2-2 黒服の二人組②
それから二人組は私をそっちのけにして、顔を近づけ合い、ヒソヒソと相談事をしている。初対面で見せたおちゃらけたような態度とは打って変わった実に深刻な様子でだった。
いったい何がそんなにも問題なのだろうか? 耳を
––––ヤレヤレ。それで、けっきょく説明は何もなしか。
手持ち無沙汰になってしまった私は、心にモヤモヤを抱えたまま立ち尽くす他なかった。
唐突に訳の分からない状況に放り出されたのだ。事情を知っているだろう二人に、いろいろと聞いてみたいことはある。答えをすぐに聞き出したいところを焦らされれば、よく出来た人間でもうっすらと苛立ちの感情は出てきてしまうものだ。しかし私も
––––待つ他ないか‥‥。
大人しく待っていれば、その内に説明をしてくれるのだろうという事は分かっていたが、二人組の様子を見るに、身内での話し合いが終わるのにまだまだ時間がかかりそうだった。じゃあ、タバコでも吸ってもう少し待ってみるかと、胸元に手をやってみるが、いつもの定位置に入れてあるそれはなかった。
馴染みの感覚を胸の内に吸い込んで、心のモヤモヤと一緒に吐き出せば、幾分か気持ちも落ち着くと思ったがそれもできない。私は空虚な気分のまま、溜息を一つ大きく吐いたのだった。
⚪︎
––––それではしょうがない。景色でも眺めて時間を潰してみるか。
空の上に佇み、辺りを見回すと一面には、やはり当たり前なのだが、空の世界が広がっていた。しばらく無心になってそれを眺めた感想はと言えば、どうにも非現実な感じにしか思えなかった。こんな壮麗、かつ壮大な場所にいる自分というものを信じられなかったからだ。自分という存在が、写真や絵画の映像でしか見れなかった世界に入り込んでしまったような場違いな異物に感じられたのだ。
––––ここが空の上か。美しい世界なのだなと思えるが‥‥‥。私は本当に空になどいるのだろうか? こんな所に自分がいるなんて信じられないな。
それから目線を移して地上の世界を覗き込んでみる。
圧巻の景色だった。眼下には街並みが一望できる。あそこには私が日々、蟻の如く働き、汗を流し、必死に暮らしていた生活があったはずだった。
すると非現実的だと思われていた景色に、一気に現実感が出てきてしまう。
街には私が生きて暮らしていた時の風景があった。その記憶が、あの場所で長く人生を過ごしたという生の感覚を明瞭に思い出させてくれた。そしてそれは、もうあの街は今の自分のような存在の居場所ではないという実感を得させるものにもなった。
––––‥‥そうか、やはり死んだのだな。私は。
ようやくあの煩わしかった労苦すべてから解放されたのだ。未練などないと言いたかったのだが、地上での日常を思うと、どうしても家族のことを思い出してしまう。
そして家族の事を思うと、胸に穴が空いたような虚しい気持ちになってしまう。
無意識にまた胸元を探りタバコを探した。手をしばらく彷徨わせてからまた諦めて、そうして仕方なしに下層世界から響いてくる建築や車の往来などの聞き慣れた騒音を聞いていると、(はっきりとこれは錯覚であり、そんな筈はないのだが)耳の中に聞き慣れた声が飛び込んできた。
《ジジイ、うんこ!》
死別の際、餞別に刻まれた言葉が魂に木霊する。
深い悲しみが胸を締め付けた。
あの時は末代まで祟ってやるとまで言ったが、実際は少しも憎んでなどない。ただ心が虚しく悲しいだけだ。
魂に呪いのように刻まれた言葉によって、だんだんと気力が失せてきて、また無意識にタバコを求めたが、すぐに手が止まる。その手はだらんと脱力した。
––––‥‥フッ、うんこ人生か。
などと自嘲してしまう。一人の男として必死に家庭を守り抜いたのだ。人生が清算される時、必ず評価されるのだと期待する思いはあったが‥‥。所詮、私の人生などつまらないものだったのだな。献身したはずの家族にそう評されてしまったのだから。
心が虚しい。
その虚しい心と同じく、私の体は空洞のように吹きすさぶ風を通していた。
と言うか、風を通しすぎだろう。自分の身体が今どうなっているのか見回すと、すっかり実体がなくなっていた。これが噂の霊魂の姿だと言うことはすぐに悟れた。
確かにこの場には自分という存在があり、自我があるのだが、血肉を通わせせて生きているという感覚はない。しかし伏せっていた時と打って変わり、力が戻っている。活力がある。自分は霊の体であるため、肉体の不調に引っ張られずに健康ではあれるようだ。生きていた頃と比べて、心身に問題は何もないように思われたが、よく見れば足下だけ朧げになって消えている状態だった。
––––では、ここが天国という場所なのだろうか?
