第3話 師匠を寂しがらせない様に

『…大丈夫…?』


業火に飲まれて焼け落ちる、つい先程まで己が暮らしていた家の前で、かつて家族だったものをその小さな手に掻き抱いて蹲る少年を背に、年若い少女が余りにも身の丈に合わぬ刀を手にして悠然と立っていた。


『――――――〜〜〜ッ!!!!』


その眼前に立ちはだかり、耳を劈く咆哮を上げるのは、全身が黒い霧の様に掠れて不透明な、辛うじて四足歩行している事が窺える影の様なもの。敢えて例えるなら、狼という表現が相応しい。その巨大な体躯と、この場を支配する並外れた威圧感は、到底、狼とは言い難いが。


『…そんな訳ないよね。ごめんね、遅くなって』


自分の声も届かない様子でただひたすらに慟哭し続ける幼子を、悲しそうに顔を歪めて見つめていた少女は、その殺気に怯む事無く強く握り締めていた刀を改めて構えると、真っ向から狼と相対する。


『…けど、君は私が守るから』


果てしない無力感に打ちのめされる少年の耳に、けれどはっきりと、その暖かな声は刻み込まれた。

















「…ジンくん、師匠ベガス行くよ」

「へ」


ある日、共に食事を囲んでいた夜。

骨だけを残して綺麗に焼き魚を平らげたサヤが、未だ悪銭苦闘するジンを肘をついてほのぼのと花を咲かせて眺めながら、そんな事を口にした。


「ベガす?」

「ベガス…」

「ベガスってあのベガス?」

「…そのベガスでがす」


小さな右手で握った何かを宙でグリグリ回すジン。それはスロットというよりパチンコなのだが、サヤも特にパチンコを打った経験も無いのでツッコめない。無論、知っていてもツッコまない。だって、空を回す弟子が可愛いから。


「…アメリカ支部から応援を頼まれたんだって。でも、手が足りないからって師匠が駆り出されるのでがす。ブラックだよね……………バックレようかな……」

「頼られてるんだね。凄いなぁ師匠カッコいい」

「師匠めっちゃ頑張るぅ」


曇り無き純粋な尊敬。純真極まったキラキラ輝く瞳に貫かれては、社畜と言えど息を吹き返ざるを得ない。

すっかりやる気を取り戻したイケイケエージェントサヤは、任務を受けた際の


『では夜、お迎えにあがりますので』

『…やだぁジンくんとゲームしたいぃ』

『お迎えにあがりますので』

『…私、ジンくんと武者修行の旅に出る。私より強い奴に会いに行く』

『ではちょうど良かった。向こうで腕自慢を集めておきます。心置きなく修行してください』

『…屈強な男共に組み伏せられて抵抗出来なくなった私をどうするつもり?…ま、まさか私が快楽に屈してア◯顔ダブルピースをキメてるビデオをジンくんに送りつけて『ツー……ツー……』っさらなピュアハートに特殊な性癖を植え付けられたジンくんは私のそのあだるてぃなビデオでしか満足出来なくなってしまい夜な夜な私の部屋でイケナイ夜のジンくんしちゃって―――』


という上司とのやり取りを、遥か向こうの記憶の彼方へと吹き飛ばし、むん、と腕に力を込める。とても、お金どころか命までやり取りをしている人間とは思えぬ細い腕であった。


「師匠、ギャンブルできるの?」

「…したことない。ていうか、年齢的にめっ」

「だよね」

「…でも、私は許可される。そう、アイふぉ…"機関"ならね…」

「へー…」


懐から取り出した己のIDカードを、ドヤ顔でふりふり翳してみせるサヤを他所に、ジンは既に魚に意識を戻していた。

反応が薄いことに何となく寂しさを感じ、サヤがジンの向かいから隣へと四つん這いでにじり寄る。肩を抱かれ、頬と頬をくっつけた上で反対側の柔らかな頬をぐりぐりと指で突かれながらも、ジンは魚から目を離さない。手を止めない。


