通されたのは、キッチンを囲むように設置されたカウンター席だった。

「おう、ボリスの兄ちゃんやんか。隣は誰や?」

 作務衣を着て、禿げ頭にねじり鉢巻きを巻いた中年男性が言った。

「アー、ワタシノ、トモダチ、ユーリ・ボイコデス」

「そうか! あんさんはどっから?」

「ウクライナデス」

「そうか、そらあ色々大変やろうな。まあ、旨い寿司たらふく食わしたるから任しとき!」

 男性は腕をまくり上げると、キリリと職人の目つきになった。

 ボクは、軽く鳥肌が立ったのを感じた。

 ――おお。

 米の上に、サーモンを指で密着させ、今度はエビ、マグロとどんどんと魚の種類を変えて握ってゆく。

「カッコいいだろう?」

 ボリスはまるで自分が寿司を握っているかのように誇らしげな顔で言った。

「とても」

 あっという間に板に色鮮やかな寿司が並んで、こちらに出された。

「へいお待ち! 今日のおすすめ十種やで」

「アリガトウゴザイマス」

 ボリスは小さな皿に、“しょうゆ”を少し垂らし、箸を器用に使って寿司につけた。それを口に運ぶ。

 ボクも、それをチラチラと見ながら、指をガチガチにして箸を握り、口に運んだ。

「ワオ……」

 舌に乗った瞬間だった。

 トロリと、サーモンが溶けて、自分の身体まで蕩けそうなほどの快感に襲われる。“しょうゆ”との相性が絶妙で、冷えたご飯も柔らかく、いつまでも口に入れておけるような美味しさ。

「め、メッチャ、オイシイ」

 丹原先生から教わった日本語を口に出す。

「おう、おおきに! もっとこっから作ったるから待っときな!」

 男はニヤリと笑うと、また真剣な表情になって、次の寿司を握り始めた。


「タイショウ、ユーリガ、スエニキョウミアルラシイデス」


「ん? おう、そうか!」

 タイショウ、とボリスに呼ばれた寿司職人は、手を止めて満面の笑みを浮かべた。

「ちょっとな、わい外国語を話せへんからな、翻訳準備しといて」

 ボリスがすぐにスマートフォンを取り出す。

 ボクは、何の会話をしているのかさっぱり分からなかった。

「“末”っていうのはな、この辺りのいくらかの村とか町に信者がおる宗教のことなんや」

『“sue” is a religion that has followers in several villages and towns around here』

 英語で聞こえたその機械的な声を聴いて、それが入り口に飾ってあったりした、ボリスが肩入れしている宗教だということを知った。


霊場刑部たまばぎょうぶっていう神を信仰しとるんや。その霊場刑部っていうのは、まあそっちの方でいうキリストみたいな感じでな」


 英訳を聞いて、こめかみの血管に血が上るのを感じた。

 ――イエス様と同じというのはあり得るわけがないだろう?

「刑部は、まだ日本にマンモスとかがおる時代なんやけど、死んだ女の葬儀の時に、いきなりその女の腹を突き破って出てきたんや。それで、『ワレ、ヨノヌシ』って喋ったんや。そしたら、なんとその女が蘇ったんや」

 待合スペースに飾ってあったのは、その絵か。

 ――イエス様よりも、似ているならシャカだろう。

「で、そこから一気に成長していくんやけどな、ホンマ、刑部には数々のとんでもない逸話があってな。例えば、狩りが上手かったんやけど、途中で死んだはずの狩りの名手を復活させたり、槍を独りでに動くように操ったり」

 ――どこにでもあるような物語じゃないか。

「他にもたくさんあるんやけど、あまりにもとんでもない奴過ぎて、自分らの集団は神やと崇め始めるわけや。でも、自分が神で唯一の存在とか言うてたから、他の集団は腹立てるやろ。それで、ある集団のリーダーで、クマを一人で、素手で仕留めるほど強いやつと闘うことになるんや」

 スマートフォンを持つボリスの方を見ると、彼は完全に悦に入った表情で何度も頷いていた。

「で、そしたらどうなったかと言うとな、相手の攻撃を全部見切って避けて、刑部がなんか呪文唱えたら、相手が勝手に吹き飛んだりするんや。で、そしたら吹き飛んだ相手のこめかみに手をかざす。すると、相手は悶え苦しみ始めるんや。最後に、思い切り地面を踏みしめたらその瞬間、地面が沈んで、刑部の完全勝利」

 あ、一回寿司食うか。

 そう、“タイショウ”が言い、再び寿司を握り始めた。

 ボクは、フゥ、と息をつく。隣のボリスは、話を途中で止められたことが不満なのか、細い目を吊り上げて、腕を組んでいた。

 

「へい、お待ち!」

 また十貫、寿司がこちらに出される。

「ほな、続きやな」

 口の中の卵の寿司の甘みが半減した気がした。

「刑部はその決闘に勝ったんやけど、他の集団のやつらどころか、自分らの集団まで恐れて、何回か毒殺とかしようとするんやけど、朝になったらやろうとしたやつが死んどるとかあるわけや。そこで、刑部の敵は、百二十人もの呪術師を用意したんや」

 実は、その前にも呪い殺そうとしたことはあっても、必ずその呪術師が殺されていたんだ、とボリスが物知り顔で補足してきた。

「で、刑部をマンモスの大腿骨に縛り付けた瞬間、一斉に呪文を唱えるんや。その結果、さすがの刑部でも弱ってしまって、最後には、雄のウシに突かれて死んだんや」

 ――あのウシの置物には、そういう意味があったのか。

「でも、刑部の力のせいで、呪術師の方もダメージは大きくてな、百二十分の八十が死んだんや」

 確かにそれは恐ろしい。

「で、刑部は死の直前、こう言うたんや。この世の中が終わりますように、っていう意味なんやけど」

 “タイショウ”は大きく息を吸って、その分の太い声で言った。


「ヨモスエソワカ、ヨモスエソワカ」

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