総力戦1


 街道も森林も湖沼も雪山も逃げ場はなかった。

 もはや残された手段はただ一つ。

――あの狂信者との対峙。


 不思議とそう決断したことで、身も心も軽くなった。

 ベッドから絨毯の上に降り立つ時も、まるで身体が浮き上がるよう。


従僕アンナ、戦争を始めます。全員に通達――本館広間に集合と」

「は、はいっ! ただちに」


 流石に戦争という言葉には訝しんだ声ではあったが。無事に報せを回したのだろう本館広間には貴公子プリンスたちと、使用人が集まった。


「あら、少ないわね。従僕アンナ料理人タマシュは?」

「え、あの。声は掛けました。仕込みの途中だからと――もう一度見て参ります!」

「あー仕込みじゃああいつは離れねぇよな」


 いや違う。

 スープは昨日から仕込んでいた。他の料理は暖かくして出すから、集まってからの調理。下ごしらえはあったとしても手を離せない仕込みなどはないだろう。


「ああ、そうね。そうだったわね」

「今日の献立を聞いたの?」

「まじかよ。呼び出しに応じないとかどんな手の込んだ飯だよ。何? 何?」

「違うわ。逃げたのよ。そういえば機があればいつも逃げていたわね」

「逃げる? いつも? 何から? タマシュがかい?」

「そうですよ。少なくともここにはずっといるじゃないですか」


 もう彼らの言葉は耳に入らない。

 相手の戦力を考えればこちらの人数は減らせないからだ。

 私は短剣を取り出す。

 貴公子プリンスたちのぎょっとした顔があったがそれも慣れたもの。


「ちょっと、イライザ。早まっては行けません」

「そうだよ。ほら、タマシュも逃げたわけじゃないって」

「そうそ、逃げたわけじゃないってぇの」

「だからその短剣を下げましょ――ひっ」


 貴公子フェレンツの悲鳴を最後にやり直した。


「――北方風にしてみたんだけどどうかな?」

「ええ、美味しいわ」


 久しぶりの朝食。いや食事自体は本当の昨日にしているのだけれども。体感では、もう一年近くまともな朝食は食べている気はしていない。

 勿論悠長に構えている暇はない。

 けれども料理人タマシュを逃がすわけにもいかず、席に付くまで話を切り出すのを待った。流石に目に見えるところで逃げ出すわけもないだろうからだ。


「最後になるかもしれない料理に相応しい味よ」

「最後? ついに俺はお役御免か?」

「ええぇっ! やめてくれよ。タマシュ以上の料理人なんて大陸中を探したっていやしないぜ?」

「いえ、そういう話ではないの」

「じゃあ何が最後なんだ?」

「これからここに敵が来るからよ」

「敵?!」

「そうよ。アンデッドの軍団が迫っています」


 敵の正体についても控えめに伝えることにした。

 神の尖兵などと、強大過ぎて現実味のない相手では逃げなくとも戦意喪失の心配もある。ただアンデッドの軍団としておく。

 お陰で取り乱すことは若干一名を除いて無く。落ち着いて話を出来るようだ。


「おいおいおい、ここにはそんな兵士はおいてないだろ?」

「なら、私が援軍を呼んで参りましょう」

「いえ、遅いわ。間に合わない」

「それじゃあどうするつもりなんだ?」

「アンデッド軍団と言ったけれども、正確には操っている奴がいるのよ」

「ああ、なるほど、どれだけ数が居ても術士を倒せばおわりってわけ――けどさ」

「けど?」

「いや凄い数がいるってことだよね? 言い方からしてさ。どれくらいなの?」

「数百から千くらいかしら」


 恐らくこれでも過少申告。屋敷の二階まで溢れてきた時のことを考えるに、ゆうに千は数える。魔力で感知しきれないほどでもあるのだから。


「じゃあよ。その術士も相当なレベルってことだよな?」

「そうだろうね。聞いたことがないよ。戦乱の時代なら居たのかも知れないけどさ。今この時代にそれは下手すれば大陸一。聖女級かも」

「ええ、だから私と絵師イストバンでそいつを狙うのよ。いいわね?」

「――ああ」


 やはり正解なのだ。

 戦い――しかも強敵をぶつけ、そこに私も退かずに進む。

 下手をうてば死にかねない状況だというのに、いまだかつてない優しい目の絵師イストバン


「いや出来るか? イストバンが幾ら弓がうめぇっていってもさ。そんな軍団って数のアンデッドを倒し切れるだけの矢がねぇだろ」

「ええ、私と絵師イストバンは術士のために力を温存することになるわね」

「ええ?! じゃじゃじゃあ? アンデッドの相手はひょっとしてもしかして?」

「貴方たちに任せるわ」

「マジかよ」

「そ、そそそそうです。ジェルジならアンデッドを祓えるのでは。迷える魂の救済は得意でしょう?」

「そんな簡単にはいかないよ。僕の祈りが届くかどうかも分からないしね」

「ならどうすんだよ? 壁だけで抑えきれるのか?」

「そそそそんな。そそそそうだ。逃げましょう! そうしましょう!」


 ざわめく貴公子たち。

 場を納めたのはやはりジェルジの一言。


「でも君が何も考えていないわけがないよね。――防衛道具とかあるんじゃない?」

「ふふっそうよ。付いてきて」


 貴公子たちとともに広間に行く。階段の裏、絨毯を剥がしたところには板の蓋。


楽師マールク料理人タマシュ。開けてくれるかしら?」

「――はっ」

「ほいよ」


 屋敷の下は掘り下げられており、部屋となっている。

 そこにあるのはこの屋敷最大の秘密。僻地の領地のさらに僻地にあるこの屋敷に、城並みの防壁を作った理由がそこにはある。


「イライザ様。この積まれている箱でしょうか?」

「ええ、そうよ。手前のから運び出して頂戴」

「はいはい、承りましたよ。お嬢さん」

騎士ラスロ。受け取ってそこに積んで貰える?」

「任せろ」


 それは木の箱。まだ新しい木箱。どんどん地下から運ばれて広間に積まれていく。両手で抱えて丁度のサイズ。料理人タマシュが嫌味な台詞を吐くほどには重い。満杯に火焔菜ツェークラを詰めるよりも重い。私では運び出すのも難しいだろう。


「これで――終わり。あー腰に来る」

「なんだよこんくらい。鍛えがたりねぇぜ?」

「昨日から鍋の番してたんだよ。それで? この箱は何なんだ? 切り札」

「ええ、そうよ。まあ本来は攻城用なのだけれど」

「攻城兵器ってこと? 小さくない? 組み立てるの」

「見ればわかるわ。開けましょ」


 そういうと、兵器と言われて興味津々だった絵師イストバンが真っ先に開けた。

 中はじんわりと赤く光を放つ。4掛ける5に仕切られて収まっていた円柱状の物体が発した光。


「これは――?」

「一本投げつければ扉くらいなら木っ端微塵になるくらいのものよ」


 手にした一本は私の腕ほどの大きさ。両端に向かって細くなり、端は鈍色の鉄製、中央が赤く光る魔法の結晶。

 魔力か衝撃かを与えると大きく爆発する――爆弾である。




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