「…ジンくんジンくん。師匠、明日から勝負師だよ。『ジャックポットエージェント・サヤちゃん』って呼んでいいよ」

「俺、正直賭け事も、やる人もそんな好きじゃないんだ。ごめんねジャックポットエージェント・サヤちゃん」

「師匠任務行くのやめます」

「駄目です」


ジンが賭けを嫌う理由。それは故郷でたまに見かけていた光景。

普段優しかった大人達が、大勢の馬が走る光景を酒を片手に皆で眺めながら、よく別人みたいな激しい怒声をあげていたあの日の思い出。年端もいかない幼子からすれば、原因も分からずにひたすら怖がることしか出来ず。

お陰様で、ジンは賭け事には近づかない良い子ちゃんと化した。反面教師の面目躍如である。


「…ジンくんも来るよね?」

「え?」

「…え?」


そして今、目の前に新しい反面教師がいらっしゃる訳だが。


「いや俺学校あるし…」

「…師匠だってあるし。ジンくんは勉強とギャンブルどっちが大切なの?」

「その二択を迫られることってあるんだね。勉強だよ」

「…師匠と勉強どっちが大切なの!?」

「ジャックポットエージェント・サヤちゃんが勉強も大事って言ったんじゃん」

「…そうだったぁ…」


嗚呼、お馬鹿な過去の私。

後悔が止めどなく押し寄せるサヤの耳に追い打ちをかける様に、忌々しいインターホンの音が届き、思わずその顔が歪む。出迎えるまでもなく、サヤにとってこんな夜更けに鐘を鳴らす非常識な人間など、思い当たる限り一人…、いや、二人?…さん、よん、十人くらいしかいない。後、名前で呼ばれるとちょっときゅんとする。


「ジャクポのサヤちゃん、お迎え来たんじゃない?」

「…出なくていいよ。師匠、ご飯は家族で欠かさず食べる派だから。後、そのアホみたいな渾名何?今すぐ止めて」

「自分でいったのに…。師匠、食べ終わってるじゃん。俺の事は気にしないでいいよ?」

「…こういう他愛の無い時間こそが大切なの。私達の様に非日常で暮らす人間は、日常の中に身を置く事で、普段守っているものがどれだけ尊いものであるかを噛み締めるの…」

「師匠…」

「…ジンくん…」ガチャ

「では、守っていただきましょう。任務のお時間です」

「…あーーあ!空気の読めないおっさんに私達の大切な時間が踏みにじられた!日常の中に非日常な常軌を逸した非常識の冗談の通じない異常で非情な上司の登場嗚呼無情!!」

「ジン君」

「よく分かんにゃいじょー」












『…ジンくん、本当に行かない?』

『うん』

『……向こうには珍しいものいっぱいあるよ?』

『でも学校あるから』

『………し、師匠、飛行機酔っちゃうからジンくんお膝に…』

『はい酔い止め』

『…………こ、ここっ、こうなったら気絶させてでも……っ!』

『師匠、早く乗りな?』


そんなやり取りから一時間程が過ぎた頃、ジンはちょうど風呂から上がったところだった。寂しい夜は、つい温もりを求めてか長湯してしまう。程よく火照った肌を冷やしてくれる、冷たい夜風が心地良い。


「………やっぱり、静かだなぁ…」


ぽつりと、か細い声が漏れた。

周りを見回したところで、人の気配など無い。当然だ。当たり前のことだ。

今、この広い屋敷の中にはジン一人しかいない。


勿論、これが初めてという訳ではない。サヤはああ見えて何だかんだ任務には忠実であるし、数日平気で帰ってこないことも珍しくない。最近はよく『…おかげ様で出席日数がやばい。おかしくない?普通、何かしらフォローとか無いの??』と、口にしている(尚、実際は書類で正規に手続きをすれば普通にフォローしてもらえることを本人が忘れているだけだし、本当にやばくなったら土下座すれば常磐がどうにかしてくれる)。


