森林脱出4
――ぐちゅっぐちゅっ
耳に入って来る変な音で目を覚ました。
目に映るのは森の木々、その枝葉の隙間から見える太陽の高さ。
目に入る日光の強さ、遮ろうと手を動かそうとするも。
「――うご、か――ない?」
手が動かない、何か動いている気はするけれども少なくとも日を遮れない。
足も動かない、立ち上がろうとしても、もぞもぞと
首も動かない、動かそうとすれば痛みが走る、酷く寝違えたように。
けれども、身体は動いていく。
地を擦りながら、滑るようにずりずりと音が変な音に混じって――
何が起きたのか。
痛い首に頭を振ることも出来ないけれども、頭に血を送る。
思い出さなければ――何か大変に嫌なことがあったような――
最後の記憶は馬車が飛ばされたところだ。
そう一際大きい、何かの魔物の一撃だった。
大きな影に気付いた時には既に遅く。
強い斜め後ろからの衝撃に、後部が破損し車輪は片側を残して浮き上がる。
横転する馬車の車体の中で私は馬車にしがみ付いた。
豚のように鳴く
華麗に飛び降りて見せる
最後まで馬車を御そうとする
残りの者は私と同じく回転する馬車に捕まりながら地に伏せた。
――ああ、私は座った場所が悪かった。
獣から遠い側に居た者は私と同じく半回転した馬車の下敷き。そのまま馬車は反転したもののダメージは計り知れない。
獣側に居た側者たちだって無傷というわけではないが、大きく跳ね飛んだ分馬車に巻き込まれなかった。
それによりによって私とジェルジが巻き込まれてしまう。
――ああ、そうだ。薄れゆく意識で声を聞いていた。
『無理だ。こんな――俺は付き合いきれん! お前らも逃げ――っ』
『イライザ――助けっ! ラスロでもいいか――たしゅっ!!』
ぷちゅとぐしゃの間のような、耳心地の悪い、嫌な気持ちになる、生理的に嫌悪感を催す音――今、私の感覚のない足側から聞こえているような。
「この――音は――ひっ」
痛みを堪えて首を曲げる。
ぎょろついた大きな丸い金色の目と目が合った。
白みの強いブラウンの毛並みから伸びる尖った嘴のように堅そうな口。嘴と違ってびっしりと牙が生え、牙に引っかかった物からしたたる赤い液体。
ぐちゃりと下品な咀嚼音はオウルベアの口の中から。
咀嚼しているのは肉だった。
そして私の足は膝から先が無く、私の手は肘から先がない。
「ああ――」
食べられている。けれどもこれはもう慣れた。
悲鳴も上がるほどではない。落胆の意味合いの溜息が漏れる程度でしかない。
まだ残っている魔力で心臓を止めようとしたけれども――
「おお、やっぱり餌がいいと食いつきがいいな」
「――
普段通りの
どこか清々しいまでの表情をした騎士の顔が私の上にあった。
「よーし、次はこいつだ! ほれ」
まるで犬にでも餌をやるような姿に。
「何故」
「何故ぇ? 何故だと。ほら見てみろよっ!」
「何を―ー?」
「誰も守れなかった誰もだっ! 俺はただいい暮らしをしたかった――いい暮らしをさせるってからついてきたのに。皆! 見てみろ。皆、お前を守って――おら、見ろ顔を上げて見ろってんだ! おら、こうしてやりゃ見えるかよ!」
頭を掴まれ引き起こされる。
と、そこは地獄絵図。魔物の暴走で踏み荒らされた森。木々はなぎ倒され、馬車は半壊、
「じゃあな。お前を餌にして俺は逃げるぜ」
怒りの形相。でもそれは続かない。
仲間思いの彼にはそれは無理なのだ。
それでも意をけして私を落とし、
まるで出会った頃のように素っ気ない顔で。
ラスロと出会ったのは学院に入ってすぐだ。
聖女と勇者のための学院で。
学院はこの国でもっとも安全な場所、王城の内部にある。
まだ城が小さかった頃の兵舎だ。元兵舎と言っても貴族の子息が通うのだから改装は面子に掛けて美麗に仕上げてある。
白や緑の色とりどりの陶器のタイルで壁を舗装し、屋根はブルー一色。
遥か東の砂漠の中の都の建築様式を模倣した建物の前だった。
「お久しぶりですね。イライザ」
「お久しぶりです。またご一緒できて嬉しいですわフェレンツ様」
色鮮やかな建物の前で金色の
そしてその時に脇に立っていた黒ずくめの
「こちらはラスロ――ほら君も挨拶くらいしたら――」
