第4話 いつも通りでいましょう
『酷い有様だ…』
男は、無惨に焼け落ちた集落を眺めて、思わずそう嘆いた。
既に消火活動は一通り終わっている。後は後始末だけだ。
綺麗に仕立てあげられたスーツが汚れる事を厭うことなく、建物の残骸を持ち上げて横にどかすと、かろうじて道と呼べる道をどうにか作り出す。
周囲を警戒しながら進むことしばらく。漸く、目的地が見えてきた。
特に戦闘の痕跡が強い、開けた空間。そこに一人、小さな身体に似つかわしくない刀を胸の中に抱えて座り込むのは、誰のともとれない凄惨な血潮に塗れた年若い少女。
『お疲れ様です』
『…来たんだ』
男が近づき、一言言えば、少女が興味無さそうに視線を向ける。何ともない様子からして、少なくとも彼女自身の血ではなさそうだ。変わらぬ表情の裏で、男はそっと胸を撫で下ろす。
掠れた声、そして擦り切れた昏い瞳に宿すのは、また救えなかった事への失意と悲愴、そして己への失望。
『被害は?』
『…かろうじて確認出来た死者だけでも数十、生き残りは…―』
『そうですか』
予想できた事だ。少なくとも、大災害クラスの怪異が出現したことは既に報告を受けている。
『この程度の被害で済んで、何よりと言うべきでしょうか』
それでも、戦禍が村の外に広がる前に防げたのは、彼女の奮闘のおかげだ。男が固い声で静かに言い放つ。
それを聞いた少女の目が、にわかに鋭くなったことに気付かずに。
その時だった。
『お、おいこら!大人しくしろ!!』
先に現場に到着していたはずの、向こう側にいた男の部下が、突然大きな声で騒ぎ出した。
振り向いた男が目にしたものは、それなりに実力を備えているはずの隊員が、それでも必死にかろうじて抑え込んでいる、たった一人の幼い少年。
泥に塗れた肩を強く地に縫い付けられ、血が滲む程に歯を食いしばり、それでも顔だけは上げて男を睨みつけるその眼差しに込められた、憤怒、そして強烈な殺意。
『…あの子は?』
『…“この程度の被害“の生き残り』
『………失言でしたね』
『本当に』
■
「あらサヤちゃん。おはよう」
「…あ、はい、…ども。…おはよう、ござい、ます……」
「おう、サヤ嬢ちゃん。今日も二人共仲が良いねぇ」
「…あう、……や、別にそんな、へへぇ…ありがと、ごぜーます……」
しっかりと布に包まれているとはいえ、物騒極まりない凶器を抱えて町を練り歩く女子高生に、けれど町の人々は何も思わぬ様子で笑顔で声をかける。それに一つ一つ丁寧に頭を下げる背中を、ジンはじっと見つめていた。
数百年前、突如として現れ、人知れず現実を侵食し始めた『怪異』とも呼ぶべき存在。事態を重く見た当時の幕府の治安維持部隊、現在の警察の前身とも言うべき組織は、既に廃れて久しかった陰陽師を復活させ、その上で怪異を相手取る力を秘めた数少ない者達を集めた特殊な機関を作り上げた。
それが、サヤが現在所属する特務機関。
現在、青春真っ盛りのはずの現役女子高生すら、実力さえ備わっていれば所属を許す、白地に黒い紋様が刻まれた、少々特殊なジャケットがトレードマークの真っ黒極まりない職場である。最も、サヤはそれよりも遥かに小さい頃から戦いに身を置いている特例中の特例、希少種ではあるが。
こんな年端もいかない少女が、その命を賭して世界を護るべく戦っているなどと、その事実を知る一般人は、果たして何人いるのだろうか。
周りにぺこぺこ頭を下げながら、三下が如く丸くなる少女を、町民達は皆、嫌な顔一つ見せず、温かい笑顔で見つめている。
「…師匠、俺と話す時と別人過ぎない?」
「…ジンくんはいいの、家族だから。…でも、他の人は、ちょっと。…いや、優しいのは分かるんだけど、何と言うか、その、…眩しい。ぅ゙、吐きそう…」
「なして?」
但し、当の本人はその優しい輝きにあてられて潰されるものとする。
いつの間にやら足を止め、青い顔で口元を覆い隠すサヤの背中を無理くり押すジンの目に、漸く目的地が見えてきた。
「ほら、師匠、警察署見えてきたから」
「…うん、でも、もお゙、喉の辺りまで昇竜の如く昇ってきてるというか。…じ、ジンくん、師匠の背中優しく、そして愛を込めて擦って。師匠が
「そうなったら流石に他人のフリするかな」
「はい飲んだ。今飲み込んだから絶対離れないで。師匠寂しがらせたらこの場で腹切るよ?師匠はやるよ??」
「やめようよ…飲むのも、切るのも…」
謎の脅しと共に、必死に腰に縋りついてくる師匠をそのまま引き摺りながら、ジンは警察署へと一歩脚を踏み入れる。職員達が一斉に目を向け、『あー………』とでも言いたげに気の毒そうな微笑みを浮かべ、けれど何も言わずにすっ…と視線を戻して、すぐに仕事に戻る。大変有難いことに、助けてくれる人は誰一人いなかった。
「(大人って…)」
「…ジンくん、後二、三歩進もう?師匠今敷居の上だから。自動ドアに殺されるから。師匠『死因・自動ドア』はちょっと嫌」