何一つ不自由の無い生活。不満など、あろうはずがない。あっていいはずがない。


それでも、こういうふとした瞬間に思い知るのだ。


もう、自分にはサヤしか残っていないということを。


「………ぐ」


滲んだ視界を、首に掛けていたタオルで力強く拭う。赤くなろうと、痛くなろうと、構いはしなかった。

きっと、普段からサヤが過剰なくらい自分を構うのは、一人ぼっちの自分に寂しさを感じさせない為の“大人“の優しさ。


きっと、いつかは一人立ちしなければならない日が来る。

その時、自分は平気な顔で別れを告げられるのだろうか。


「…今、考えたって仕方ない、よな」


とりあえず、今気にすべきことは、明日の授業についてだ。

そう言えば、明日のコマ割りは間違っていなかっただろうか。確認の意を込めて携帯端末を手に取り、切ったままだった電源を入れた。







『新着メッセージが『257件』あります』






「…………………………」




ぽち。






『ジンくん、師匠だよ』




『ジンくん、寂しくない?』




『寂しいよね?』




『師匠今右折したよ』




『師匠今高速乗ったよ』




『師匠今峠攻めてるよ』




『ジンくん起きてる?』




『寝てる?』




『ジ、ジ、ジ、ジーンくん。ジンく、ジンく〜ん』




『ジンくん師匠寂しい』




『師匠超寂しい』




『寂しいっす師匠』




『ジンくん何で返事してくれないの?』




『ジンくんもしかして怒ってる?』




『もしかしなくても怒ってる?』




『どうして?』




『この間ジンくんのプリン食べたから?』




『この間ジンくんに内緒で任務の帰りに回らないお寿司ドカ食いしたから?』




『この間ジンくんが漫画読んでた時にそいつ裏切るよってネタバレしたから?』




『この間ジンくんのこと格ゲーでめっためたにしてどちゃくそ煽ったから?』




『この間ジンくんに内緒で身だしなみチケット買ってジンくんが作ったキャラの身長こっそり一メモリ下方修正したから?』




『この間ジンくんのパンツ干した時”ちっさ…”って呟いたから?』




『違うのジンくんあれは別に蔑んだとかじゃなくてああまだこんななんだなってこれまでの思い出を懐かしんだだけであって決してジンくんがお粗末だって思ってる訳じゃなくてそもそもお風呂一緒に入ってるからジンくんがお粗末かどうかは私知ってる訳で』




『私もパンツの画像送れば許してくれる?』




『恥ずかしいけど送れば許してくれる?』




『いい?送るね?送っちゃうね?いいよね?』




『………えっちな師匠でごめんね…………』





















『【悲報】常磐さんビキニパンツ』


『お疲れ様です。常磐です。任務中、雪村さんの通信機器は専用のもの以外全て没収しますので、彼女にご用の際は私を通す様お願いします。君もあまり夜更かしはしない様に。お休みなさい』

『ビキニパンツなの?』

『君がしどおしてときわさんにはへんじするの!!!!!!!!!!!』




『師匠、任務頑張ってね』












「…頑張りゅうぅ〜〜〜〜♡♡♡♡♡」

「はあぁぁぁーーーー………………………………」


頭から出来立てほやほやの煙をあげる立派なたんこぶを拵えたサヤが、だだっ広い車の座席の上で、愛おしそうに端末を胸に抱きながら、コロコロゴロゴロ転がり悶え回っている。

対面にてそれを死んだ目で見下ろす常磐は、それはそれは凄まじく重い溜息を吐き出していた。


「…常磐さん元気無いね?どしたん?話聞こか?」

「自分の娘程の年齢の“子供クソガキ“に、突然問答無用で下半身を追い剥ぎされかけたもので」

「…ふーん大変だね」

「はあぁ………………………………」

「…溜息つくと幸せ逃げるよ。私の幸せ分けてあげようか?なんちゃって、あげなーい♡」

「ストレスは頼んでもいないのにやって来るんですがね」

「どんまい」

「(有給取るか)」











▶常磐


本名は常磐金太郎。名前で呼ぶと怒る。



▶ジャックポットエージェント・サヤちゃん


ぼろ負けした。

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