第29話:潜む影
病院の夜間入口は、所在なさげな明かりを弱弱しく放ち、周囲を仄かに照らしていた。そこに、シルエットだけの人の姿があった。
人影は髪を後ろ手に束ねていて、一見したところ女性のように見えたが、広い肩幅は男性のそれだ。
三宅が近づいてみると、人影は色黒の青年であることが分かった。
「おう、三宅君」
黒の革ジャンを羽織った王登が、気さくな声を上げた。子供のような人懐こそうな目が、美亜子に似ている。
「……あの、話って」
王登は何も言わずに頷くと、病院の夜間入口とは反対の方向に歩き始めた。不審に思いながらも王登の後ろに付いていくと、彼は歩いてすぐの駐車場へと入った。
その一角に木製のベンチがあり、王登はその端に腰かけた。
自然と、三宅もその隣に座る。木製のベンチは、冬の冷気のせいでひんやりと冷たい。
「病院の中には入らないんですか」
「まあな。特に君は、どうしてもという場合以外は止めた方がいいかもしれない」
王登は、革ジャンのポケットに両手を突っ込んで、白い息を吐いた。
「でも、美亜子先輩が……」
「見るまでも無いだろう。同じだよ。君らの眠り姫と一緒さ。美亜子が倒れた時の話は聞いてるか?」
三宅は首を振った。
「そうか。聞く話では、午前中に具合を悪くして保健室で寝ていたらしい。
いつまでたっても起きないんで保健室のセンセが起こそうとしたんだが、全然起きないってんで病院に運ばれたんだと。
階段とか、一人でいるときに倒れなかっただけ、幸運だったかもしれん」
王登は閑散とした駐車場を見つめ、神妙な調子で語った。千紗都や鮎川浩司にも見られた正体不明の体調不良は、美亜子の身には今日の午前中に起こっていたようだ。
昼休みの鮎川との会話直後、こちらから美亜子に連絡をした時には、既に保健室で寝ていたのだろう。
「まさに、ミイラ取りがミイラになる、というやつだ」
「……美亜子先輩は、黒い女の夢を見たんだと思います」
美亜子が昏睡状態の千紗都と夢を共有することで、直接、黒い女に接触したのではないかという考えを王登に伝えた。
「無茶するなぁ、あいつ」
王登は、乾いた含み笑いをした。その呆れたような、からかうような笑いは、寂々とした夜の闇に消えていった。
「でもまあ、それだけ三宅君が、あいつに信頼されているんだと思うよ」
「信頼、ですか」
三宅は俯いて、ぽつりと呟いた。寒風が心まで吹き込んでくるようだった。
「それほど表には見せないが、美亜子は人の好き嫌いが激しいからな。信頼できないとなれば、あいつは最初から、一人で事に当たったろうよ」
「だけど、どうして、黒い女の話を僕に一言も……」
王登は意味ありげな笑みを浮かべて、こちらを見つめた。
「そりゃあ、自分で考えることだな。もっとも、起きてしまったことなんか、もはやどうでもいいだろうと俺は思うがね。つまるところ、君は全てを託されたんだから」
「託された……」
冷え切った胸の奥が、ほんのり暖かくなったような気がした。美亜子のか細い手が触れたときのように、じわじわと伝わるぬくもりを感じた。
「そうさ。……おっと、それほど時間も無いことだ、美亜子の話はそれぐらいで、本題に移ろう。まず、俺が調査した、意識不明者の動向なんだが」
ちらと、王登は、三宅の背後に屹立する病院に目線を向けた。
「まだ十名程度なんだがね。奇妙なことに、全員この病院に入院しているらしい」
「……え?」
全員。
その言葉に、三宅は、背中が総毛立つような心地がした。背後に、得体の知れない気配を感じて、思わず振り向く。
そこには夜の空を覆い尽くすように立ちはだかる化物のごとく、漆黒の病院があった。
「不可解だろう? 俺も同じ感想だよ。だが、酷いのはそれだけじゃない。被害者は、これまた全員、過去にこの病院に入院していたことがあるんだ。それも、四年前に」
三宅は絶句した。
すぐに、千紗都と鮎川浩司のことを思い出した。
千紗都も、かつてこの病院に入院していたことがあるという。浩司も交通事故で入院したことがあると言っていた。
浩司は現在大学二年生で、高校生の頃に事故に遭ったという話だから、四年前という条件にも一致する。これは偶然だろうか。
いや、偶然であるはずがない。
はっとして三宅は顔をこわばらせ、王登を見た。
「美亜子先輩は、どうなんですか?」
「これまた不可解だが、あいつはこの病院に入院したことはない。四年前も、それ以外でも。関東圏外の被害者を除けば、今のところ、美亜子だけがイレギュラーなんだ」
心臓が、早鐘のように脈打っている。着実に、目に見えぬ何かに近づいている気がする。美亜子は、近づきすぎてしまったのだ。闇に潜む化物の、すぐ近くまで……。
「だから、僕に、病院には近づくなと……?」
うわごとのように三宅が言うと、王登は頷いた。
「察しが良くて助かるよ。君が四年前にこの病院に入院していたとしたら、何が起こるか分からないからな」
「それなら気にしなくてもいいかもしれません。僕は、四年前には……」
四年前と言えば、小学六年生の頃だ。身体は頑丈な方なので、四年前は勿論、この病院に入院した覚えはない。四年前など……。
そのとき、口を開けたまま、三宅は硬直した。
そう、病院に入院した覚えはない。だが、この病院には来たことがある。
千紗都の入院——その言葉でようやく、記憶の糸が繋がった。たぶんあれは、千紗都のお見舞いだった。
だから、昼間の病院の光景には、どこかで見たような既視感があったのだ。
「……入院はしていません。でも、来たことはある」
「うむ……。微妙なラインだな。やはり、必要時以外は、避けた方がいいかもしれない」
「四年前……。看護師の、死……」
無意識のうちに、言葉が口を突いて出ていた。
確証はない。四年前に、まだほかに、何かがあったのかもしれない。
だが、四年前という時期と、被害に遭った人間たちの背景を重ね合わせれば、看護師の死は見事に合致する。
「何の話だ?」
王登は、眉を寄せて訝しげな顔で訊ねた。
「実は、この病院で、四年前に看護師が自殺しているらしいんです。どんな名前か、どうやって亡くなったかは、まだわかっていないんですが。これだけの一致は、絶対に偶然じゃないと思います」
そういうことか、と言って王登は腕を組んだ。その姿は美亜子を彷彿とさせた。美亜子の方が、彼を知らず知らずに真似しているのかもしれないと、三宅は思った。
「俺の方でも調べてみよう。図書館に保管されている新聞でも辿れば、名前が分かるかも。動機の方だが……少し時間をくれ。早ければ、明日にでも、とっかかりが掴めるかもしれない。三宅君にも、協力してもらうことになる」
「あてがあるんですか?」
「ああ。この病院な、うちの大学の附属病院なんだよ」
「王登さんは、医学部なんですか?」
「いや。俺はただの工学部生だが、つてをたどれば、医学部生ぐらい捕まえられるはずだ。どのみち、調査が必要な予定もあったし、ちょうどいい。人は繋ぐから、そっちは三宅君に頼む」
三宅は、力強く頷いた。背後の病院を振り返る。
そこには依然として、闇に濡れた病院が巨大な怪物のように佇んでいる。
この病院の中に潜む何かを絶対に暴く決意で、固く睨みつけた。
この精神の牢獄で眠らされている千紗都たちを救うために、まだ逃げる訳にはいかない。
美亜子の信頼に、応えるためにも。
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