「どーも」
「えっ、ああ、ど、どうも――初めまして私――」
「あ、結構。こいつの護衛で居るだけなんでお構いなく」
「ちょラスロ! なんという無礼な。こちらのお方は当代の聖女候補筆頭と呼び声の高いグラティアリスのご令嬢、イライザですよ?」
「はぁグラティアリスのお姫さんですね。記憶はしました。まあ続きをどうぞ。俺のことは気になさらず。カカシとでも思ってくれれば」
護衛としての
だからか『親も
ということを言っていた。
もっとも剣技は優秀。体力はトップと無理矢理ねじ込まれただけのことはあった。
それでいて周りと違う空気を纏い、ビジネスライクに振る舞う姿は学院の乙女の気を惹くには十分だった。
それでも護衛だからと取りつく島もない。
第一印象からずっと素っ気ない男だった。
でも私だけが本当の姿を知った。
それはある夜のこと。寝静まる時間に、何か違和感のような音がして、魔力感知をしてみたところ。食堂に人が居た。
「何をしているのです?」
「ひえっ!」
忍び込んでソーセージを食んでいたのはラスロ。
鼠のように大きな体を丸めて、それでいてちゃんと椅子とテーブルを使うところが可愛いらしくもあった。
「ああ、グラティアリスのお姫さんか。びっくりしたぁ」
「盗み食い――でいいのよね?」
「んまーちと腹が減ってね。ほら護衛だろ? フェレンツが小食な上に食べるの早いから全然食えなくてよ。それに――それに好きなだけ食っていいんだろ? だからよこれは盗み食いなんかじゃないって」
ランタンに照らされた顔は今も思い出せる。
赤く染まって恥ずかしそうに、それまでと違い早口で身振り手ぶりも交えて。
「だからまあ内密に頼むぜ。この通り。黙って夜離れてたなんてばれたら。最悪
「ふふっ、許すわ。なんてね最初から問題にはならないでしょう。フェレンツが貴方を守るわ」
「そ、そうか」
「ええ、気を許してなきゃあんな喋り方をさせない。首落ちてるわよとっくに」
「えっ、あれでか? フェレンツの前じゃ気を使ってるつもりなんだが」
「あれで気を使ってるの? はぁ頭がくらくらしてきてわ」
「おおい! 大丈夫か? グラティアリスのお姫さん」
「はぁ、いいわ。私が口の利き方を教えてあげる。まず私に家名は要らないわ」
「え、いいの? 助かるぜお姫さん」
「いやそうじゃ――まあいいわ。ゆっくりやりましょう」
それからラスロとの距離が縮まった。
上流階級の言葉を教え――大して身に付かなかったけれども。
ともに学ぶ間柄になっていった。
私とフェレンツとにだけは渋い面を崩して笑うことが多くなり。
いつしかフェレンツだけの護衛ではなくなった。
戦闘の実習と称して王都近くの森をパーティ単位で探索した時のこと。
勿論私たちは同じパーティ。
順調な冒険だった――けれども私の力にあてられたのか、はたまたあいつの仕業か私たちの元には想定よりも多い魔物が現れた。
「二人とも下がってろよ」
「駄目っ! 囲まれてる」
「こっちもです!」
囲まれた私たちどっちを優先して守るか。
本来は考えるまでもないこと。元来の護衛対象を優先すればいい。
けれどもラスロは私を庇った。
フェレンツをさしおいて私をだ。
私は聖女候補筆頭とはいえ、自他ともに聖女と認めていたとはいえ、システム上は教会が認めるまでは聖女ではない。
だから幾ら何でもフェレンツを差し置いてはいけない。実際にフェレンツは左腕を深く切る怪我を負った。
普通なら文字通りに首が飛ぶ事件だ。
幾らラスロでもそれは分かっていた。
けれでも私を庇った。
フェレンツと私だったら、フェレンツの方が軽傷になるだろうと。
その後自分の首が飛ぼうと――皆の安全を優先する。
そうラスロとはまさに騎士のような男。
だったというのに――
「ゆ――な――い」
「はっその様で何を――馬鹿っ手も足もねぇのに魔法を! 馬鹿辞めろっ! そんな力が残ってんなら――おおっ足がっ足がぁぁあぁっ!!」
ラスロをこんなにした奴を。
私の
けして許せない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます