ユーリ・ボイコ

 ピカリ、とカメラを真っ白にする強烈な光。その後、ドオンと音を立てて、紅蓮の炎が上がった。大きなマンションが、ガラガラとあっけなく崩れていく。

 ボクは、血管が破裂するほどに脈打つ心臓を感じて、食堂を出た。

「グフッ、グフグフッ」

「おおっ、大丈夫かボイコ先生」

 唾液が気管に入り、咳き込むボクに、“教育係”の丹原たんばらセンセイが背中をさすってくれた。

「すまんな、ニュース流してたらあかんか、バラエティかなんかに変えようか」

「ヤ……スミマセン、メイワクデ」

 丹原先生が食堂に戻っていく。

 ボクは一人、膝をついて天を仰いでいた。




「Let’s start the class」

 そう言って、今日の範囲のテキストブックを開き、ブラックボードに文字を書き始める。

「Excuse me,Mr.Yuri」

 と、一人の生徒が手を挙げた。

 学校内では問題行動が度々注意されているが、その割には成績優秀な生徒だ。

「Can't read the dirty handwritings on the blackboard」

 字が汚くて読めない、と。

「Oh,I'm sorry」

 字を消してまた書き直している時に、背後からクスクスと笑い声が聞こえた。

 ――変に同情されるのと、外国人だからと笑われるのとどちらがマシだろう。



 ***



 侵攻が始まった時、ボクは首都の外れの一軒家で、恋人と二人で暮らしていた。

 ――ついに始まってしまったか。

 ボクたちはすぐに家を離れ、地下シェルターのあるホテルに入った。


 そう日数をかけることなく、相手の軍は首都に到達。

 ミサイル攻撃によりガタガタと揺れるシェルターで、スマートフォンに、高校時代のバレーボールチームの仲間の一人から、メッセージが届いていた。

『オレクサンドルが、ミサイル攻撃に遭って死んだらしい』

 ボクは目元を押さえた。

 いつかは起こると分かっていたことでも、実際に現実にすると、シャッターを閉じられ、暗室に閉じ込められたような絶望感が押し寄せる。

 その三十分後には、

『カルィーナとイヴァンがジェノサイドに巻き込まれた』

 と届いた。

「ユーリ、なんで、なんでこんな酷いことするの? おんなじ民族で、おんなじ人間なのに……」

 恋人のハーニャが俺の胸に顔を埋め、シクシクと泣いた。

 その直後に、敵となった国にいる友人からのメッセージが届いた。

『なんで、こんなことしなきゃいけないんだろうな。オレは嫌だよ、オレの友人がお前の友人を殺すのが』




 首都から相手軍を押し戻すことが出来たはいいものの、毎日のように街にはサイレンが鳴り響き、地下シェルターと地上を行き来するような生活だ。

 友人や家族の顔を思い出すと眠れなかったのも、今ではすんなり眠れる。ミサイルの爆音はいつしか子守歌になっていた。

 総動員令が出されてからは、スマートフォンの通知音が鳴る頻度はさらに増した。

『コーリャが、東部の前線で撃たれて死んだ』

『ユーシが、基地で病気になって死んだ』

 ついこの間まで、一緒に食事をしたり、ゲームを楽しんだりしていた友人たちが、殺し合いに身を埋めている。

 この事実が、重いおもりとして、まだ一般人として暮らせているボクに圧し掛かった。




 侵攻開始から二カ月が経った頃だった

「今日はちょっと、久々に友達と喫茶店で話してくるね」

 ハーニャがそう言った。

「OK。いいじゃん、ずっと家の中にいるのもなかなか退屈だしね。二人きりで出来ることも飽きてくるし……行ってらっしゃい」

 ホテルの部屋を出ようと靴を履いたハーニャの背中を引き寄せ、彼女の唇をそっと吸った。

「ありがとう、行ってくる」

 彼女は青い目を片方パチッと閉じて、手を振って部屋を出ていった。


 生放送のバラエティ番組を見ていると、いきなりサイレンが鳴った。

 テレビの中かと思えば、テレビの中のスタジオとホテルの部屋の両方だった。

 僕は慌ててスリッパを履き、階段で地下シェルターへと駆け下りる。

 中にいる顔見知りは、「またか」とか「いい加減にしてくれ」とか一言も言うことなく、パソコンで仕事の続きをしている人もいれば、読書をしている人もいた。

 ――ハーニャはちゃんと避難してるかな。

 なんとなく胸がざわめいていたその時、ドオンと鼓膜を吹き飛ばすような爆音がした。

 これまでのミサイルとは、明らかに音の大きさが違う。

 パソコンを見ていた人も本を読んでいた人もみんな顔を上げて、互いの顔を見合った。

「さっきの、大きかったね」

「ビックリした……ひょっとして、近くに落ちたのかな」

 しばらくすると、警報は解除され、人々はそれぞれの部屋へと戻っていった。


 部屋に戻ると、付けっぱなしにしていたテレビ番組が、ニュースに変わっていた。

 案の定、この近くにミサイルが落ちたという速報で、黒焦げになった小規模のビルと、数台の消防車が水を撒いている様子が映し出される。

『これまでの段階で、死者は四人、怪我人は十人が報告されていますが、これからさらに増える恐れもあります』


 夜になり、ボクは買ってきていた夕食を机に並べ始めた。

 それでも、ハーニャはまだ帰ってこない。

 ――彼女、どこにランチに行くって言ってたっけ。

 そう言えば、場所は訊いていなかった。

 ――まさか。いや。

 ランチを出来る場所はこの辺りにかなりある。

 そう頭で言い聞かせても、ブクブクと胸に不安の種が湧き上がる。

 結局一人でサンドイッチを齧り、先にシャワーを浴びても、帰ってくるどころか連絡一つも入ってこなかった。


 そうして、深夜十一時。


『ハーニャ・ペトレーンコさんが亡くなられました』


 そう一文だけ、メッセージが届いていた。



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