、プ〜。(訳:おい、ハト。いい加減にしないか。いま何時だと思っている。まったく、お前という奴は、いつまでくっちゃっべっているんだ)



「くっさ! いきなり何するのあなた! いま鼻に直撃したんだけど。私を殺すつもり!」



 いつもならば一言二言いってすぐに声をかけるのをやめるのだが、今は妻の事が心配なのだ。なので私は真剣な面持ちで話を続ける。本題はここからになる。

 燃料よし。方角よし。角度よし。発射。



          ⚪︎

 


⚫︎ププピ、プププ。(もしかしてお前、どこか体調が悪いんじゃないか?)

 

「あなた、なに食べたらこんな臭いになるの! くさっくさっ」



 私はさらに表情を真剣なものにして妻の体調を案じてしまう。前置きはこれぐらいいいだろう。ここで本題となることを提案してみようと思う。

 

 

⚫︎プープープー。(一度、医者に診てもらった方がいいかもな。今度、一緒に大きな病院に行ってみるか。ほら、あの丘の上にあったろう?)


「しつこ! ちょっといい加減、お尻向けないで!」


 

 反応を見る限り、どうやら妻は元気のようだ。よかった。心配は杞憂だった。暗澹たる雲が取り去られるように晴れやかな気持ちになる。

 などと安堵する一方で思ってしまう。

 なら飯を作らないことはどういう料簡なのだろう? 一瞬、苛つきを覚えてしまったがその感情を抑える事にする。

 怒ってはいけない。苛ついてはいけない。けして感情的になってはいけない。

 話し合う必要が生じた時、その前に私はいつもこうする。思ったことをそのまま吐き出すような真似をすることほど愚かなことはない。まずは平静になることだ。

 そして、気持ちを落ち着かせてから、じっくりと話すべき相手と向き合う。

 私は夫として妻に少々、小言を言わなければならないようだ。



⚫︎ぷーー、プンプン。(遊びに行くのはいい。外で友達と楽しんでくるのを私は止めないさ。教会か。新しい友達ができて良かったな。ウチはもともと無宗教だし、カルトでなければ、どういう思想信条を持つのも構わないと思っているよ)



 夫婦間において、夫がもっとも気をつけなければいけない事がある。男というのは何かと女に説教したがり、力でその理屈を押しつけたがるものだ。それはモラハラの原因となる。

 説教はたまにはいい。必要な時はある。だが常習的にはいけない。言いたい事は山ほどある。しかしそれをすべて言ってはいけない。妻にも言い分があるのだから。

 世間一般的にもそうだ。相手の言い分を聞かず、話が一方的になったら、きっと言われた方は自分の尊厳を無視されて押し付けられた、押さえつけられたと思ってしまうことだろう。特に強い言葉を使う時ほど気をつけねばならない。



⚫︎ぶ〜、プップップ〜。(しかしな。でもそれで家庭内の事情を疎かにされるなると私が一言いいたくなるもの分かるだろう。私が外へ働きに出て、お前が家を守る。これはお前と私で最初に決めた役割分担だろう。お前のこの家での仕事は何だ? 遊びに行って飯の用意を忘れるようじゃ困るぞ)



 家庭内において夫というものは普段は『話す事』と『聞く事』の割合を3:7ぐらいにして妻に接すればいい。しかし夫として言わねばならないことが生じたこうした厳しい場面では、聞く耳を持ちつつも(この心構えが絶対の前提だ)、その時には7:3ぐらいの割合で、きちんと言うべきことを言わねばならない。それがベストだ。

 そういう考えだから、私は言うべきことをビシッと言ったら、クドくなることを嫌い、なるべく話を簡単に切り上げる事にしている。



⚫︎ぷー、ぷっぷ。(よし、話は終わりだ。さっさと飯の用意をしてくれ)


「ぐおぇえ! おならが充満して、部屋にもう逃げ場ない。助けてーー! 夫のオナラがくっさいのーー!」


 

 こうした考え方や振る舞いが夫の有り様として世間的にどの程度のものとして評価をされるか分からないが、私はできるだけ伴侶にとって思いやりのある夫であろうとしている。さすがに満点だとは自負できないが、世の奥様方から見て、恐らく私は90点クラスの良い夫なのだろう。フフフ。



          ⚪︎



 ※ここから別次元からの視点も加わります。

 黒服の二人と悪しき霊です。

 プップーしているうみねこお父さんの様子を見て、彼らは話すのでした。



◆–––––––––––––––––––––––––––––––––––––◆

「ウミちゃん、意味が分かんないよ⭐️ ちゃんと話してー⭐️」

《ケケケ、まーたこれだ。こいつの思考は特殊すぎて読みづらくて仕方がねー》

「ウミネコ様‥‥‥」

◆–––––––––––––––––––––––––––––––––––––◆




 ムッ! 誰かが私を呼ぶ声がする‥‥?


