「タ、タブー……」

「そう、タブーです。何か分かりますか?」

「えっ……」

「今、なぜ三人の女性があの椅子に座っているのか……」

「まさか」

 慌てて、両手で口を押さえる。

 マスターは、少しだけ首を動かし、振り返ろうとする素振りだけ見せた。


 ――本当に、成功したのか。


 あの三人は、本当にミサイルから逃れることが。

 ――いや、ちょっと待てよ。

 ならば、ここはどこかという話になってくる。

 ここまでいたのは、推測が正しければ、“永苦の間”という「末」の地獄だ。

 本当に復活させることが成功したのならば、彼女たちは永苦の間にはいないはず。


「あなたは、ここにいてはいけない存在なんですよ」


 シャッ、シャッ、シャッ、と何かを削るような音をマスターは鳴らしている。


「一度死んだ人間を、復活させることが私の下で許されると思っているのですか?」


「ハ、ハーニャは、……復活したんですか?」

 服の首元をギュッと握って、ボクは訊ねた。その服の内側には、父から譲ってもらったロザリオがひんやりと存在を主張している。

「していたら、こんなところにいるはずがないでしょう」

 横目で、こちらの存在が一切視野に入らずにワイワイと女子トークを楽しむハーニャを見た。

 彼女は、かつての二人の家一面に咲いていたひまわりのような、キラキラとした笑みを浮かべていた。

 手元のカフェラテはすっかり生気を失い、申し訳程度の湯気を漂わせている。

「なら……」

「あなたがしようとしたことは、結果的には失敗でした。しかし、タブーはタブー。私は、私は、……怒っているんですよ」

 無言の間に、大きなバンダナの周りの空気が熱せられ、爆発を待つように震えているのを感じた。

 脇の下が硬直する。


「死んだ人間を蘇らせるのは、私が決めることです。それを決めえるのは私しかいない。しかし、あなたはそれを無視して、しかも、私の居城で、それを実行しようとした。蘇ったところでどうやってその人と付き合うのですか? 人間は永遠では無いのだから、一度きりの人生を歩むのでしょう? 自然の摂理なんです」


 マスターは、ワナワナと震えながら、言葉を炎の雪崩のようにぶちかます。

 まな板に拳を振り下ろし、勢いよく振り向いた。

「えっ」

 心臓が爆発するほどの恐怖に、水風船を割ったように汗が全身から溢れ出す。

 彼は、大股でドンドンと地面を踏みしめながら、こちらに近づいてきた。


 その顔面には、皮膚も筋肉も付いていない。真っ白だった。


 首元をガシッと掴まれる。その手は微かに震えていて、肌の感触から、指が異様に細く、ゴツゴツしていることが分かった。

 口の中は、確かに真っ黒い空洞が広がっているだけで、顎は本当に外れそうだ。

「あなたを、元の世界に帰すことは出来ません」

 さっきまでの火山の噴火の熱量は完全に冷め切った声で、そう告げられた。

「……えっ」

「一つ、質問をします」

「えっ、あっ」

 グググ、とどんどんと気道が狭められていくのに、ボクは何とか少し、首を縦に振った。


「あなたは、最愛の彼女とずっと一緒にいたいと思っていますか?」


 スケルトンが、言い切ると同時に、首から手を離した。

「えっ」

 場の流れからあまりに外れた質問に、口が思わずぽかんと開く。

 ボクは、ゆっくりとハーニャの横顔を見た。

 それと同時に、ちらりとこちらを見た彼女と、目が合ったような気がした。

「あっ」

 それでも、こちらが見えていないのか、すぐにハーニャは顔を戻して、話の続きを始める。

 胸の中に、彼女がテレビの俳優に黄色い声を上げている声に少しくすぐられた、あの時と同じような感情が宿る。


「……もちろん、ずっと一緒にいたい。ボクが、幸せにすると決めた人なので」

 

 カタカタッ、と骨が揺れた。

「なら、ここで一緒に暮らしてください。それならば、あなたの夢は叶いますよ」

「えっ、ちょっと待ってください、永遠に苦しむ場所じゃ……」

「夢、叶いますよ」

 スケルトンは、あっけらかんと言って、ボクの腕を掴む。

「いや、や……」

 と。

 トンネルの向こう側からこちらを呼ぶような声が、耳に入った気がした。

「最近は腹が立つ人間も増えていますしね……。私としても、そういう人の処遇は考えなければならないし……」

 今度は歌を歌うかのように、弾んだ声。

「これから、あなたをここで暮らせるようにするので、彼女さんに報告でもしてきてください」

 スケルトンは一度、ボクの腕から手を離した。

 そこで、心臓の鼓動が緩やかになり、向こうからの声が聞こえた。


 ユーリ、ユーリ、ユーリ、どこにいるんだ、ユーリ、おい、ユーリ


 ボリスの声だ。

 その反響する声は、だんだんと近づいてきているように思える。

 ボクはチラリとスケルトンを見た。

 時々こちらを振り返りながら、本棚から何かの書物を探している。

 ――今だ。

 ボクは、ゴクリと唾を呑み込み、ハーニャの方へ近づいていった。


「ハーニャ」


「え、ユーリ? どうしたの、なんでここに」

 三人の視線が一斉に集まる。


「ハーニャ……ずっと、ずっとずっと、ボクは愛してるから。幸せにしていくから」


 反応を見ることなく、ボクは彼女に背を向けた。

 少し、鼻と目元にツンとした痛みが走り、危うくおかしなものが零れそうになってしまう。

 と、脳内で、どこからかハーニャの声が聞こえた。


 ユーリ、ユーリ、こっち来てよ、ユーリ……


 ――やっぱり、心の中のハーニャの方が、ホンモノなんだ。

 一瞬の痛みは、すぐに解けた。

 スケルトンが、「おお」と言ってこちらを見て、一瞬、本棚に視線を飛ばす。

 その瞬間、ボクはありったけの力で、地面を蹴った。


 ガシャン!


 カウンターを飛び越えて、そのまま厨房の奥の部屋へと駆ける。

「何をしている!」

 爆発的な怒号が聞こえた。

 それでも、ボクはとにかく、脚を動かし続けた。

 回転は、止まることを知らなかった。


 ――サヨナラ、ハーニャ。


 涙は、もう出ない。

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