辺りを見渡す。
澄み切った大海原を想像させる青の世界だった。
やはりここは不思議で、とても神秘的な場所に思えた。
––––‥‥‥美しいな。語彙は足らんが、美しいよ。
私は大空の上で、しばらくの間、詩的な思いに身を委ねて佇んでいた。死がこういうものであるのならば悪くないのかもしれない、などと思っていた。
⚪︎
「ほお、こういう事情があったのですか」
「あー、面白い⭐️」
黒服の二人が何やら楽しそうにタブレットを覗き込んでいた。あのタブレットは先ほど男が胸元から取り出したものだ。それから二人でキャッキャとやっている。
散々待たされたのだが、一向に何も告げられることもない。彼らの間で問題は勝手に解決してしまったのだろうか? 私を蚊帳の外にして、実に楽しげだ。
「うんうん。そうでしたか。そう来ましたか。はははは」
「ね、ね、先輩⭐️ もっかい再生しよ。あはは⭐️」
何がそんなに面白いのかと興味が出てき、二人の背後からタブレットの画面を覗いてみたら、そこに映し出されていたのは、私の死ぬ間際の一部始終を映した記録映像だった。床に伏せって虫の息の私に、孫たちが乗っかって「うんこうんこ」と言っている映像だ。
「ははは。こういうことならば大丈夫そうですね。最後までお孫さんに囲まれて幸せじゃないですか。はははは」
「ダメだよ。スズメちゃん。ちゃんと素直に言わなきゃ。アハハハハハ⭐️」
二人は本人のいる前でケラケラと笑っていた。
それを覗き込む私の眉間にピキピキと青筋が浮かび始めたところで、女の方の黒服が、背後に私がいることに気づく。女はすぐに振り返って、両手に握りこぶしを作りながら、悪びれもなく満面の笑みで言う。
「ウミちゃん、ファイトだよ⭐️ ホラ、人生っていろいろあるじゃない⭐️ だから、恨みっこなしなんだよ⭐️ 笑い飛ばそうよ。うんうん⭐️」
今さっきまで私の人生の末期を笑っていた奴が何を言っている。
私はお前に怒り心頭だ。
「‥コホン、うみねこ様。こういう事情であるならば問題ありません。では略式ではありますが、すぐに参りましょう。まあ規則ですので、宣言をお願いします」
男の方はバツの悪いのを誤魔化すように一つ咳をしてから、そのような事を言う。
続けて女の方が、
「ウミちゃん。スズメちゃん、やっぱり可愛いね⭐️」
などと親しげに言ってくる。
なんだ? 娘と知り合いのようなその口ぶりは。馴れ馴れしいのもその為か? そうだな。年齢もスズメとそう変わらんし、一度顔を合わせたことがあるのかもしれない。私は自分の記憶を探り、娘の友人の中に見覚えがある顔がなかったか思い出してみる。
「ん? わたし?⭐️ わたしね。今のお仕事は送迎だけど、前まではスズメちゃんとずっと一緒にいたんだよ⭐️ えっと、生まれてから、う〜ん⭐️ ほとんどだね⭐️ スズメちゃん、いい子だよねー⭐️ 転属してからずっと心配してたけど。よかったー⭐️」
何の話をしている? まったく訳の分からんことを。だが、それで分かった。
娘にこんな怪しげな知人など断じているはずはない。
そんな長い間、娘と付き合いがあるのなら、娘が邪悪だと知っているはずなのだから。
「じゃ、行こっか⭐️ さあ、どうぞ⭐️」
‥‥‥‥‥‥?
何がどうぞなんだ?
意味わからん事を何度も言ってくる二人組に怪訝な表情を向けていると、
‥‥‥‥‥‥?
‥‥‥‥‥‥?
二人組もよく分からないという表情を浮かべている。
そうして、しばらく間があったのだが、男の方が何か思い当たる節でもあったのか平手を打つ。
「あー、ちょっと、長く暗いところにいたから忘れちゃった感じかな?」
「大丈夫だよ、ウミちゃん⭐️ すぐに思い出させてあげるから!⭐️」
なんのこっちゃ。
⚪︎
『Q:キーワードを一文字だけ隠して示すので、⚫︎で隠されたところを推測して答えを言いなさい。尚、質問者からヒントが一つずつ示されます』
「まずは私からヒント①です」
「か⚫︎様を‥‥。ハイ、どうぞ!」
と男が言う。
「私からもヒント②だよ⭐️」
「⚫︎み様を‥‥。ハイ、もう分かったね⭐️ 」
と女も似たような事を言ってから、
「じゃ、ウミちゃん。私たちの言葉に続いてね⭐️」
そして二人は声を合わせて同時に言う。
「「⚫︎⚫︎様を信じます!」」
⚪︎
‥‥‥‥‥‥?
‥‥‥‥‥‥?
‥‥‥‥‥‥?
三人の間に微妙な沈黙ができる。
その沈黙を破ったのは女だった。
「アレーーー?⭐️」
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