第2話 上司は敬いましょう
『…遅かった』
少女が到着した時、既に目の前には火の海が広がっていた。
そこは、古い歴史の存在する、とある田舎村。
外界との交流を断つ、とまではいかないが、余程の物好きでなければ最早近づくものもいない、そんな時代に取り残された村。
原因不明の濃霧による視界不良に電波障害。加えて、今となってはろくに道も整備されておらず、故に、駆けつけるまでに余計な時間がかかってしまった。
『…急がないと…』
焼け落ちた家屋。そしてその下に覗く、かつて人であったものの残骸。
携えた刀を震える程に握りしめると、少女は迷う素振りも無く燃え盛る業火の中へと飛び込んだ。
せめて一人でも多くの人を救う為に。
■
“ピンポーン“
数日前、師匠の愛の籠もった一撃で生死の境を彷徨った弟子が、綺麗な河原で亡くなったはずの祖母と仲良くお茶を楽しんでいたところ、師匠のガチ焦りの籠もった懸命の救命措置により無事現世に帰還し、ぼちぼち生きていることの素晴らしさを満喫し終えたとある朝。
毎日欠かさない日課である朝のランニングを済ませ、汗を流し終えた弟子の耳に届くのは、無機質なインターホンの音。
「はーい」
赤の他人とのコミュニケーションを怖がるもとい面倒くさがるあまりに、起きていようが寝ていようがEveryday居留守with置き配な師匠に代わり、幸いそれに似ずによく出来た弟子が、元気のいい声と共に客人を出迎える。
「あ、常磐さんだ。おはようございまーす」
門を開けた先にいたのは、一人の壮年の男性。
かっちりと後ろに撫で付けた白髪交じりの黒髪と洒落た眼鏡、皺一つ無いパリっとしたスーツが嫌味なくらいによく似合う、背筋のぴんと伸びたそのダンディズム溢れる姿は、ジンにとってもよく知る人物であった。
「ええ、おはようございますジン君。今日も元気そうで何より。雪村さんはいらっしゃいますか?」
「まだ寝てるよ」
「そうですか。上がっても?」
「もちもち」
常変わらぬ冷静沈着な声に、ジンもまた、常変わらぬ元気なお声で応えてみせる。
今更、遠慮の必要な仲でもない。人懐こい笑顔を浮かべながら意気揚々と案内してくれる少年について行きながら、常磐は静かにその小さな背中を見下ろしていた。
「………」
随分と明るくなったものだ。そう思う。
初対面からして、挨拶とは程遠い強烈な殺意をぶつけられたものだから、余計にそう思ってしまう。もっとも、原因は己にあるから、責める事など出来はしないが。
少女の部屋の前へと辿り着くと、常磐は巡らせていた思考を整え、一応、襟を正し、扉をノックしようとして
「あ、違うよ常磐さん」
「む?」
しようとしたところで、少年に待ったをかけられた。
前へと出て、元気いっぱいに足を踏み出すその小さな背中を、常磐は再度無言で眺め、思案する。
少女は部屋で寝ていないのか。まさか、また炬燵やらソファーやらでだらしなく寝ているのか。毎度、口煩く言っている筈なのに、いつまで経っても学習しやしない。寧ろ、怒られる事を楽しんでいる節があるのではないかと感じる程だ。
想像だけで不快な鈍痛が頭にズキズキと湧いてくるのを、常磐は指で眉根を抑えて押し留めながら、また姿勢良く少年に続く。
少年が止まったのは、これまたよく知るシンプルな扉。
「寝てるのは、俺の部屋」
「………」
何ともまあ、あっけらかんと放たれた台詞に、また常磐の頭痛が強くなった。
自分のストレスの大半は無能な部下と無駄の多い書類仕事によるものだとばかり思っていたが、実はこの子達によって形成されているのではないか。
いや、待て、落ち着こう。
「…雪村さんが、寝ぼけて君のベッドに入りこんだ、という認識でよろしいですか?」
「寝ぼけなくてもしょっちゅう入ってくるけどそうだよ」
「……ふぅ、全く」
とりあえずは、一安心。
頭痛の種が一つ消えたことに安堵していれば、少年があっさりと扉を開けて、部屋にずかずか入り込む。己の部屋だから何の問題も無いのだが、一応はあれも女性に分類されるのだから、こう、もう少し。…まあ、年齢を考えると追々、ということか。それに、下手なことを言って◯◯ハラとか言われたら大変面倒臭い。管理職にとって生きづらい世の中になってくれたものである。