 さて、ここでビッビッと霊感が働いたのだった。霊感はメッセージとなって伝わってくる。『さっきからいきなり意味が分からない』『展開が読めないなんてものじゃない。見ている者を置き去りにしないでくれ』と。

 ならばここいらで、私うみねこが、なぜオナラで妻に話し続けるのか説明が必要になるのかもしれない。絵も言われない摩訶不思議な感覚に見舞われて、その方が親切になると思ったのだ。

 霊感がビビッとした時から、頭の中で天使と悪魔が言い争いをしているような錯覚がしている。(微なのだが、さらにもっと遠く離れた超次元からの無数の視線も感じる。)そして彼らに試され、強く『愛を示さなければならない』という使命感があるのだ。その誰とも知しれない誰かにそれを熱く語ってみよう。



◆–––––––––––––––––––––––––––––––––––––◆

「アレ? もしかして私たちに気づいてる?⭐️」

《ウケケケケ‥‥》

「そんなはずはないんですが‥‥」

◆–––––––––––––––––––––––––––––––––––––◆



          ⚪︎



 天よ、我が声を聞け。

 私は知る者である。

 あなたが我ら人類に問いかけた真理への到達は間近である。

 

 そして、歓喜せよ。人々よ。

 地にこの叡智は響き渡る。


  

 コホン。それでは説明しよう。

 無声でコミュニケーションを取る手段として、手話、指話、ジェスチャー、筆記など様々なものがあるが、これは対スズメ用に開発したものとは別に発展させてきた世界でも新しい言語コミュケーション技術だ。

 初めて見る者に大きな驚きを与える『オナラによるコミュニケーション』。私はこれを『真なる夫婦言語』又は『真なる家族言語』と呼んでいる。長年連れ添った親しい者同士では、言葉で何も伝え合わなくとも、阿吽の呼吸で心と心の会話が成立するものだ。余計な言葉を使わずに分かり合える関係というのは、人類の希求する最高の関係と言えるだろう。この言語はまさにそうした真なる愛情で結ばれた者同士でのみ会話できるという技術なのである。

 あなたはこう思うかもしれない。屁に平和的なコミュニケーションを築く力などあろうはずがない。こけば、当人は楽しいかもしれないが、こかれた方には憎しみを買うだけだと。

 無論、その通りだ。常識的に考えて、親しくない者へ屁をここうならば、敬意と親しみを込めてその人に屁をしたとしても怒らせ、思いっきり殴られる事になる。また一般レベルの(家族愛が基準に到達していない)家庭では、殴られないにしても家族に不愉快な顔をされるだけだろう。繰り返して同じ事を説明することになるが、つまりこの『真なる家族言語』とは、〈家族以上の絆の関係が成立している家庭〉においてのみコミュケーションが可能な言語なのである。 

 しかしここで問題だ。


 ・家族以上の家族関係。

 ・一定量の愛情に満たされている絆の関係が絶対の前提条件。


 となるのなら、そのような高次のレベルで、深い愛の関係で結ばれている家庭がどこにあるのか? この血で血を洗う現代社会において、そんな奇跡のような絆は本当にあるのだろうか? 果たして存在しうるのだろうか?


 結論から言わせてもらおう。

 ある、と


 それは私たちの(ウミネコ、ハト、スズメ)この家庭である。

 私たちの関係こそ、稀有でもっとも新しい家族愛を示しうるモデルケースであり、世界で唯一オナラで会話をできる家族なのである。


 思えば、屁とは何なのだろうか?

 屁とは、笑いであり、許しである。

 コミュニティの親和性次第では、明確な言語として成立し、言葉以上の言葉となり、この行為は純粋な愛にまでなりえるのである。


 お分かり頂けたろうか?

 とどのつまり、私はこう言いたいのである。屁で会話が成立する関係こそ至高の夫婦と言えるのである、と。


 ではこの言語を使って、続けて妻と会話してみたいと思う。

 私が最高のものを築き上げて所有していると言うことを、誰とも知れない誰かに自慢して見せつけるとしよう。


 

  天よ、とくとご覧ぜよ。

  このウミネコが示すものを。

  何も心配するに及びません。

  そうです。私は、–––私たちウミネコ夫婦は

  愛において、すでに完全無欠なのです。

  どうか見届けて下さい。

  私たちの夫婦に一部も隙がないと言うことを。

  フフフ。



          ⚪︎



◆–––––––––––––––––––––––––––––––––––––◆

「ウミちゃん、ダメダメ!⭐️ ぜんぜん意味が分かんないよー!⭐️ 」

《本当に何なんだこいつ? メンドクセー。人間の頭の中を100人覗き込めば、たまにこういうおかしな奴がいるけどよ。特にコイツは思考が特殊すぎて攻めづらいったらねーぜ。男の思考パターンなんてものは、たいていバカな事か、エロい事ばかりの単細胞なのによ〜》


「ふふーん。残念〜⭐️ ウミちゃんは特に変な人なのでした⭐️ て、それじゃ、ダメダメ。意味が分かんないよ〜⭐️」

「‥‥‥‥ヒャハハハ。舐めるな! 人間なんて、どいつもこいつもみんな嗜好は同じだ。この先に必ずつけ込む隙がある!》

「ウミネコ様‥‥‥」


「あーあ、先輩にまで呆れさせちゃって。スズメちゃんがいつも言ってたよ⭐️ お父さんは、本当にどうしようもなくお父さんなんだからー⭐️」

◆–––––––––––––––––––––––––––––––––––––◆



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