ヨモスエソワカ――。


 外国人だからそう聞こえるのか、どこか妖しく、神秘的な感じがした。

「で、刑部の遺骨は、ほとんどがある場所にまとめて埋められ、いくらかは、全国各地に分散して撒かれた」

 トトン、と寿司を乗せる板を“タイショウ”は叩く。

「しかし、や。その遺骨を撒いた所々で、地震とか洪水とか火山の噴火が起こるんや。特に、そこらで遊んだりする子供がおった時とか、かな。これは、刑部の怒りやと思った人々は、そこに『要石』を置くようになったんや」

「カナメイシ」

 ボクは翻訳を聴いてから、自然とその言葉を反復した。

「石の力で、刑部の魂を鎮めようということやったんやな。それで、まあひとまずは一件落着、みたいな感じではあるんやけど、時々奇妙なことが起こることもあったりする」

 “タイショウ”は頬を膨らませると、その中に入った息をフゥ、と吐いた。

「ほな、あとなんぼか寿司握るわな」

 話はこれで終わり、というように、“タイショウ”は包丁で魚を薄く切り始めた。

 



 また、田園風景をコンパクトワゴンが走り出した。

「やあ、美味しかった。ありがとう」

 胴体を、淡い赤色をした幸福感が満たしている。

「それは良かった。今日は泊まっていくんだったっけ?」

「……そうだな、泊まらせてもらおうか」

「なら、良い温泉とかもあるし、紹介しようか」

「いいのか? ありがとう」

 ボリスは自慢げな表情をして、カーブでキレよくハンドルを回した。




「今から、何するんだい?」

 温泉からボリスの日本家屋に入ってすぐ、彼は平たい鍋を取り出した。

 それに湯を注いだり何かの調味料を加えたりして、若干黄みがかった汁を作ってゆく。

「よし、それじゃあディナーの時間だ」

 彼は冷蔵庫から跳ねるような足取りで鮮やかな赤色の肉を取ってきた。

「まあ、見とけよ」

 その肉の一枚を箸で取って、箸を動かしながら汁に浸す。

 肉はみるみるうちに薄茶色に変わった。

 それを、小皿に入ったたれにつけて、ペロリと口へ流し込む。

「これが、“しゃぶしゃぶ”っていう日本の料理だ。やってみろよ」

 促されて、ボクは手を震わせながら肉を汁に浸し、それを口に入れる。

「……すごい、美味しい」

「な? 日本料理って、ホント凄いよな」

 そんなことを口にしながら、ボリスは鞄から、分厚い本を取り出した。


「ところで、ユーリにももっと、霊場刑部の話を知ってもらいたいと思うんだ」

 

「……は?」

 箸の間から、肉がするりと抜け落ちる。ピチャンと跳ねたたれは、ボリスのセーターに飛んだ。

「っていうのも、霊場刑部というのは、向こうの世界の神で、“永楽えいらくの間”に行くのか、“永苦の間”に行くのか決めるんだ」

 彼は、シャープペンシルで紙に漢字を書いた。

「永楽ならずっと幸せだ。でも、永苦なら、自分が死ぬ、その瞬間をひたすら何回も繰り返すんだ。『末』の信者は、霊場刑部が何よりも怖い。だから、霊場刑部の物語を他の人に伝え、自身も毎日物語を読むことによって、救われようとするんだ」

 すん、と心の中に、何かが落っこちた。

 何か、腑に落ちた気がしたのだ。

「あ、そうそう、だから、しゃぶしゃぶも牛肉じゃなくて豚肉なんだ」

「ウシに殺されたから?」

「その通り」

 自分の声が、なぜか明るくなっている気がした。

 ――物語を、伝える。味わう。

 キリスト教には無いものを、見つけたような気がした。




 ガタガタと揺れる車の動きに、頭が乗せられる。

 昨夜、霊場刑部の逸話をたくさん聞いたおかげで意識が脳の奥に引っ込んでしまいそうだった。

「もうすぐ、着くぞ」

 運転席のボリスが、そう告げた。

 ボクは、うんと大きく伸びをして、頬を叩く。

 目の前の山は、あまり高くは無く、どちらかと言えば平たい形のもので、十五分もあれば登ってしまいそうに見える。

 車は、山の麓の砂利が敷かれた駐車場に止まった。

 車を降りれば、どこか張り詰めたような空気を感じる。ボリスにも、いつもの調子に乗った顔は見られなかった。

「じゃあ、登ろうか」

 ピュウウウ、と冷たい横風が吹き、飛ばされた落ち葉が頬に張り付いた。


 急な登りはほとんど無いが、進むにつれて空気がひんやりとしてくる。

 何度かここに来たことがあるのか、ボリスはこちらを振り返ることもなくスイスイと登っていく。

 ボクは薄い胸板を上下させながら、周りの景色を見渡す。

 山にはあまり高い木は生えておらず、日差しがよく入る林のような感じだった。

 豊かな川も流れていて、時折誰が作ったのか、獣道も出てくる。

 ただし、階段を設置したり、ロープを付けたりという舗装は全くされていなかった。


「……あ」


 と、道を通せんぼするように、大きな木が生えていた。

 道はその脇に避けて、続いている。

 木の根元には、大きなねずみ色の石が置いてあった。

 サッカーボールくらいで、角は無く、光を跳ね返すようなツヤがある。

 どこか、持っていれば何かの力が発動しそうな、ボクの心の奥深いところに訴えかける石。

「……キレイだ」

 僕はそれを手に取り、持ち上げた。

 想像以上にその石は軽く、持ちながらでも頂上まで到達できそうな気がするほどだ。


 と。


「ボリス!」

 目の前から、友人は完全に姿を消し去っていた。

「ちょっと待てよ!」

 慌てて駆け出そうとしたその時。


 ガサガサガサガサ


 カラスの羽ばたきのような、風に揺れる草木の音が山全体に響いた。

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