「師匠ー朝だよー起きなー?」
「…う〜…じんくん…なんでおふとんかってにぬけだすのぉ…?」
「師匠が容赦無く抱き締めてきて息出来ないからだよ」
「…やんえっちぃ…♡」
「何が?」
開け放たれた窓から差し込む、燦々の陽射しを浴びた少女が、腕の中に差し込まれた妙に少年に似た出来のいい抱き枕をぎゅぎゅっと抱き締めて、何やらもどかしそうに身を震わせている。どうやら少年は、あれと入れ替わる事で脱出に成功したらしい。可哀想に。
「雪村さん、起きてください」
会話は極力耳に入れない様にしつつ、常磐もまた少女の眠るベッドに近づくと、眼鏡を押し上げながら声をかける。
「……『朝からお耳に入れたくないですよランキング』ぶっちぎりNo.1のお声がする………」
にゅにゅにゅ。露骨に声が低くなった少女の頭が、瞬く間に毛布の中へと沈み込んだ。
礼儀を弁えない子供に、常磐の眉間の皺がまた一つ深くなる。
「奇遇ですね。私も朝から目にしたくない光景ですよ」
「……………今日はゆーきゅー」
「当日申請は却下します」
「…ちぇっ」
恐らくは何度も繰り返されて、そして何度も同じ結果を迎えたのだろう。
特に粘ることも無く、けれど致し方なく、そして素晴らしく不満そうに布団からサヤが這い出てくる。
寸前、数日前の光景を思い出して、思わず『あ。』と、顔を顰めたジンであったが、意外、というべきか、珍しく今日のサヤはちゃんと服を着ていた。いや、当たり前の事なのだが。
毛布を胸に抱いたサヤは眠そうな目で胡座を組むと、安眠の妨害者を睨みつける。
「…常磐さん、おはよう。何か用?」
「おはようございます。用も無いのにわざわざ来ると思いますか?」
「…相変わらず嫌な言い方」
「そっくりそのままお返しします」
『融通の効かない糞真面目な仕事馬鹿』。彼を知る者は彼をそう称する。
『…一言多い。そのくせ自覚が無い。後、私の扱いが雑』。彼をよく知る者は彼をそう称する。
そんな堅物人間が、雪村サヤの直属の上司・常磐であった。
部下が不機嫌そうに下から睨みつけ、上司が不愉快そうに上から見下して、朝から火花がバチバチと散っているが、一応、上と下の関係である。
「常磐さん、お茶飲むー?」
「どうも、お構いなく」
そんなバチバチにまるで臆する事も無く、マイペースに間に割って入ったジンが、常磐に気安く声をかける。
「…ジンくんそんなことしなくていい。…お茶よりお塩持ってきてお塩。ぱっぱっ」
その光景すら、サヤにはあまり面白くない。何でそんな陰険毒舌嫌味眼鏡に懐いているのか。そんな毒舌陰険嫌味中年眼鏡親父にかまうくらいなら、可愛くてキュートでそれでいて強い師匠にもっと甘えるべきではないか。割と真面目にそう思う。
己に向けて塩をまく素振りをするサヤの幼稚な振る舞いに、常磐の眉間の皺がまたまた深くなった。
「分かっていると思いますが、任務です。さっさと着替えてください」
「…ならそれこそさっさと出ていけば?それとも
「随分とおぞましい事を言いますね。後、私は既婚者なので。そうでなくとも貴方の様な乳臭い子供に微塵も興味はありませんが」
「師匠別に臭くないよ?」
「ああ、いや、そう言う意味ではなく…」
「…ジンくん分かってるぅ。ご褒美に師匠の乳「ジン君、行きましょうか。ここにいると君が穢れます」」
ご機嫌にジンに抱き着こうとしたサヤから庇うようにして、ジンを己へ引き寄せた常磐が、これ以上の雑音を耳にしないように、その耳を塞ぎながら部屋を出ていく。
スカッ、と見事な空振りを決めたサヤは、そのいけ好かない背中に向けて思う存分歯を立てると、早速クローゼットを開けて任務用の制服に着替えようとして
「…あ。ここジンくんの部屋だったっけ」
中に並んでいる男の子用の衣服を目にして、漸く昨夜の己の所業を思い出す。
取り敢えず適当に1枚手に取り、顔に当てて何度か深く深く深呼吸すると、何事も無かったかの様に戻し、艶々とした顔で足取り軽く、自室へと戻るのだった。
▶師匠
弟子を抱いて寝るとよく眠れる。吸うと尚良い。
▶弟子
眠った状態であちこち
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