「立てばよくない?」
「いけず…」
つれない弟子のお言葉を聞いて頬を膨らませたサヤが、軽く腕に力を込めて、ジンを軸に半回転して上から華麗に前方へと着地する。その上、ジンには欠片程の重さも感じられていない。大変見事な姿勢制「こぷ」大変。
「うわっ!師匠そんな状態でカッコつけるからぁ!!」
「…イ゙ン゙ぐん゙、お゙どい゙れ゙どごぉ゙……っぷ…!?」
「向こう!トイレ向こう!!早く行って!!!」
「…〜〜〜〜〜っっっっっっ゙!!!!」
■
「おはようございまーす」
警察署の奥まった部屋、好き好んで人の寄り付く事が無いであろう一角に、その部署は存在する。
『第零特命部隊詰所』・『対怪異事件特別捜査課』・『森羅万象異変対策室』、時代が移ろうと共に多種多様に名を変えてきた部署であるが、元より、影に日向に人の営みを護ってきた極秘部署。未だにはっきりと定められた呼称は存在しないと囁かれている(この町の署員に至っては、『何か奥でごそごそやってる変人達の溜まり場』扱いである)。
「おはようございます、ジン君。今日も元気で何より」
今はとりあえず『怪異対策室』と名付けられた小さな部署。室長の性格がよく表れた、きっちりと片付けられた部屋(但し、とある一角だけ雑多極まりない無惨な有様)の奥でデスクワークをしていた常磐が面を上げて、入ってきたジンとサヤを出迎える。
「………後ろの人は何故、朝から死にかけているんです?」
「色々あったんだよ」
「……私という存在の名誉と尊厳をかけたかつてない死闘だったぜ…」
「よく分かりませんが、心底くだらなそうなので聞かないことにします」
覚束ない足取りで部屋に入ってきたサヤが、3つの空いた机の奥にある、特に散らかった一角に近付くと、積み重なった書類を雑にどかして、その下に埋もれていたソファーに寝転がる。それを視界の端に留めていた常磐の眉間の皺がまた深くなった。
「雪村さん。いい加減片付けろと、何度も言っているでしょう」
「…これはこれで片付いてるのー…」
「署長に見つかったら、また嫌味を言われますよ」
「…う。常磐さんのねちねちした嫌味に加えて、あの胡散臭い署長の油ぎっしゅなねっとりした嫌味まで加わったら、もいっちょ追加でリバースしそう…」
「分かったなら」
「……あ、明日、やれたらやるから……」
将来の悲劇よりも、今一時の平穏を選び取ったサヤが、アルマジロの様に丸くなり、両手で耳を塞ぐ。
聞こえないであろうことをいいことに、舌打ちと溜息を思う存分フルセットで提供した常磐は姿勢を正すと、彼女の矯正はさっさと諦めて、ジンに向き直る。
「さて」
キラリと光る眼鏡の奥から覗く、鋭い視線。自然とジンの背筋も伸びた。
■
『…ジンくん。この間の復習です。“怪異“がこの世界に現れる様になってから約五百年。奴らが現れた際の、一帯が異質に染まる現象を我々が何と呼ぶか、覚えていますか?』
『う、うん…えっと、『侵蝕』!』
『ええ。奴らは世界を侵し、蝕みます。強力な個体ともなると、空間どころか、時間をも歪めるとか』
『ひえー…』
『侵蝕が広がる前に速やかに調伏することが、我々の機関の役割です』
「…………」
常磐の口から発せられるお勉強の内容を、ソファーの上で静かに、けれど一言一句逃す事無く聞きながら、サヤは天井を静かに見つめ、遠く昔に思いを馳せていた。
あの日から、弟子は遥かに強くなった。そんじょそこらの大人が束になっても敵わないであろう程度には。
でも。
「(…戦わなくていいのに)」
あの日、全てを奪われた少年は、もう何も奪わせない為に戦う術を求めた。
そして今日まで、その術を叩き込んだのは、他ならぬ師匠たる自分だ。
『向いてないよ』
『諦めよう』
『君には無理だよ』
日々、師匠として教える中で、心を鬼にして何度もそう言おうとした。
けれど、何度打ちのめされても立ち上がる小さな身体が。鬼気迫る弟子の表情が。
確かに根底にある弟子の秘められた才能が、己の口を噤ませる。
「(私は…)」
そして己の中で答えが出せないままに、既に弟子は戦いに身を置いている。
それが正しかったのか、今の自分には分からない。
『―――以上です。ジンくん。何か質問は?』
『大丈夫です!多分!!』
『そうですか。では、侵蝕が起こる可能性はどの様にして探知するのか、もう一度説明してくたさい』
『え゙』
「(私は)」
ならば、私は。
だから、私は。
「師匠!へるぷ!!」
「…うん、ジンくん、今夜は一緒に寝ようね」
「え、あ、…うん……?」
今はせめて、いつも通りに。
「(…大丈夫。君は私が護るから)」
それが師匠の務めだから。
▶師匠
部屋の掃除は弟子任せ。
サムライJK今日も征く ゆー @friendstar
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