十二

「なんや、俺だけかと思ったら他にも人、おったんか」

 男は、あまり聞き慣れない日本語でこちらに近づいてくる。

「アナタハ……ドナタデスカ?」

 最近覚えた言葉で、ボクはそう返した。


「俺? ああ、俺はウラベヒロトシって言うんやけど」


 ウラベと名乗った男はそう言って、手を差し伸べてきた。

 ボクがぼおっと固まったところを、すぐにボリスが手を握る。

「ナイストゥーミーチュー、ウラベサン。カレ、ムツカシイニホンゴ、ハナセナイノデ、ワタシガ、ツウヤク、シテモイイデスカ?」

 こちらをチラリと見て、ボリスは言った。ボクからすれば、それなりに流ちょうな日本語に聞こえた。

「ああ、そうなんか。おう、そらええよ別に」

「アリガトウゴザイマス。ワタシハ、ボリス・ボンダレンコ。カレハ、ユーリ・ボイコデス」

「おう、よろしく」

 二人はもう一度、がっしりと握手を交わす。

「けど、あんた、ボリス君は上手やなぁ」

「アリガトウゴザイマス。モウスグ、ロクネンメデス」

「へえ、何の仕事されとんの?」

「大工ノ棟梁ヲシテイマス」

「ほお! そらすごい。今度、うちの家ゴージャスに建て替えてもらおか」

「ゴイライ、オマチシテイマス!」

 二人は楽しそうに話したところで、こちらに目を向けた。

「で、君らはここ……神生かみお町に住んどるん?」

「アー、ワタシハソウデ、ユーリハ、チガウトコロニ」

 ボリスは、こちらに、ウラベの日本語を通訳して伝えてから、返した。

「そうか。実はな……」

 一瞬、目に迷いの色を見せたが、唾液を一度呑みこみ、ウラベは言った。


「娘が、失踪したんや」


 山頂から僕たちを突き落とそうとするような風が吹きつけた。

「エッ……」

 ボリスが、目を向いて口をパクパク動かした。言葉は継げない。

 ――ムスメがなにって……?

 ハッとした顔をしたボリスは、慌ててこちらに通訳する。

「ハッ……?」

 それを聞くと、ボクもこの男の言うことの重大さに気付き、重力が大きくなった錯覚に襲われた。

「話、聞いてくれるか?」

「ハ、ハイ」

 ボリスの通訳の前に、ボクは答えていた。

「俺は、この二週間前に、変な出来事に出会ったんや。その日は、娘――真須美が初めて、家出した日やった」

 すぐさま隣で、ボリスが訳してくれる。

「簡単に言うと、変な世界に迷い込んでしまったんや。腹立って石蹴って、そしたら、俺の、水難事故で死んだ友人が、目の前で何度も、川に流されて死んでいくのが繰り返されるっていうところに出会ってしまったんや」

 ボリスが、それを訳した。

 ――死んだ友人が、目の前で何度も同じように死ぬ。

 脳内の二本の電線が繋がって、火花が散った。


「ソレ、シッテマス!」


 弾かれたように、ボクは一気にそう言った。

「ボクモ、サッキ、ソノ、エイクノマデ、ハーニャガ、タクサンタクサン……」

 まくし立てるうちに、少し瞼に水分が溜まっていく。

「ユーリ、何だそれ。はぐれたと思ったら、変な世界に行ってたのか? て、おい、永苦の間って……」

 ボリスは目を泳がせながら両手でボクの肩に手を置いてくる。

「そう、ハーニャが何回も、ミサイル攻撃で死ぬって言う……」

 と、ボリスの肩の向こうに、目を大きくしながら、頬を強張らせたウラベが近づいてくる。

「もうちょい、詳しく話しを聞かせてくれんか?」




 ボリスの通訳を間に置いてコミュニケーションを取ると、どうやらボクとウラベが迷い込んだ世界はかなり酷似していることが分かってきた。

「その、カフェのマスターと、俺が出会った骸骨老人は同じ“霊場刑部”ってやつなんかもしれんな」

「ボクも、そういえばあの木の根元に置いてあった灰色のつるつるの丸石を興味本位で持っちゃったから、それが“要石”だったりして……」

 二人の目が合った。

 ウラベは顔を緊張させていて、彼の瞳に映ったボクの顔も、また同じような顔をしている。


「ところであんたら、全身真っ黒な若いアイドルみたいな男に会わんかったか?」


 そのままの顔で、ウラベは言った。

「全身、真っ黒……?」

 通訳を聞いたボクは、黒ずくめの悪の組織のような男を想像する。

「黒シャツに、黒ブルゾンに、黒のパンツっていう服装や。あ、黒のリュックも背負っとったわ。娘な好きなアイドルに似てたんやけど、それがなんか変なやつでな」

 ウラベは、指で縦長の長方形を描くような仕草をした。

「分厚い本持っとってな、またボロボロなんやけど、中はほぼ墨のよう分からん字と、時々また変な挿絵があるっていう。ああ、それに“末”っていうのが書いてあってここに行きついたんやけど」

「マサカ」

 と、ボリスが日本語で反応した。

「ソレ、『万物事始書紀』ッテタイトルジャ?」

「ああ、そんなんやったな。あと、余談なんやけど、この山と、末に関しては元々知っててん」

 ウラベは、眼下に広がる田園風景を、どこか遠い目で見渡す。

「実は、元々、ここの隣町に住んでてな」

 通訳を聞いたボクは、ピクリと眉が動いたのを感じた。


「その、遊びに来て、友人が水難事故で死んだんが、この末の聖地、“要山”なんや」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る